△トリノ、といえば・・・・・・・・

トリノオリンピック・・・何気に開幕していたんですね。新聞やニュースとかを見ていると、開幕前の盛り上がりとは裏腹に、なかなか厳しい結果が続いているようで。モーグルスキー、上村選手惜しかったですね。スノーボード・・・あれは何だったんでしょう。スピードスケート、岡崎選手は・・・結果よりはあの人が出ている、ということだけでもう充分です。あの・・・ふと・・・止めときましょう。ノーマルヒル・・・原田選手には、どことなくナイジェル・マンセル的なニオイを感じてしまう(笑)・・・といえばそれは言い過ぎでしょうか?

フィギュアスケートとか、男子のスピードスケート、スキーのラージヒルとかはまぁこれからですが、私のようなクルマヲタクというかモータースポーツヲタクにとっては、トリノと言えば・・・・・・・・・・、

やっぱりランチアでしょう。

attached(8)Lancia1

1987年WRCスウェディッシュ・ラリー ユハ・カンクネン&ユハ・ピローネン


ランチア、といわれても日本ではそれほどポピュラーな自動車メーカーではないようですが、モータースポーツファンにとっては、ランチアと言えばラリー、ラリーと言えばランチア

WRCマニュファクチャラーズ・チャンピオン10回、通算74勝、サンドロ・ムナーリ、ビヨルン・ワルデガルド、マルク・アレン、ヘンリ・トイボネンユハ・カンクネン、ミキ・ビアシオン、ディディエ・オリオール・・・そして最後はカルロス・サインツといった蒼々たるビッグ・ネームがステアリングを握った名門中の名門でした・・・。

私がWRCに興味を持ち始めた1990年ごろ、ランチアはまさに無敵の存在で、その「ランチア帝国」に敢然と立ち向かって行ったのが当時TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)のカルロス・サインツ。そのころ応援していたのはもちろんサインツセリカ、それからケネス・エリクソン&三菱ギャランでしたから、最初は私の中ではランチアは明らかな「敵役」だったことは言うまでもありません。


でも、そういう私がランチアにも「萌える」ようになったのは、何と言ってもこの人の存在が大きかったと思います。

そうです・・・当Blogのサイトマップの写真にも出てきていますが・・・


attached(2)auriol&alain
↑F1ワールド・チャンピオン、アラン・プロスト(右)とのツーショット・・・これは何のイベント
なんでしょうか???


いえ、私はまだ「あそこまで」髪の毛はキテるわけではないですが・・・数年後は確実に・・・かも(笑)。タイプ的には私の大好きな「キレ系」のドライバー。とはいってもこの人はコーナリング中のマシンの挙動を逐一説明できてかつセッティングマニア・・・いわゆる「開発のできる」ドライバーだそうですが・・・、それはともかくとして1958年8月生まれの彼は私、それからナイジェル・マンセルと同じ獅子座のA型。だいたいキャラクターは想像がつきます(笑)。これはもう応援せずにはいられません。

このオリやん、プロになる前、高校を出てからまず就いた仕事が救急車の運転手。何でもその理由「いくら全開でぶっ飛ばしてもお咎めなしだから。こりゃイイよね」だとか。まぁいったい何を考えてるんでしょうか(笑)。ランチア時代、「オレにチーム・オーダー出してもダメだよ、だってオレ、ツボにはまったらもう止まんないもん」と当時のフィオリオ監督に言い放った彼らしい話ではありますが・・・。



オリオールがドライブするランチア・デルタHF 1992モデル

1992年、最終進化型のデルタHFエボルツィオーネを得てオリやんはまさに絶好調、年間6勝は当時の新記録で6年連続となるメイクス・チャンピオンは文句なしだったのですが、ランチアがワークスからの撤退を表明してマシンの進化が止まってしまった終盤に大失速。その間逆に猛烈に追い上げてきたTTEのサインツにタイトルをさらわれてしまったのも・・・いかにもナイジェル・マンセルとダブるところかもしれません(笑)。オリやんが悲願のドライバーズ・チャンピオンを取ったのは、トヨタに移籍して2年目、1994年のことでした。

イメージ 1

BOSCO MOTOのVHSビデオ”Lancia Delta”

ランチアもオリオール選手も、今のWRC界から退いてしまって久しくなってしまいましたが、その豪快なドライビングを今に伝えるのが、BOSCO MOTOリリースのしているVHSビデオLancia Delta」これ、探すのには若干苦労するかもしれませんが、今でも手に入ると思います。

AlphaVille”Forever Young”の軽快なメロディーに乗せてデルタ4WDが所狭しと暴れ回るシーンで始まるこのビデオ、ナレーションとかは一切ありませんが、途中にタイトル・スポンサーのマルティニのテレビCMも挿入されていて、モータースポーツファンのみならず、クルマ好きの方なら十分楽しめる一品だと思います。

ラストの5分、チームのメカニックたちがサービスパークで懸命にマシンに取り付き、リペアし、メンテナンスしていくシーンもまた十分に「萌え」でしょう。

ところで、AlphaVilleの・・・と書きましたが、私、このビデオを買って初めてこの曲を聴いてから、Alphavilleの”Forever Young”だとわかるまで・・・'''実に10年を要しました(笑)。

'''ボブ・ディラン、そしてロッド・スチュアートetc...どれだけ無駄足を踏んだでしょうか。調べが付いたきっかけはまぁたわいもないもので、Googleの検索でこの曲の歌詞の一部'” Forever Young, I want to be Forver Young”をキーワードに入れてみたらあっさりわかった、という次第でした。そこで、Alphaville,forver young、とキーワードを入れてググると、出てくる出てくる・・・本当にこの10年間はいったい何だったんでしょうか・・・自分自身に「時間を返せ」と言いたい気分ですね(笑)。

イメージ 2

JR103系のオレ的イメージコピー、Forver Young 103 Sereas EMU(笑)
<クリックすると大きくなります>
(「Forveryoung 103」より再掲)


えー・・・何の話してたんでしょうか、一体(笑)。

ランチアは1993年限りでWRCから撤退して以来、復帰することなく現在に至っていますが、おそらくフィアット・グループとしてはフェラーリのF1に全勢力を集中する方針に当分変わりはないようなので、ランチアWRC復帰は、当面は考えられないでしょう・・・ちょっと寂しいですけれど。ちなみに、ランチアラリーチームの歴代監督、チェザーレ・フィオリオ氏、その後任クラウディオ・ロンバルディ氏、いずれも後にフェラーリF1チームの監督を務め、フェラーリ現監督のジャン・トッド氏は元々ラリースト(コ・ドライバー)でした。

奇しくも当時のランチアのタイトル・スポンサーをしていたマルティニが今年はフェラーリF1のスポンサーとして14年ぶりにフィアット・グループに戻ってきたのも、何かの縁のようなモノを感じます。

・・・ほっとくと話がどこまでも続いていきそうなので、今日はこれくらいにしておきましょう・・・(笑)。


記事タイトルでオリンピックを期待して来られた方には・・・心からお詫び申し上げます。


attached(6)grifone
ランチアの流れを汲むプライベートチームもトリノに本拠を置いている・・・
チーム・グリフォーネのデルタ(1993サンレモラリー:ジルベルト・ピアネッツォーラ車)




【外部リンク】
●Alphaville "Forever Young" (Amazonアルバムレビュー:曲の試聴ができます)
http://www.amazon.com/gp/product/B000005J5P/104-9949283-8224721?v=glance&n=5174
●「DO YOU REMEMBER」020/ALPHAVILLE(ERIRINさん「Magnificient 80's」より)
http://www.eririn80.com/remember/alphaville.html