△2006年・ミハエルへの期待



私の最近のF1関係の記事はとにかくスーパーアグリ関係で終始していましたが、やはり皇帝ミハエル・シューマッハの動きも気になります。ここ数年まさに「永久独裁政権」の座を守り続けていたミハエルでしたが、2005年は年間わずかに1勝、それもタイヤを巡る混乱からミシュラン勢が撤退したアメリカGPでのもので、全くいいところなしの1年でした。

今シーズンに賭けるミハエルのモチベーションについては、F1好きさん「F1好きの中学生!」の「ミハエルはなぜ挑戦し続けるか」で詳しく書かれていて、そこでは「王者のプライド」がキーワードとなっており、コメントも含めて興味深い記事に仕上がっています(私が最初のコメントをゲットさせていただきました)。「プライド」という言葉の定義が私とF1好きさん、そのほかコメントされているブロガーさんとの間では若干ずれがあるようですが、まぁそれは今回の記事の主題ではありません(笑)。

いずれにしてもF1好きさんはじめ各コメントに共通しているのは、ベタな表現で言えば、「去年のオトシマエきっちり付けたれや、ミハエル」というところでしょうか。ただ、私としては、去年だけではなく、彼にはここまで15シーズンにわたるF1キャリアに対して「オトシマエ」を付けてほしい、と思っています。

私のBlogの投票のテーマの中に、「セナとシューマッハ兄、どっちがすごい?」というものがありますが、まぁいきなり奥深く埋もれてしまった投票テーマなんですが(笑)、もとより「正しい」答えがあるわけではありません。ただ、いわゆる「セナ・プロ時代」からF1を見始めた私としては、何かもう一つミハエルに対して、というかミハエルを頂点とする今のF1自体に食い足りないモノを些か感じているのも事実です。おっさんの繰り言めいた言い方ですみませんが、しばらくの間おつき合い下さいませ。


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ミハエルとセナ 1993年 この年もミハエルはベネトン・フォードを駆り1勝を挙げた



80年代以降のF1シーンを、ドライバーに焦点を当てておおざっぱに時系列でまとめるとこうなるでしょうか。ニキ・ラウダ時代」→「アラン・プロスト時代」→「セナ・プロスト時代」→「ミハエル・シューマッハ時代」。「ニキ・ラウダ時代」から「セナ・プロ時代」までは「世代交代」に至るはっきりとしたストーリーがあって、そのストーリーの中で各ドライバーのキャラクターが明確に見えていた・・・ように思います。

その中でも「セナ・プロ時代」は折しも日本で「F1ブーム」が起こったころで、実況を担当しているフジTVの、というか、実況担当として起用された古館伊知郎氏の「演出」だったのでしょうが、セナ、プロストはもちろん、テールエンダーのドライバーはたまたチーム監督やデザイナーに至るまでF1に関わる人たちのキャラクターがきちんと立っていました。実際ピケ、ベルガー、ナニーニ、ブーツェン、パトレーゼ、マンセル等々、彼らには主役級のセナとプロストを時として食ってしまうほどの「存在感」があり、当Blogの「古館伊知郎F1絶叫フレーズ集」はそういう当時の想いが集約されてできたコーナーなのです。

と、そういう不器用な宣伝は置いておくとして(笑)、ミハエルがデビューした1991年はまさに「セナ・プロ」時代のまっただ中だったわけですが、もちろん彼の「存在感」は最初から抜きんでていました。当時の古館語録の中でのミハエルは・・・。
「ドイツ、自動車王国の申し子」
「背後霊はメルセデス・ベンツか、F1サイボーグ・シューマッハ
「スポンサーはマイルド・セブン、そしてシューマッハは、ワイルド・セブン!」
そしてしまいには・・・「顔面大倉山シャンツェ!!」
といった感じでしたから、もうビシバシの大物感漂うドライバーだったわけです(笑)。

現に当時のベネトン・フォードは「セカンド・ベスト」のマシンだったにもかかわらず、デビュー2年目の92年には早くもF1初優勝をマークしてドライバーズランキングも3位に躍進、続けて92年もポルトガルでの1勝をマークしてドライバーズランキング4位・・・とミハエルはポスト「セナ・プロ時代」の旗手と目されていたのは間違いのないところです。

