●近鉄電車と「宇治山田」

今年に入ってから、代休や出張の帰り、あるいは休日のちょっと空いた時間を使って「貫通幌のフィールドワーク」(?)ということで近鉄電車の観測に行く機会が何度かあった。

近鉄電車の前面貫通幌と言えば、ジャバラ状の幌が、或るものはビシっときれいに折りたたまれ、また或るものは一見無造作かつワイルドにまとめられていたりとなかなかその「生態」は興味深い。さらに、連結時には「ここまで伸びるか?」と言いたくなるほど長く伸びる幌布は無機質な物体という本来の性質を超えて生物的な質感すら感じる……と言えばまたあらぬ方向に脱線してしまう。

一般的には、「近鉄の電車」から連想するものは、私のようなヘンタイ趣味ではなく、「志摩スペイン村」だったり「名阪甲特急アーバンライナーアーバンライナーNEXT」だったり、はたまた「お伊勢さん」だったりするはずだ。私自身も自分の中の「ホロスキー属性」に目覚める前はそうだった。



小学校4年の冬、初めて家族旅行で行った先も「お伊勢さんと賢島」だった。

それまでは泊まりがけで出かけるのは両親の実家のある但馬(兵庫県北部)へ帰省するのがもっぱらで、それ以外の場所へはこの時が初めてだった。もっとも、3歳ぐらいの頃、母方の伯父さんの結婚式だとかで東京へ新幹線に乗って出かけたことがあるのだが……その頃はまだ学年で4つ下の妹はまだ生まれておらず、純粋な観光旅行としてはこの伊勢神宮へのお参りがやはり初めて、ということになるだろう。

家族にとっては初めての「一大イベント」だったからなのか、職人の親父は一張羅のスーツにネクタイを締め、専業主婦の母もお出かけ用の服を着込み、私も妹も「よそ行き」の格好をさせられて何故か晴れがましい気持ちになったのを覚えている。そしてお伊勢さんの本宮である「内宮」の偉容……長じてすっかりアタマが「左巻き」っぽくなってしまった私がこんなことを言ってしまうのも変な話なのだが。

そして、次のお伊勢さん参りは……小学校6年春の修学旅行だった。京阪神の小学校の修学旅行は当時伊勢方面、と大体決まっていたようだが、それは今も変わらないのだろうか。この時は、二見浦の旅館に泊まり、翌朝はご来光を拝んで後は鳥羽周辺を観光して帰る1泊2日の日程で、理由はよくわからないのだが、うちの小学校では行きは国鉄、帰りは近鉄特急という変則的な行程だった。それはともかくとして、その当時私には些か困った事情があり、旅行の直前になって大いに思い悩むことになってしまった。

それは何かというと……発育の早い私には、もう体のそこかしこに「オトナの兆候」が見え始めてしまっていたのだ。「ちょっと『普通の』人とは変わったヤツ」というのが、往々にしてクラスの中である種のネタというかいじりの対象となってしまうのは今も昔もそうは変わらない。夕方宿に着いてクラスの連中と風呂に入ったときに私が何と言ってからかわれるか、もう火を見るよりも明らかではないか。

「××、ちん○生えとる、おい、コイツち○げ生やしとる!! わーい、わーい○んげオトコ!!」
「えー、オマエすね毛も生えとるやんけ、オッサンか、」

思い余って私はこっそり風呂場で親父のカミソリを使ってスネ毛だの○○○だのを剃り落とそうという一種自虐かつ倒錯的な挙に出ようとしたのだが……どういうわけかいち早く両親に察知されて幸いにも未遂に終わった(母親曰く「あんたはすぐ顔に出るからわかりやすい」)。

「なにをアホなことを」
「そやかて風呂でみんなにアホにされるやないか、止めんといてくれ」
「そんなら”オマエらかてそのうち生えてくるから一緒じゃ”とか言うたったらええんや」
「生えてくるのは別にヘンなことやないんやからしょうもないことすんなよ」
「人より早いんが気になるのは分かるけどな、そんなコトしたかて余計に濃くなるだけやから止めとき」

で、結局最後に挙げた「余計に濃くなる」というセリフに観念し、そのまま自然に任せるまま当日に臨んだのだが……みんな初めての「親と離れたお泊まり旅行」で疲れていたのか、人の股間にわざわざ注意を払う余裕のあるお調子モノのアホなど誰も居らず、ケンカ覚悟の「悲壮な決意」は空振りに終わった。



それからは長い間「お伊勢さん」に行く機会はなかなか訪れず、次に行ったのは大学2年のゼミ旅行の時だった。正式なゼミのメンバーになるのは3回生からなのだが、私が当時属していた「国際関係論ゼミ」では選考の終わったばかりの2回生招待ということで参加したのだ。ゼミの指導教官は、ゴルバチョフエリツィンを3:7ぐらいの割合でミックスして男前にしたような風貌の東欧研究のエキスパート。60年安保の際には旗を振り回してデモ行進し、市電の敷石を引っぺがして細かく砕いては投げていたらしい。そして、70年安保の頃にはヨーロッパに留学しており、パリで学生と群衆が「ドゴール、ラ・ササン!」(ドゴール打倒!)とシュプレヒコールしていた光景を熱く語っておられたような方なのに「何で伊勢参り?」と思ったのだが、案の定「先生は先に宿に行ってるよ」とのことだった。

