HN: O_Keke_Nigelの話

私のHNであるO_Keke_Nigel、カナで読めば、「おケケ=ナイジェル」となります。
えー・・・ひょっとしてスケベーな想像をされた方・・・いませんよね?

もちろん変な意味はありません(笑)。

ベテランのモータースポーツフリークの方々なら、お気づきのことと思いますが、これは1982年のF1ワールド・チャンピオンのケケ・ロズベルグ(1948-、フィンランド)とこれまた1992年チャンピオンのナイジェル・マンセル(1953-、イギリス)のファーストネームを組み合わせたものです。2人の共通点は、共にF1のチャンピオンというにとどまらず、タフでワイルドなドライビングを身上とし、ひとたびツボにはまればもう誰もヤツらを止められない、といったところでしょうか。

しかもこの2人、1985年シーズン、共に伝説のウィリアムズ・ホンダのステアリングを握ったチームメイト同士でもあります(何かキザな書き方ですね)。

1984年シーズンオフ、アイルトン・セナの加入でロータスのシートを失ったナイジェルがエース・ケケのチームメイトとしてウィリアムズへやってくるわけですが、当時ナイジェルはドライビングの荒さが災いしたのか最高位が3位で優勝経験なし、ケケはキャラが被るのを恐れたのか(笑)彼の加入に大反対。結局御大フランク・ウィリアムズとチーフエンジニアのパトリック・ヘッドによってたかって説得され、渋々ナイジェルの加入を受け入れるわけですが、その際のセリフが「オレはナイジェルの人間性は好きだ」。でも、似たようなセリフ、つい最近どこかで聞いたことがあるぞ(笑)。

でも1985年のシーズンが始まってみればこの2人、別にもめ事も起こさず、どころか特に後半戦はまるで「押し込み強盗コンビ」よろしく絶妙のタッグを組んで大活躍。2人で2勝ずつ計4勝でコンストラクターロータスと同点の3位に食い込んでシーズンを終えたわけです。

何せ「コントロールされたバイオレンス」(ケケ、パトリック・ヘッド…じゃなかったモータースポーツ・ジャーナリストのモーリス・ハミルトン?談)と「暴れん坊将軍」(ナイジェル、古館伊知郎談)のコンビですからツボにはまれば何でもありでしょう(笑)。ウィリアムズ、というかホンダもこんな暴れ馬2匹管理してたのだから、絶対佐藤琢磨もうまくコントロールできるはずなのです(おいおい)。

というわけで(どういうわけなのかよくわかりませんが)、私が自分のHNを考える際に、この愉快なコンビのお名前をいただいた、というわけなのですが、この名前、私自身の毛髪の状態を同時に表す・・・という説があるようですが、それは間違いです。ケがナイジェルなわけではありません。些か少ない、というだけのことです。

下の写真はケケ・ロズベルグ1984年にドライブしたウイリアムズ・ホンダ(2004年日本GP)

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