そして今現在まさにそのとおりになっているのですが・・・もちろん、彼がこれまで残してきたパフォーマンスは、もう凄まじいの一言です。2000年~2004年まで5年連続を含む7回のワールド・チャンピオン、通算84勝、ポール・ポジション63回、獲得総得点1248点。ポール・ポジション以外はいずれもダントツの歴代1位(ポール記録は故アイルトン・セナの65回)で、彼の成績は「群を抜いている」どころではなく、もはや孤高の道をひたすら行く感じすらあります。それでも、何かしら引っかかるモノがあるのは、なぜでしょうか?

それは、端的に言えば、「セナ・プロ時代」から「シューマッハ時代」の間に、「世代交代劇」が欠けてしまった、ということに尽きるのではないでしょうか。それまでの流れであれば、1994年以降は「プロストに打ち勝った」セナとミハエルの死力を尽くした戦いがあって、その中で最終的にはミハエルの時代へ移っていく、というストーリーだったはずなのですが、それは94年のサンマリノGPの悲劇で断ち切られてしまいます。

その後「セナ・プロ時代」の名優たちも次々とF1を引退し、結局はいわば「無投票当選」みたいなもので「シューマッハ時代」になってしまい、その中で、ミハエルの脇を固めるべきドライバーのキャラクター立ても曖昧なままになってしまったのでは・・・と思います。

もちろん、ミハエルが94~95年にベネトンでワールド・チャンピオンのタイトルを取り、その後2000年にフェラーリに念願のタイトルをもたらすまでの間、数々の壁が彼の前に立ちはだかったのは事実です。ウィリアムズ・ルノーのデイモン・ヒル、ジャック・ビルヌーブ、そして最大のライバル、マクラーレンミカ・ハッキネン。そもそも1996年のフェラーリ移籍は、「セナ・プロ時代」と「シューマッハ時代」の断層を埋めるためのミハエルのチャレンジだった、とも言えるでしょう。でもそれは却ってドライバーとドライバーの戦いではなく、ミハエルと当時の最強マシンとの戦い、という文脈で語られてしまうことにつながってしまい、「ドライバー世代交代の断層」を埋めることはできませんでした。

いや、ミハエルと同世代のミカとならその断層を埋める戦いができたのでは・・・と思うのですが、ミハエルに敗れたハッキネンは早々にF1から身を引いてしまいます。ミハエル対ミカ、というよりはミハエル対「アドリアン・ニューウェーのマクラーレンメルセデスの戦いとされ続けることに「疲れた」からなのかもしれません。


例によってまた長々と語ってしまいましたが、これはちょっとナイーブ過ぎるF1の見方なのかもしれません・・・。「最強のミハエル」を見てF1に興味を持った世代のファンにとっては、何ともまぁ辛気くさい話だと思います。ただ、ミハエル自身は紛れもない「セナ・プロ時代」にF1へやって来たドライバーなのであって、私はどうしても「セナ・プロ時代」から見た妙なこだわりのような「喪失感のようなモノ」を拭い去ることができません。逆に言えば、だからこそ、今シーズンのミハエルのチャレンジには注目していきたいと思っています。

・・・そう、アロンソライコネンモントーヤ、チームメイトのマッサも含めてもいいかもしれません。そういう「新しい世代」のドライバーと、「すべてが充実した」ミハエルとが真っ向から勝負を挑み、死力を尽くして戦うことによって「ドライバー世代交代のストーリー」が再構築されていくところを見せてほしいと願っています。一方で、もうそろそろキミ・ライコネンの初タイトルを見てもいい頃だとも思っていますが・・・。

そして、そういう「喪失感のようなモノ」は、ほかならぬ彼自身が一番感じていて、だからこそ、その「喪失感」を埋めるためにひたすら走り、かつ勝ち続けようしてきたのではないでしょうか。「このままでは終われない」・・・この一言が今シーズンに賭けるミハエルの全てを表しているかもしれません。


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ガッツポーズが妙に絵になるミハエル 【左】2000年鈴鹿【右】2000年モンツァ