▲ジルは「危険なドライバー」か?④ジルとオーバーテイク ~魅力と危うさ

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国道27号線 ~小浜線若狭和田駅付近



今回は、再び1979年フランスGPに話を戻して、ジル・ビルヌーブのドライビングの魅力と危うさについていったん「総括」しておこうと思う。

その前に、そもそも「オーバーテイク」とはどういうものなのか、ということについて触れておきたい。

格好のケース・スタディがある。1990年最終戦オーストラリアGPの最中、F1・500戦記念として3回のワールド・チャンピオンに輝いたジャッキー・スチュワートアイルトン・セナにインタビューを行った際の「論争」である。


1 ジャッキー・スチュワートアイルトン・セナのドライビング「論争」


【凡例】
 *<JS>:ジャッキー・スチュワート
 *<AS>:アイルトン・セナ
【注】
 *日本語訳はフジTV「1990年F1総集編」のものをベースに採用した。また、文中太字はo_keke_nigelによる。


<JS>
500戦目ということで、聞きたいんだけど、君はこの4年の間に他のマシンと接触した回数は、これまでのチャンピオンが起こした事故の回数よりも多いんだよ。君は、ここ3~4年で、こんなにもぶつかっている。かつてのチャンピオンは、ぶつからなかったもんなんだが…君はどう思うかね。

<AS>
レースをよく知り経験もあるあなたがこんな質問をするとは驚きだね。ドライバーは常に危険と隣り合わせで競争しなければならない。隙間を突いていかない奴なんてドライバーとして失格だ。どうしてあなたがそんなに話をねじ曲げるのか理解できない。そんなのでたらめだらけだ。
<中略>
<JS>
それじゃあ何かね、君は、隙間さえあれば無意識のうちに飛び込んでいるんじゃなくて、考えて運転している、というんだね。とてもそうは思えないんだが…無意識のうちに飛び込んでいると思うよ。

<AS>
マシンパワー、タイヤグリップ、空力特性が非常に似ているので、マシンは非常に接近して走る。でもサーキットは追い越しが難しいように設計されているから、プロドライバーとして勝つ信念がないと、下位に甘んじてしまう。僕は3位や4位になるためでなく勝つためにレースをしているんだ。可能性のある限り、勝利のためだけに走る。いつも完璧な走りはできないから、たまにはミスもする。僕の意見には賛否両論だろうが、レースをするのは僕だからね。僕には自分の思った通りのことしかできないよ。


ここでどちらが「正しいか」ということを考察することにはさほど意味はないと思う。'''プロのレーシングドライバーとしての心構えという観点からすれば、セナの考え方は間違ってはいない。

しかしながら、ジャッキー・スチュワートにしてみれば「そんなことは言われなくても分かっている」ということなのだろう。オーバーテイクとはどういうものなのか、時速200km以上の高速域でマシンが互いに接近して走ることがどういうことなのか、認識した上で仕掛けているのか。認識しているのなら、どうして何度も他車と絡むのか…。

折しもF1ワールド・チャンピオンシップは、セナとアラン・プロストという卓越した2人のドライバーが89、90年と2年連続で、2人が接触し、共にリングアウトになることによって決着が付くという後味の悪いものだった。

2 オーバーテイクの魅力と危うさ


上で挙げたジャッキー・スチュワートがセナへ向けた「君は隙間があれば…無意識に飛び込んでいると思うよ」という言葉は、ジルとルネ・アルヌーのバトルに向けてマリオ・アンドレッティが放った「ただ単に、二頭の若いライオンが牙を剥き合っただけだ。危険極まりないくだらないバトルだ」(ジルは「危険なドライバー」か?参照)という酷評と時間を超えて結びついているように思える。

オーバーテイクは確かに魅力的だ。プロとプロが互いの持てる力と情熱の限りを尽くした、タイトなコーナーでのブレーキング競争やストレートでのスリップ・ストリーム合戦。あるいは先行する相手にフェイントをかけてアウトに振っておき、ズバッとインに切り込むかと思えば、インに飛び込むかと見せておいてアウトからキメる大外刈り…オーバーテイクはモーターレーシングに数多くのドラマを生んできた。でも一歩間違えば、互いに行き所をなくして接触、場合によっては第三者をも巻き込んだ命にも関わる大事故にもつながりかねない。

オーバーテイクには、状況への的確で素早い判断とその時々の状況判断に応じたマシンのコントロール能力、そして、おそらくこの部分が重要なのだと思われるが、相手のドライビングスキルに対するある種の「信頼感」も必須なのだと思う。 しかも、それらは攻める側だけではなく守る側にも必要なのだ。

オーバーテイクモータースポーツの「華」とも言える素晴らしいシーンであるが、同時に高速で走行するマシン同士が接近し、ドライバーの高度な判断と技術を要する危険なギャンブルでもある。いわばモータースポーツの「光と影」を同時に体現したものとも言えるだろう。


3 ジルとルネ・アルヌーのバトルを考える


ここで、もう一度ジルとルネ・アルヌーのバトル、1979年のフランスGPを振り返ってみたい。

▲ジルは「危険なドライバー」か? →ドライビングの経過
◆F1 France GP 1979 →動画シーン

これは、マリオに言わせれば、それは「たまたま結果的にそうなっただけ」ということなのかもしれない。「お互いガードの甘い殴り合いを何も考えずにしただけ」'''ということなのだろう。

