△ダカールラリー2006②:三菱6連覇

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2006年4輪ウィナー リュック・アルファン(右)、ジル・ピカール(左)

(ダカールラリー公式サイトhttp://www.dakar.com/より)


1月15日、ダカールラリーが終わりました。SS13、14と2日続けてギャラリーが競技者にはねられて亡くなるという事故が起こったため、最終日のラック・ローズでのSS15はキャンセルされ、前日までの首位、三菱パジェロをドライブするリュック・アルファンがそのまま4輪総合優勝というとなり、三菱はこれで大会新記録の6年連続通算11回目のダカールラリー優勝。

アルファン選手は後半でトラブルに見舞われ、一時トップを三菱チームのエース、ステファン・ペテランセルに譲る形になりましたが、ペテランセルも立木にマシンをぶつけるというアクシデントに見舞われたため、再度首位を引き継ぎ、フォルクスワーゲン・レーストゥアレグを駆るジニール・ドゥビリエの追撃を何とかしのぎ、自身初のダカールラリー優勝を飾りました。

三菱勢はあと3位にホアン・ナニ・ロマ、4位にペテランセルが入り1-3-4フィニッシュ。あとは個人的に「イチ押し」だったミスター鼻毛、もといカルロス・サインツは中盤での遅れを最後まで引きずり、結局総合11位でゴールしました。カルロスはそれでもラリー序盤はSSトップを連発するなど大いに気を吐き、今後に期待をつなげる内容だったと思います。WRC時代のカルロスは、主だったワークスのマシンを総なめ状態(トヨタランチア、フォード、スバル、シトロエン等々)で、後乗ってないのは三菱くらいでしたから、来年はカルロスの三菱入り&総合優勝を期待したいところです(笑)。

そして今回のダカールを最後に引退を表明していた元三菱の篠塚健次郎選手(日産ピックアップ)は後半戦が始まってすぐのSS10でマシントラブルのため残念ながらリタイヤに終わりました。

篠塚選手は三菱の社員として通常の業務もこなしながらギャランVR-4でWRCパジェロでパリ・ダカにも参戦、1991年にはアイボリー・コーストラリーで日本人初のWRC総合優勝を達成し、翌92年には同ラリーを連覇、WRCクラシック・イベントのサファリ・ラリーでも1994年、95年と連続して2位、そして97年には日本人初のダカール・ラリー制覇・・・と長年三菱の顔として活躍してきました。

でも以前から篠塚さんの処遇は社内でもいわゆる「懸案」だったようで・・・つまり適当なところで現役を引退して社員としての道を全うするか、それともあくまでも現役にこだわり続けるか・・・。かつて1970年代のオイル・ショック時に三菱がモータースポーツから一時手を引いたとき、社員ドライバーとしてオーストラリアのサザン・クロスラリーやサファリ・ラリーで活躍し、「ライトニング・ケンジロー」と異名を取っていた篠塚さんは思い悩んだ末に、ラリーストとしての道を1度はあきらめました。それだけにラリーフィールドに復帰した後は、三菱を辞めてでも「ラリードライバー」としての道にこだわったのかもしれません。

そして迎えた今回のダカールラリーは、結局残念な結果に終わってしまいましたが、三菱のダカールラリーWebページでは、簡潔な表現ながら、”「ダカールを見て引退したい」という願いは叶わなかったものの、最後まで戦い続けるその姿勢は多くの人々の心を揺さぶった。”と締めくくり、篠塚さんに賛辞を送っています。「パリダカのシノケン」にあこがれ、初代・2代目とパジェロを乗り継いでいる私としては、篠塚選手は私の心の中では最後まで「三菱のラリースト」でした。ドライバーとしては引退しても、また、何らかの形でラリーフィールドに戻ってこられることを期待しています。長い間、本当にお疲れさまでした。



1992年、WRCアイボリー・コーストラリーを連覇した篠塚建次郎とジョン・メドウズ -リタイヤの危機を乗り越えての大逆転勝ちだった



【外部リンク】
●AUTOSPORT Web(「ダカールラリー、ミツビシのリュック・アルファンが初優勝」)
http://www1.as-web.jp/news/news_detail.php?c=4&nno=4314
●2006DACAR Rally(三菱公式Webページ)
http://www.mitsubishi-motors.com/motorsports/j/06dakar/index.html
ダカールラリー公式オフィシャルサイト(英・仏・スペイン語ポルトガル語)
http://www.dakar.com/