●103系のある風景②:片町線・長尾駅

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折返し待ちの片町行き103系 1989年3月 長尾駅


103系のある風景」、福知山線カナリア色に続いて今回は片町線」の103系です。上の写真、車番は分かりませんが、前照灯の形状から考えて、Tc103-180~268のいずれか・・・って全然答えになってませんね(笑)。このオレンジの103系森ノ宮区(あるいは淀川区)のものと思われますが、先頭車にはまだスカート&車番表示がなく、それから何と言っても戸袋窓がまだ埋められていないのは・・・今となっては何とも新鮮に映ってしまいます。

それから、「片町」とか「折返し待ち」といっても、ピンとこない方々も多くなってきたかもしれません。1989(平成元)年3月ダイヤ改正までは、片町線の電化区間は長尾(大阪府枚方市)までで終わり、この先はディーゼルカーに乗り換え・・・となっていました。今回の写真の数々は電化直前の片町線をスナップしてきたものです。現在JR神戸駅三ノ宮駅で大阪方面行きの電車を待っていると、東西線経由松井山手行き」の普通電車が頻繁にやって来ますが、松井山手駅が開業したのは1989年3月の片町線全線電化時のことでした。

その後、「片福連絡線」と言われていた全線地下の東西線が1997年3月に開通し、「片町」駅はこの時廃止されてしまいました。ちなみに、現在活躍中の207系電車が導入されるようになったのは1991年、1980年に101系の後継として投入された103系はこの後1996年に引退しています。



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長尾からはキハ58+キハ35に乗り換え 1989年3月


ちょっと103系からは話は逸れてしまいますが・・・全線電化前は、長尾まで電車でやってくると、地下通路でホームを渡り、1番線で待機しているディーゼルカーに乗り換えとなるわけですが、ここから木津方面への列車の本数はガクっと減って1~2時間に1本ペース、しかもキハ58+キハ35の2両編成という何とも言えない組み合わせでした(笑)。沿線の宅地開発が着々と進み、沿線人口が増えてきたせいなのか、従来のクロスシート車だけでは対応できず、かといっていきなりロングシートオンリーにもできなかったということなのでしょうか・・・。

また、当時の非電化区間同志社前」駅が開業したのは私が大学3年の時、1986年のことでしたが、同志社といえば、京都の今出川にメイン・キャンパスを持つお洒落なイメージを持つ伝統校ですが、この時、教養課程については新設の田辺キャンパスへ移転となりました。バイト先で出会った同志社の人たちは口々に「せっかく同志社に通ったのに、こんな切ない通学アリやと思いますか」とぼやいていたのを思い出します。で「**さんはいいですよね、阪急で通学だから」とか言うので「アホ言え、毎日長距離通学の最後にプチ六甲登山やらされてるこっちの身にもなってくれ」と返しておきました(笑)。



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木津へ向かうキハ35・長尾駅発車前

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これはどこの駅でしょう・・・?


非電化区間長尾-木津間は概ね25~30分程度、私が行ったときは電化直前ということで架線も既に張り巡らされており、電車化によるホームの嵩上げも概ね終わっているようでした。下の写真は、対向列車行き違いの時のもので、私が乗った列車とは逆に、キハ35を京橋側に、キハ58を木津側に連結した編成ですが・・・どこの駅か、完全に忘れてしまいました(笑)。デジカメを使っている今であれば、駅名標か何かを撮っておくのですが・・・。田辺か下狛か・・・とは思うのですが、もしおわかりの方がおられましたら、是非ご教示下さいませ・・・。

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京橋駅の案内表示「大住より遠方は長尾でのりかえ」の表示が懐かしい