●クモハ102/103-3501:播但線用H1編成
【車両履歴等・クモハ103-3501】 1974(S49).01.24 モハ103-427として新製(川崎重工)、高槻電車区に配置 1983(S58).05.15 明石電車区に転属 1985(S60).03.07 淀川電車区に転属 1989(H01).01.25 鷹取工場で先頭車化改造、自動解結装置を装着、車番はクモハ103-5007に。 1994(H06).11.26 吹田工場で自動解結装置を撤去、車番がクモハ103-2506となる。 1994(H06).11.27 日根野電車区へ転属 1998(H10).03.05 鷹取工場で延命体質改善工事、ワンマン化改造、車番はクモハ103-3501に。 1998(H10).03.06 網干電車区(現・総合車両所)へ転属、播但線電化に伴い投入
【車両履歴等・クモハ102-3501】 1974(S49).01.24 モハ102-583として新製(川崎重工)、高槻電車区に配置 1983(S58).05.15 明石電車区に転属 1985(S60).03.07 淀川電車区に転属 1994(H06).11.27 日根野電車区へ転属 1998(H10).03.05 鷹取工場で先頭車化改造、延命体質改善工事、ワンマン化改造、 車番がクモハ102-3501となる 1998(H10).03.06 網干電車区(現・総合車両所)へ転属、播但線電化に伴い投入
【ノート】 *この編成のうち、奇数側のMc103-3501については、車歴にもあるとおり、片町線電化に伴い先頭 車改造を受け(5000番台化)、その後余剰となって自動解結装置を撤去(2500番台化)されて阪和線 に転属、さらに播但線電化に伴いワンマン化改造、リニューアル工事を受けて播但線入り…と複 雑な経歴を持っています。 *一方、偶数側のM'c102-3501については、Mc103-3501とほぼ同じ転属歴を経ながら、3500番台化 の時点で初めて先頭車化改造を受けています。 *播但線用の3500番台は、3500番台化の時点で体質改善工事を受けており、後の加古川線電化時に 投入された3550番台が、あらかじめ体質改善工事を受けた車両を選んで先頭車化改造を施された のとは対照的です。
【参考・別記】
<クモハ103形5000番台への改造>
*1989年3月、片町線が完全電化されたことに伴い、電車運転は木津まで延長されましたが、松井山手(電化延長時に新設)で編成を分割・併合することとなり、編成の基本が片町側から「Tc-M-M'-T'+Mc-M'+Tc」とされました(松井山手から先はMc-M'-Tc)。
*分割編成のMc車については、モハ103形を先頭車化改造を施して賄い、分割・併合に備えてT'車(サハ102)とMc車に自動解結装置を取り付け、5000番台車が誕生しました。
<5000番台から2500番台への再改造>
*片町線では、1991年から207系が投入され、余剰となった車輌は転配されることになりましたが、そのうち自動解結装置を装着したクモハ103形5000番台ついては、順次関連機器が撤去され、それに本来なら本の車番に復するべきところ、元々が中間電動車であるため、帰るべき番号がなく、2500番台に再度改番となりました。
<クモハ103形5000番台への改造>
*1989年3月、片町線が完全電化されたことに伴い、電車運転は木津まで延長されましたが、松井山手(電化延長時に新設)で編成を分割・併合することとなり、編成の基本が片町側から「Tc-M-M'-T'+Mc-M'+Tc」とされました(松井山手から先はMc-M'-Tc)。
*分割編成のMc車については、モハ103形を先頭車化改造を施して賄い、分割・併合に備えてT'車(サハ102)とMc車に自動解結装置を取り付け、5000番台車が誕生しました。
<5000番台から2500番台への再改造>
*片町線では、1991年から207系が投入され、余剰となった車輌は転配されることになりましたが、そのうち自動解結装置を装着したクモハ103形5000番台ついては、順次関連機器が撤去され、それに本来なら本の車番に復するべきところ、元々が中間電動車であるため、帰るべき番号がなく、2500番台に再度改番となりました。