Web空間における「コミュニケーション」について~「はてなハイク」の場合

例によって(爆)またまたしばらくの間、ミニブログはてなハイク」にかかりきりになってこちらの記事更新がおろそかになってしまっていた。

はてなハイクは通常のブログサービス以上に手軽に記事をアップできるのが特徴的で、はてなのアカウントを持っていれば各種の「キーワード」という「お題」に沿ってエントリを投稿することができる。またその「キーワード」についても自分の好きな任意のものを設定することが可能だ。

通常の投稿は全て最新投稿20記事まで表示されるトップページ(http://h.hatena.ne.jp)に掲載されるが、ユーザーの「プロフィールページ」(http://h.hatena.ne.jp/id/ユーザー名)はトップページには表示されないようになっており、ここをいわば下書きやメモスペース代わりに使うことも可能である。

このように、はてなハイクは色々なことが試せる面白い「器」ではあるのだが……どうにも私のような「レギュレーションの範囲内で好きなようにシーヤ派」にとっては、「こんなことはハイクでスンナ派の方々の意見とはどうしてもぶつかってしまうこともあり、正直息が詰まるなぁと思うこともしばしばである。思いっきり要約して言ってしまえば、何というか、

直腸の先に位置するところの臀部を縦断する「中央構造線」(発作マグナ)のベンチュリー効果があまりにもマックスすぎるんではないか

と思われて仕方がない。

ここらあたりはいろいろと思うところはあるのだが、一定の数のユーザーの考えが交錯するweb空間は、自分の気に入るモノもあれば気に入らないモノも同じように存在している。そういう意味ではwebコミュニティの公共空間性はまさに「パブリック・フォーラム」、一種の「ブレーンストーミング」の場というものでしかないはずなのだが、どうしても「人それぞれ」とは言ってみてもその「それぞれ」に耐えられなくなることは多々あるようだ。

<また機会があれば追加するかも>

【09.08.09追記】
↑何かこれではただの「愚痴」でしかないなぁ…と思う。

少なくとも書庫名に入っている「考察」にはならない。
という観点から考えればその「ベンチュリー効果がマックス」と私がそう考えるポイントは何なのか構造的に書かなければいけない。

いやそれはもう何か、ハイクのユーザーさんお二人と「対話」してわかっている(つもり)なのだけれど。