でも改めてよく見てほしい、特に最終ラップ。それぞれのコーナーで2人は無茶をしているようにも見えるが、全体を通して見てみれば、攻める方は決して行き場がなくなるような無謀な飛び込みはしていない。また、守る方も相手に車1台分のマージンをきちんと残して押さえている。片方がインに飛び込んでノーズが前に出る…仕掛けられた方は無理に押さえようとはせず先に一旦は行かせる。次は自分が攻め返せばいいからだ。

そう考えていくと、一見ノーガードで殴り合っているようにも見える彼らのバトルがまた違って見えてくるのではないだろうか。あたかもジルとアルヌーの間でオーバーテイクという共同作業」が行われているかのような印象すら受ける。

ジルは、レース後のマリオや他ベテランドライバーたちの批判に対して、こう答えたと言われている。


「僕たちはお互いに怯えなかった。尻込みして譲ることをしなかった。お互いにお互いのウデを信頼し合っていた。だからあのバトルができたんだし、心から楽しむこともできたんだ。あんたらにそれができるかい? あんたらなら、たぶん怯えてアクセルを緩めてしまっていただろうさ」

ジル・ビルヌーブ列伝1979年 (「めあ5歳」さん)より
<太字はo_keke_nigelによる>

「お互いにお互いのウデを信頼し合っていた」ここがポイントだと思う。傍目には無謀で後先を考えないアタックの応酬に見えたとしても、ジルにしてみれば互いの能力を認め合った上での計算づくのバトルだった、というのである。2人のバトルは、互いのテクニックとガッツ、そしてフェア・プレーに貫かれたバトルだった、だからこそ今なおレースファンや関係者の間で語り継がれ、時として「これこそがバトルの、オーバーテイクのお手本だ」と言われる所以である。


4 ジルは「危険なドライバー」だったのか?


ジルのドライビングを振り返ってみれば、確かにアグレッシブな、時にエキセントリックとすら思えるエピソードには事欠かない。それはレースを離れたプライベートでも同様で、親友パトリック・タンベイ「彼は全生涯を時速200マイルで駆け抜けたんだ」と評し、セナと「論争」を繰り広げたかのジャッキー・スチュワート「ジルにはいつもどこか純真すぎるくらいナイーブな面があっただろ?」という(いずれも<レーシングオン誌 No.122 92.7.1 「思い出のジル・ビルヌーブ」ナイジェル・ルーバックの5thコラム P66~>による)。彼は傍目には「まるで自分の回りを包んでいるバリアを突き抜けようとしているかのような走りをしていた。」と映り、自らも「いつだって病院に担ぎ込まれる可能性がある。でも、それが恐くはない。レースにはリスクが付き物だと分かっているからね。」と公言していた。

だから、79年のフランスGPの時だけではなく、当時から彼のドライビングの過激さと危うさを指摘する声はあったし、今なおそういう批判はある。確かにプロストやセナ、ミハエル・シューマッハといった近代F1の偉大なチャンピオンたちと比較すれば、ジルに「足りないもの」はたくさんあるだろう。

しかし、それ以上に評価されていたのは、「勝利への燃えるような執念」がどのポジションを走っているときでも同じように発揮された、ということと、その思いを支える、リミット一杯のところでマシンのバランスを取りながら走るスペクタクルなドライビング・テクニックだった。ジルに与えられていたのは必ずしも一級線のマシンではない。それでも彼はへこたれることなくあくまでも「タイガー」としてプッシュし続けた。しかも79年のフランスGPに象徴されるようなフェア・プレー精神の持ち主。

ジルの魅力と表裏一体の危うさ、危うさと表裏一体の魅力。

最後に、ジルのよき「バトル・パートナー」だったケケ・ロズベルグのコメントをもう一度引いておきたい。


「コース上の彼は……」とケケ・ロズベルグは言う。「戦う相手として彼ほど手強い男はいなかった。正々堂々と渡り合うってやつでね。見事なもんさ。レースが彼にとってはスポーツなんだな。だから間違ってもエゲツない真似はしないね。そういうことが我慢できない性なんだよ。ふつうは皆多少なりともやってるのにってさ……。コーナーでスパッときれいに彼のインをついてごらん。やられたな、ってくらいのもんさ。スンナリ行かせてくれるんだよね。ところが驚くなかれ、次のコーナーで見たら、ぴったり後ろに食らいついているじゃない。凄いドライバーだよ、まったく……」

<レーシングオン誌 No.122 92.7.1 「思い出のジル・ビルヌーブ」ナイジェル・ルーバックの5thコラム><太字はo_keke_nigelによる>


*次回からの「ジルとヘンリの神話作用」は、話題をラリーストのヘンリ・トイボネンに移したい。



【参考リンク】
◆めあ5歳
~「ジル・ビルヌーブ列伝」(おまけのこーなー)は、未完ですが各シーズンごとのジルのレース記録とトピックを詳細にたどった力作です。

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