▲ジルは「危険なドライバーか?」②~ポスルスウェイト博士の証言

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ジル、オン・ザ・コックピット




「ジルは危険なドライバーか?」の第2回、前回はジルのキャリアのトピックとなる1979年フランスGPについて経過とその後に起こった論争について振り返ってみたが、ここで一度この79年のバトルから離れてみて、同時代的なジルの評価について、当時ジルに関わりの深かった関係者やドライバーのコメントを拾ってみたいと思う。

まず今回は、チーム関係者の証言として、ハーベイ・ポスルスウェイト博士のコメントを引いてみたい。


1 ハーベイ・ポスルスウェイト博士とは


ハーベイ・ポスルスウェイト氏(1944~1999)は、1981年シーズン途中からマシン・デザイナーとしてフェラーリに加入、ジル・ビルヌーブのドライビングを身近で見続けた関係者の一人である。1987年、ジョン・バーナードにポジションを奪われる形でティレルに移籍、ここで博士は「ジルに憧れモータースポーツを志した」ジャン・アレジとも奇しくも関係を持つこととなる。ポスルスウェイト博士は92年シーズン途中から再びフェラーリへ加入、ここでもまたアレジのドライビングに接することになるに至っては、「奇遇」以上の縁があったと考えるべきだろうか…。

引用するコメントは、「Sports Graphic Number」誌 No.336(1994.3.31)のP61以降の「ジル・ヴィルヌーヴの残像」に掲載されている。若干コメントの順は前後するが、ジル・ビルヌーブのドライビングについて評している部分を抜粋したい。


2 ジルのマシン・コントロールとは…


ポスルスウェイト氏は、ジルのマシンコントロールについて、以下のようにまず絶賛している。


リミット一杯のところでマシンのバランスを取りながら走る技術は、私が自分のF1生活のなかで見てきたドライバーのなかでも間違いなくトップクラスだ。平面の上でなく三次元の世界でコントロールしていたかのように感じさせられたね。ジルに匹敵する能力のあるドライバーは、ロニー・ピーターソン、それから、うーん、ジャン・アレジの2人くらいかな。アイルトン・セナアラン・プロストも素晴らしいテクニックを持っているが、アクロバティックにマシンのバランスを取ることにかけては、ジル、ピーターソン、アレジの方が上だろうね。

(太字はo_keke_nigelによる。以下同じ)

続けて、ジルがドライブした時代のF1マシンの特性と関連づけてこう述べている。


'80年代前半のターボカーのような突然予期せぬ挙動を示すような、運転の難しいクルマをコントロールする能力は、ジルが一番だと思う。歴代の一流ドライバーが同じコンディションのマシンで競争したとすると、一番速いのは彼だろうね。ただ、ワールドチャンピオンになるには、もう少し頭を使う必要があると思う。私が仕事をするとしたら、そうだね、チャンピオンシップをとりたいならセナと、レースを楽しみたいならジルと一緒のチームになりたいね。


具体的にジルはどういうマシン操作をしていたのか…ポスルスウェイト氏はジルのテクニックは特に「スロー・サーキット」で力を発揮する、としてこのように言う。


ジルは、モンテカルロやハラマ、そしてフェラーリのテストをしたフィオラノなどのスロー・サーキットで特に力を発揮した。でも、ファースト・コーナーではピローニの方が彼よりも速かった。というのはジルはいつもマシンを微妙に動かしているのが好きだったからなんだ。ステアリングを固定することなく、つねに動かしていた。いつもマシンをスライドさせて、それをコントロールする喜びを感じていたんじゃないかな。しかし、ファースト・コーナーを速く抜けるには、ラインを正確にトレースしなくてはならない。少しでもスライドさせるとタイムロスにつながる。そのかわり、スロー・コーナーでのジルのコントロールはファンタスティックだったよ。ブレーキングを極限まで遅らせて、抜群のステアリング操作とアクセル操作でバランスを取る。シケインの抜け方なんかは最高だった。



