△政治力大魔王:ギ・リジェ

attached(1)ポートレイト

政治力大魔王(笑) ギ・リジェ


今回の「古館語録」、古くからのF1ファンには中堅チームとしておなじみだったリジェのオーナー兼監督だったギ・リジェです。

「古館実況」時代には、過去の栄光もどこへやら、日本のF1ファンにとっては「フランス純血主義」に必要以上にこだわろうとする「ヨーロッパのイヤラしさ」を体現したチームとしてのイメージが強かったのではないでしょうか・・・。古くはリジェで6勝をマークした「フランスのパトレーゼ」鉄人ジャック・ラフィットをはじめとして、パトリック・デパイエ、ディディエ・ピローニ、それからティエリー・ブーツェン、エリック・コマスオリビエ・パニス、そしてマーティン・ブランドル等々職人系の渋い人が歴代のドライバーを務めた、それなりに味のあるチームでしたが・・・・。そうそう、我らが「電気系統」アグリさんの現役最後(1995年)のチームがここリジェだったことも忘れてはいけません(笑)。それからオリビエが96年にマークしたリジェ最後の9勝目が、無限ホンダのエンジンを積んだマシンだったことも。


(1) 政治力大魔王

(2) フランスの顰蹙大統領

(3) 与党のリジェ、野党のラルース


ギ・リジェといえば・・・日本のF1ファンにとっては、とりわけ(1)のフレーズのイメージが強いのではないでしょうか。元々はラグビーの選手、スポーツカーレースの名手としての経歴を持つギ・リジェはその鬼瓦のような風貌と押し出しの強そうなガタイ・・・「レーシング・オン」誌の記事で「冬のテストの時は酒を手放さない」なんて書かれてたら「やっぱり」と思ってしまう強面のイメージ。当時のミッテラン大統領やFISA会長ジャン=マリー・バレストルとも親しく、資金力「だけは」そこそこある・・・。でもドライバー的にもエンジニアリング的にもその資金力を生かし切れていない・・・。1980年代後半から90年代初めにかけて、ジャック・ラフィットが去ったリジェはそんなチームでした。何回もこのコーナーで出てくる「B級F1ドライバー研究会」http://www.gem.hi-ho.ne.jp/oono/ では国粋主義者ギ・リジェ」などと書かれてたりします。まさに(2)のイメージですね。ルノーフェラーリのエースを張っていた往年の名ドライバー、ルネ・アルヌーフルタチさん「妖怪通せんぼジジイ」と言われ晩節を汚してしまった(爆)のもこのチームででした・・・。

(3)とも関係してきますが、リジェの「政治力」が最大限に発揮されたのは、何と言っても1990年シーズン・オフでしょうか。このとき、アグリさんの3位、エリック・ベルナールの4位入賞で11点をマーク、コンストラクター6位に付ける活躍を見せた同じフランスチームのラルースが「チーム名はエスポ・ラルースなのにローラ製のシャーシを使っている」ということをFISAにとがめられ、コンストラクターポイントを剥奪されるという憂き目に遭ってしまいます。ただこの問題については、ラルース側からシーズン始めにFISA側へ打診があって90年シーズンはチーム名をこれまでの「ラルース・ローラ」からタイトル・スポンサーの名前を付けた「エスポ・ラルース」に変更することについて了承されていたそうです。

それなのにシーズン・オフになっていきなり「今シーズンのポイントは無効」とFISAが言い出した背景にはコンストラクター上位10チームに対してFOCA(F1製造者協会)が行っていたシーズン中の輸送費優遇措置(要はFOCAのチャーター便に乗せてもらえる)を得たいリジェがラルースを引きずりおろすために暗躍した・・・と言われています。しかも、1991年シーズンには念願のルノーからエンジン供給を得ることになったわけですから・・・。

しかしながら、チームのパフォーマンスが一向に上がらないことと、フランスの政治状況の変化から、ギ・リジェの発言力と資金力は次第に弱まっていきます。そして、1993年には、リジェはチームの株をほとんど売却し、実権を実質上手放してしまいます。あとは「リジェ」という名前だけが残る形になり、アグリさんがブランドルとシートを分け合う形で乗ったり、無限ホンダがリジェにエンジンを供給したのはこの時期です。そして、リジェの「オールフレンチの夢」は、かのアラン・プロストに引き継がれることになりましたが・・・最後はチームの解散、という結果に終わってしまったのは周知のことと思います。リジェもプロストも「オールフレンチ」にこだわるあまり、必要な人材の確保ができなかったのがネックになったのではないでしょうか・・・。


1967年、自らのプライベート・チームを興してF1に打って出た2年目のシーズンのギ・リジェ。この時37歳。F1ドライバーとしては13戦に出場、ニュルブルクリンクでマークした1点が唯一のチャンピオンシップ・ポイントだった・・・。