その時は、正直言ってお伊勢さんの印象はさほどない。と言うよりは次の日の朝気が付いたら宴会場に布団を敷いて寝かされていたのを今でも覚えている。で、もちろんその後は何も喉を通らずに「世の中の全てが自分にとってネガティブに感じる」という感覚に1日中苛まれることになった。ゼミのオリエンテーションの時に説明に出てきていて「かっこエエなこの人」と思った先輩(女性)と実際に話ができて舞い上がった私はすっかり飲み過ぎてしまったのだ。

その後はもう長いこと「お伊勢参り」をしていない。いや、大学3年と4年の時のゼミ旅行も何故か続けて三重県(合歓の郷湯の山温泉)だったし、何よりも毎年秋に日本にやってくるF1のレースのために鈴鹿通いを続けてもう14年になる。お隣の大阪と実家のある京都を除けば、大学を卒業して兵庫県に移り住んだ私にとって、三重県が最も多く訪問している他府県、ということになるのだろう。でも「お伊勢参り」は、鈴鹿サーキットランドのお土産もの屋さんの中で見かける「赤福」のパッケージの中にしか存在しなくなってしまって既に久しい。



ところで、ずっしりと重みのあるこしあんの中にお餅が埋め込まれているシンプルな作りのその「赤福」は、伊勢の「名物」にとどまらず、あの特徴的なテレビCM(江戸末期に流行した「おかげ参り」での決まり文句「えーじゃないか」を効果的に使っていた……)とともにまさに三重県を代表するお菓子と言っても過言ではない。さくらこさん「赤福~ピンクの箱の誘惑」でも触れられているように、今や三重県からも飛び出して、周辺の府県でも手広く売られているほどだ。件の記事によれば、「大阪や京都でも売られている」とのことだが、実際に先日出張帰りに京都駅のキオスクで「黒ごまのおたべ」や「生八つ橋」とともに「赤福」が鎮座しているのを見かけた。ことによれば、三宮のそごうとか元町の大丸でも売っているのかもしれない(wikipediaの「赤福」の記事では神戸でも売られている、とのこと)。それにしても「ピンクの箱の誘惑」とは上手い。

そういえば、小学校の修学旅行の際には、私たちガキどもに余計なお金を持たせたくなかったのか、旅行前に学校で「赤福」の注文を取り(もちろんお金は先払い)、現地でまとめて手渡し、といったシステムになっていた。うちは「荷物になるから」と2、3個程度にしておいたと記憶しているが、親の交友範囲が広いヤツは10個とかけっこうまとめて買い込まされていた。でも結局私も自分が一杯食べたかったのか、現地で追加で買ってきてしまった……とはいえ、あれはそんなにまとめて一度に食べられるようなものではないことを帰宅してから嫌というほど思い知ることになった。


先に書いたとおり、鈴鹿サーキットのF1観戦のお土産としても「赤福」は有名なのだが、だいたい広大なサーキットエリアを1日数キロは余裕で歩く我が身にとっては、「赤福」を何個も持ち歩くのはちょっときつい。だいたいはF1期間限定販売の「鈴鹿の風」(カスタードまんじゅう)か、以前はウィリアムズのケータリングもやっていた地元のパン&スイーツのお店「ドミニク・ドゥーセ」のGP限定モデルのサブレ(最近サーキットでは売ってない)にすることが多い。



で、記事タイトルの「宇治山田」はどうなってしまったのか………?

つい話の枝葉に夢中になってしまって、肝心の話をすっかり飛ばしてしまった。いや、「宇治山田」という地名、というよりは駅名を知ってからというもの、70年代に少年時代を過ごした私としては……思わず、まぁ、ありていに言ってベタなギャグをこの字面を見るたびに思い浮かべてしまうのだ。そんなもんわざわざ書くな、と言われそうだが、これ絶対、同じコトを考えてるブロガーさんがいそうだ。いや、現に交流させていただいているブロガーさんの中である方のハンドルが今頭に浮かんだ。

この前、仕事帰りの電車の中で、「近鉄の特急」(JTBキャンブックス)を読んでいてふと脈略もなく思い出してしまったのだが……と同時に少しでも早くネタにしたくてどうにもたまらなくなった。この記事を書く前に一応Y!Bで検索を掛けてみた。まだ大丈夫だ。その方に先を越されてはいけない。氏の記事のコメント欄で「いやー私も同じコト考えてたんですよ」と敗北の弁を語りたくない。

それは………



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山田線の普通電車・宇治山田行き ク1357 伊勢中川駅 2002年10月



……そうです、

「宇治山田洋とクール・ファイブ」…。


『長崎は今日もダメだった』…これ80年代のタイガースファンなら意味がお分かりかと。



<注>
嘉門達夫氏の名曲にして迷曲「あったら恐いセレナーデ」の中には「内山田洋スクールメイツ」が出てくる。
(但し正式な歌詞は"Kuchiyamada Hiroshi と School Mates"となっている)
*ちなみに、グーグルの検索で調べてみたところ、「宇治山田洋とクール・ファイブ」「内山田洋スクールメイツ」ともに2ちゃんねる固定ハンドルとして登場したことがあるようだ(おいおい)。
*くれぐれもこのページを「ルー語変換」して読まないようにされたい。

<おわび>
「ここまで引っ張っといて何やそれオチのつもりかい」等のご批判は甘んじてお受けします。