3 ジルのドライビングの「強さと弱さ」


このポスルスウェイト博士の上の証言にジルのドライビングの「強さと弱さ」がまさに集約されている、と私は思う。「ジルはいつもマシンを微妙に動かしているのが好き」「いつもマシンをスライドさせて、それをコントロールする喜びを感じていた」「ブレーキングを極限まで遅らせて、抜群のステアリング操作とアクセル操作でバランスを取る」…常に不測の状態に備えてマシンの挙動を修正できるようにしておく、というスタイルは確かに低速コーナー、つまり高速からブレーキングで急激にスピードを落としてコーナリングするタイトなコーナーにはこのスタイルが合うし、こういうコーナーがパッシング・ポイントにでもなっていれば見る側としても「わかりやすくて面白い」。

でも「ファースト・コーナーを速く抜けるには、ラインを正確にトレースしなくてはならない。少しでもスライドさせるとタイムロスにつながる。」とポスルスウェイト氏は評する。この「ラインを正確にトレースする」ドライビングこそが「高速コーナー」だけでなく、あらゆるコーナーで要求される近代F1のドライビングだと思われる。マシンのデザインに空力という要素が取り入れられることによって「マシンの姿勢の理想値」そして「理想とされるコーナリングライン」は限りなく一つに近いものとして考えられ、その「理想の値」に最短距離で到達するドライバーが「速く走れるドライバー」ということになる。それは、「ウィングカー全盛の時代」、つまりジルが現役の時代にはすでにそうなりつつあった。

さらに、ジルのドライビングについて、ポスルスウェイト氏はこういう。


彼はすべてのラップを全開で走った。クルマへの当たりはハードだったね。レースがフィニッシュした時にはマシンもフィニッシュしていた。彼と初めてテストをした時、壊れようのない頑強なドライブシャフトを持ったマシンだったんだけど、それが壊れた。私たちはメカニカルトラブルだと思った。が、その次もまた壊れた。その時に、ジルの誰よりも激しい運転のせいだとわかったんだ。それに、サーキットで一般道でもアクシデントを避ける能力はそれほどじゃなかった。彼のフェラーリ308は週に1回は事故を起こしていたのだからね。


「マージンを取らないジルのドライビング」が時として「危険」と評される所以であるが…「ワールドチャンピオンになるには、もう少し頭を使う必要がある」の部分について、博士は具体的にアイルトン・セナと比較しながらこう言う。


私がフェラーリにいたとき、アレジのテレメトリーを見ていると、彼のステアリングもつねに動いて居るんだ。それから雨でのドライビング。ジルもアレジもどちらも素晴らしい。セナ? まったくタイプが違うね。セナはドライブしながら考え、そしてセットアップを繰り返していいクルマに仕上げていく。だけど、ジルやアレジは頭よりもハートで走るドライバーだ。予選が終わったあと、セナは何時間でもテレメトリーとにらめっこしてるけど、ジルやアレジは30分もすると帰ってしまう。そのあたりも、あの2人はよく似てるような気がする。他のマシンを追い越すのは、ジルもセナも上手いけど、セナの追越しには深い計算がある。だけど、ジルは「ヤツは遅い。だから追い越す」としか思ってなかったんじゃないかな。ジルは、みんながゆっくり走っているように感じていたんだろうね。彼は生まれながらのタレンティッド・ドライバーだった。あの速さはナチュラルだった。ミハエル・シューマッハーやプロストは、セナと同じようなタイプだよ。



4 ジルは「時代遅れ」だったのか?


「だけど、ジルは「ヤツは遅い。だから追い越す」としか思ってなかったんじゃないかな」の部分は非常に示唆的である。「ジルは、みんながゆっくり走っているように感じていたんだろうね。彼は生まれながらのタレンティッド・ドライバーだった。あの速さはナチュラルだった。」

ここまでのポスルスウェイト氏のコメントと、「サーキットの中での思い出というと…彼の場合はすべてのレースが思い出だね」との「ナンバー」誌のインタビューの最後に締めくくったコメントを対比させてみると、F1というスポーツのリアリズムというか非情さに正直胸が引き裂かれる思いがする。純粋にスポーツ、という観点、しかも「プロフェッショナルの最高の技」を見るという観点からすると、ジルのドライビングへのアプローチはもちろん魅力的に映る。しかしそのジルの「才能」がより高い地点に上り詰めることの「障害」でもあったのだとしたら……いや、まだ結論めいたことを言うのには早すぎる。


あちこちにさまよう私自身の思考過程をいみじくも今回は露呈してしまった形になったとも思えるが、次回は「同時代のドライバーの証言」について考えてみたいと思う。