●JR福知山線脱線事故~「人」を大切にするということ

一昨日の朝のことですが、朝9時18分ちょうど、社内の各課室に一斉放送が流れ、全員がその場で起立して1分間の黙祷を行いました。

そうです、尼崎駅近くのJR福知山線脱線事故からちょうど1年が経ちました。この鉄道史上に残る大惨事をまとめ、総括するには、まだまだ分からないことも多く、いろいろな思いが交錯して、まだ今年は記事にできないだろうな・・・と、実は今の今まで思っていました。

そう思いつつ、帰宅していつものように自分のBlogを開け、「お気に入りブログ」のところをふと見ると、この事故に関する記事タイトルが挙がっていました。鉄道系のところではなく、いつもF1の話題でお相手いただいているFUMMYさんの「お気楽な私の悲喜交々な日々」

普段と変わらない日常が始まると思った朝に、あのような事故・・・。
たまたま福知山線で起こったことであって、どこで起こるとも限らないと思わせたことから、
あの路線を利用している人だけではなく、誰もが背筋を寒くしたことと思います。

とFUMMYさんは「福知山線脱線事故から1年」で書かれていますが、確かに私も、いつも通勤で使っているあの「山岳地下鉄」で同じようなことが起こったとしたら・・・と考えると地下線内であるだけに一層その思いを強く感じます。そこで、私の心にも「火が灯いた」といえば大げさですが、自分なりにあの事故について考えたことをまとめてみました。

◆事故の原因とその背景にあるもの

福知山線脱線事故の原因については、現在航空・鉄道事故調査委員会等によって解明が進められていて、現時点ではまだ正式には確定されていません。この事故の経過と原因については、Wikipediaのリンクを参考に挙げておきたいと思いますが、当のWikipediaの該当記事(「ノート」の項)や鉄道関係の掲示板でも保安装置、車両の構造、現場の設備からJR西日本の「企業体質」に至るまで様々な観点から議論されています。ただ、現時点では直接に事故の「引き金を引いた」のは、やはり経験11ヶ月の若い運転士のヒューマンエラーなのだろうと思います。停車駅でのオーバーランによって生じた遅れを取り戻すため、制限速度を大幅に超過して現場のカーブに突入してしまった・・・。そのミスにATS等の保安装置や車両、現場の設備などの要因が複合して事故が起きたと考えるのが妥当なところでしょうか。

そこで気になるのが、オーバーランを引き起こしたりダイヤ遅延を生じさせた運転士に対する再教育制度としてJR西日本で行われている「日勤教育のことです。「日勤教育」が運転士の再教育というよりはある種の懲罰やいじめのようなものと化していたと現在問題になっているようですが、事故を起こした運転士は、過去に別の路線でオーバーランをやってしまって日勤教育を受けたことがあり、再度の日勤教育を恐れるあまり無謀な運転をしてしまったことが今回の事故につながったとも言われています。その背景には、平行する私鉄に対抗するために設定されたと言われる、車両性能に比べて余裕がなく、時として運転士に「神業」を要求するタイトなダイヤ設定もあると思われ、オーバーランや速度超過、運転士のミスによるダイヤの遅延等のヒューマンエラーを誘発しやすい状況にあったとも言えるかもしれません。

◆運転士への「再教育」のありかた

そこで、「安全」よりも「利益」を優先しているのか・・・と事故後のマスコミ報道や掲示板での議論の中でJR西日本のそういう「企業体質」を問題視する声が一斉に挙がったわけなのですが、併せて運転士への再教育の一環として行われていた「日勤教育」も議論の対象とされ、批判、擁護それぞれの立場からいろいろな意見が出されました。

何百人もの乗客の命を預かる鉄道車両の運転には、「プロ」としての高いモラルが要求されるのだから、ミスを犯した者にはそれ相応の再教育や同時に何らかのペナルティが必要だ、という考えは決して間違いではないでしょう。しかし、メカニズム的に複雑で重量(1両当たり約25~40t)がある鉄道車両の運転とは技術と知識と経験の科学でもあり、再教育には「人の命を預かるプロとしての自覚を持て」的な精神論からのアプローチだけでは不十分で、同時にミスの原因の冷静な分析と再発を防止するための具体的かつ実践的なプログラムも必要ではないでしょうか。また、複雑な操作手順を踏み、時と場合によってはある種の「職人芸」や瞬時の判断を要求される鉄道車両の運転にはメンタルな部分も大きく影響しており、ミスに対しての厳罰主義的な対応だけではかえって大きなミスを誘発することになりはしないか、とも思います。

◆「人」を大切にするということ

そう考えていくと、多くの人の命を預かる鉄道事業者として、運転士に限った話ではなく、起こりうるヒューマンエラーにどう対処するか、言い換えれば、中で働く「人」のミスにどう対処しているか・・・ということは、その事業者が中で働く「人」をどのように考えているか・・・ということに密接につながっているのだと思います。さらに言えば、「人」をどのように育てようとしているのか、その「人」がミスを犯してしまう、ということからどのようにして守っていこうとしているのかということが今回の事故の教訓として問われているのではないでしょうか・・・。つまり、中で働く「人」を大切にしているのか、ということ。

ここで、「プロとしてのモラル、という視点はどうなっているのか」「乗客の安全を守る、という視点はどうなっているのか」というツッコミが入るのかもしれません。でも、逆説的に言えば、乗客に直接関わり、サービスの提供を行う「人」を大切にしてこそ「プロとしてのモラル」を育て、同時に「乗客の安全を守る」ことができるのではないでしょうか。このことは、何もJR西日本やその他の鉄道事業者に限らず、あらゆる公共交通機関の事業者についても言えることだと思います。そして、さらに大風呂敷を広げてしまえば、このことは、公共交通機関に限らず、私たちが日々携わっている「仕事」についても当てはまることだと思います。そこまで言ってしまえば、自分の胸からも血が噴きだしてくるのですが・・・・・・・。


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福知山線新三田行き普通電車 尼崎駅



【外部リンク】
●JR福知山線脱線事故 -Wikipedia