●フォーエバー・ヤング、富士&はやぶさ

The 400th article

東京から九州方面へと運行されてきた「九州ブルトレ」の中で最後の最後まで残っていた富士・はやぶさ」がこの3月14日を最後にとうとう廃止された。幼い頃も今も関西在住の私にとっては、時間帯の関係もあって必ずしも馴染みのある列車ではなかったけれど、「九州ブルトレ」そのものがブルートレインの象徴的な存在であっただけに、ここ20年凋落の一途をたどっている感のある夜行寝台列車の運転史にとって大きなトピックとなる出来事であることは間違いない。

何よりも、行動範囲が限られていた幼い頃の私にとって、「鉄道ジャーナル」の”列車追跡”シリーズなど趣味誌の中で頻繁に目にしたブルートレインは憧れの的だった。「大人になったら、オレもこうやってブルートレインで旅をするのだ」と思い続けてきたにもかかわらず、長じて自ら生計を立てるようになった頃には、もうブルートレインは「何とも使いづらい」交通機関になってしまっていただけに、鉄道趣味者の視点からの興味や関心とは別に、時代の流れの非情さをナマの姿で感じざるを得ない。

ちょうど一年前の急行「銀河」や特急「なは・あかつき」の廃止、そして昨年秋の0系新幹線の引退と同様に、今回の「富士・はやぶさ」の廃止に際しても、Web上で多くの方々がそれぞれの思いを発信されているのを目にした。そして、昨日の夕方、「富士・はやぶさ」最後の列車が東京駅に約1時間30分遅れで到着し、2,000人のファンが到着ホームに集まって別れを惜しんだ、というニュースを見た。ハイテンションでTV局のインタビューに答える人々、客車のボディをいとおしそうに触る人々、デジカメを携えはるばる台湾から「最後の瞬間」に立ち会うためにやって来た人々…いやこの人はスーツにネクタイを締めていたから、出張か何かのついでに立ち寄ったのかもしれない。

ブルートレイン、ひいては夜行列車が何故衰退していったのか、あるいは列車や車両の廃止や引退の度にファン(のみならず0系の時のように場合によっては鉄道に日頃感心の薄い層も含まれるだろう)が殺到する「祭」の是非という議論は確かにあるだろう。しかしそれはまた稿を改めることとして、今回の記事では、廃止当日の「その場」には行けなかった私なりに「惜別の思い」を書くことにしたい。


以下の写真は、2003(平成15)年の4月、まだ「富士」と「はやぶさ」が別立ての列車だった頃、出張の帰りに東京駅に立ち寄って撮ったものだ。「九州ブルトレ」のスーパースター「あさかぜ」が廃止となるのはその約2年後、山陰と首都圏を直結していた「出雲」がステージを去るのはその3年後のことである。急行「銀河」ももちろん健在だった。


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★品川方から特急「富士」を牽引・東京駅10番に入線したEF66-46/2003.04
(はてなフォトライフ -幌苦総合車両所・画像センター)
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東北新幹線ホーム増設の関係なのか、「機回し線」が姿を消した東京駅で、関西・九州方面へのブルートレインの発着をさばく方法として採られたのが、この一種独特のやり方だった。頭端駅であり、東京駅と同様に機回し線がない上野駅発着の客車列車は、尾久の車両所から機関車が客車をバックで押してくる方法で入線してくる。しかし東京駅では次のような手順を踏んでいた。
 
1)品川車両所から、機関車Aが列車Xを牽引して東京駅に入線する。
2)入線後、機関車Aは列車Xを切り離して待機。
3)品川方面の留置線で待機していた別の機関車αが列車Xの本務機として入線、列車Xと連結して出発。
4)列車X出発後、機関車Aは次の列車Yの本務機となるために品川方面の留置線へ移動。
5)品川車両所から、機関車Bが列車Yを牽引して東京駅に入線する……

以下2)以降を繰り返す。

イメージ 2
★特急「富士」の最後尾スハネフ15-20/東京駅2003.04
(はてなフォトライフ -幌苦総合車両所・画像センター)
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イメージ 4
★特急「富士」最後尾スハネフ15-20/東京駅10番出発2003.04
(はてなフォトライフ -幌苦総合車両所・画像センター)
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実を言えば、私がこのとき東京駅の「とおばんせん」に立ち寄ったのは、「ブルトレを撮る」というよりは……「富士」に使われている14系15形客車のスハネフ15に付いている「バネ式の幌吊を装着した二枚幌」の”観測”が主の目的だった。

14系客車のスハネフ14で採用された「埋込型(幌吊なし)」の幌は、15形ではコンベンショナルな二枚幌に仕様変更されたのだが、同じことが電源集中型の24系客車でも繰り返された。当初オハネフ24、オハネフ25に装備された埋込型の幌は、オハネフ25-100ではまたもコンベンショナルな幌吊付きの二枚幌に戻されている。何でこういうことになったのか、「鉄道ピクトリアル」あたりをよく読んでみたのだが端的に「仕様変更」としか書かれていない……結局また「幌」の話になってしまったか。


イメージ 5
★EF66-46…今度は「さくら・はやぶさ」の先頭に立つ/東京駅2003.04
(はてなフォトライフ -幌苦総合車両所・画像センター)
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イメージ 6
★EF66-46・次の仕業に備えて/東京駅2003.04
(はてなフォトライフ -幌苦総合車両所・画像センター)
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「富士」が別の機関車に牽かれて出発していった。どの機関車だったかは確認できなかった。もちろん私の当時の「メイン・ディッシュ」はスハネフ15の幌だったから。しかも幌枠は車体とコーディネートしたブルーに塗られていたのだから、ここぞとばかりに私はスハネフ15-20を出発の時間までスナップし続けていた……はともかく、EF66-46のヘッドマークが付いた側がクリアに見えるようになった。この頃の「はやぶさ」は、長崎行きの「さくら」とコンビを組んでいたのだ。些かヘッドマークの文字が見えにくく写ってしまったのが悔いが残るところか。

余談になるが、この「十番線」の柱は、兵庫県、それも北部の但馬地方に縁のある人ならお気づきだろうか。クリーム色をベースにオレンジと緑のライン……どう見てもこれは但馬全域をカバーしている全但バスのカラーそのものだ。クリーム色の柱に、東海道線のイメージカラーとも言うべき湘南色のワンポイントを入れたら、たまたま全但バスの塗色のように見えただけであって、但馬地方の浜坂や香住を経由していた「出雲」とは全くの無関係だろうとは思うのだが、そんなちょっとしたことが”田舎の子”である私にはうれしいといえばうれしい。

それにしても、上の写真で見るEF66は、見れば見るほど武骨で、塗色がちょっとくたびれた感じなども「古兵(ふるつわもの)」といった感じがしていてとてもいい。同じEF66でも今は頻繁に貨物の牽引機として見かける100番台は、この0番台とは色も形もかなり違う「別物」だ。今回の「富士・はやぶさ」の廃止は、「九州ブルトレ」の終焉だけではなく、EF66の0番台を見る機会がまた少なくなってしまうことも意味するのかもしれない。