▼長い尻尾への旅・2年目

【1 「ブログ」との出会い】



「ブログならものぐさな私でも更新できるかな?」


と、自分のブログ紹介文を締めくくってYahoo!の中にブログサイトのスペースを作ってからちょうど1年になりました。

ブログの特徴といえば、大雑把に整理してみると、

 ・フォーマットに従って記事本文を流し込み、画像を選べば「記事」を簡単に作成できること。
 ・過去の記事をカテゴリ分けしたり、レイアウトの設定次第で見せ方をいろいろに変えられる整理性のよさ。
 ・コメント、トラックバック等で記事へダイレクトに反応を送ることができるなどコミュニケーション性の高さ。

ということになると思われますが、特にYahoo!ブログはコメントやトラックバックといった他のブログサービスにも共通の機能の他に、「お気に入り登録」(ファン登録)や「傑作ボタン」「ゲストブック」、それから各ブロガーのポートレイトとでもいうべき「アバター」や「訪問者履歴」といった機能までが装備されていて、そのコミュニケーション性の高さmixiなどのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)に匹敵するものがあります。

時に鉄道車両の「貫通幌」の形態学やF1シーンを「熱く」しかも「暑苦しい」ほどに語り、ある時はかつてフジTVのF1実況を担当していた古館伊知郎氏のフレーズを集めてきていちいちツッコミを入れてみたり、またある時にはどうということもない1枚の写真を引っ張り出してきて枝葉を伸ばしてみたり、と「歩く三年寝太郎」のような飽きっぽい私が曲がりなりにも1年続けられたのはやはり「ブログという情報発信のフォーマット」、とりわけYahoo!ブログのコミュニケーション性の高さに拠るところが大きく、限られた時間の中で訪問して下さった方々にコメント等の反応をいただいているおかげであるとありがたく思いつつ些か気恥ずかしさも感じているところです。


【2 「消費される」ブログ記事】


ただ、記事作成のお手軽さとコミュニケーション性の高さには光と影の側面もあって、可視化された反応を追うあまりに、ともすれば「書きたい記事」よりは「コメントをもらえそうな記事」に目が向いてしまい、コミュニケーション性の高さに深く入り込みすぎて反応を性急に求めてしまうということも正直あります。「もうコメントが一生入らないかも」症候群というか「隣の人の食ってるギョーザはやたらデカい」シンドロームとでも言えばいいでしょうか(爆)。

そのあたりのメンタリティは以前「『未来の自分に向けて』書く」「正しいアクセスアップを行っているかを確認するための10の質問」で自戒を込めて書いたことがあるのですが、ブログ論やコミュニケーション論を色々見て回った中で出会った次の文章はブログという表現方法の持つジレンマのようなものを的確に言い表しています。

一生懸命、構成や文体を考えて記事書いて、推敲して、誤字脱字チェックして、校正して何度も確認してアップする。で、少し話題になったとしても、所詮一週間もしないで忘れ去られ、瞬く間に消費される。それは、とても効率の悪いやり方だよなぁーと悟った。ブログの記事ってのは、ライブ感が重要なんだな、って。それで、それに順応できなければ、ブログではなく、別の方法で評価をもらう事を考える方が得というか、合っているんだろうな、と感じた。
「消費されるブログ記事」(『斬(ざん)』souryuuseiさん)

実際、私がよく訪問させていただくYahoo!のブロガーさんの中でコメントやTB、「お気に入り登録数」等の可視化された反応を多く集めている方々はそういう「ライブ感」に上手にアジャストしていく中で注目される記事を書ける人たちなんだな、と確かに思います。私自身は「可視化された反応を追うあまりに」とネガティブな書き方をしましたが、それは自分の「得意な持ちネタ」とブログで反応を得やすいネタとの乖離を意識しているからであって、続けてsouryuuseiさんが書かれているようにブログとは「生な感覚で思いついたことを即書いて公開してしまう。そのパッションがウケる」ものなのかもしれません。

つまり、自分の書きたいネタと反応を得やすいネタをうまくシンクロさせられる人がブログに合う書き手であって、現に自分のブログの中でも、そういう傾向は実際にあったりします。


【3 でも、記事を書く楽しさが原点】


というように、好きなことを書きながらも、上で触れたようなジレンマに悩みつつブログ論やコミュニケーション論の記事をあちこち回って読みに行っていた過程の中で出会ったものに「はてなブックマーク」というソーシャルブックマークのサービスがあるのですが、webやブログのコンテンツをブックマークする際にメモ代わりのコメントを100字以内で入れられることに興味を持ち、ちょっと考えた後で自分でもweb版のネタ帳として使ってみることにしました。

で、先にご紹介したsouryuuseiさんの「消費されるブログ記事」をブックマークした際に私はこういうコメントを入れました。ちなみに余談ですが、その後souryuuseiさんの「『消費されるブログ記事』への反応集 」で私のコメントも取りあげていただいたのは嬉しかったです。

ストック志向の私には向かないメディア形式かも。でもコンテンツの分類とかupのしやすさ、という便利さは捨てがたい。「コメントやTB」が諸刃の剣なんだろうなぁ…反応がすぐ可視化されない状態に耐えられるか。
はてなブックマーク『斬(ざん)』:消費されるブログ記事より


Yahoo!ブログの魅力とはアップロードできる画像の容量の大きさ(2GB)と、先に述べたようにコミュニケーション性の高さですが、時としてコミュニケーションの不足というよりはむしろその過剰さの中で押し流されそうにもなりながら、「反応がすぐ可視化されない状態にも凹まずに」どれだけ自分のペースとリテラシを確保していけるかがこれからの自分の課題なのかな、と思っています。

一般に広くに公開しているのだから、読まれてナンボよ、読まれるには見られなけりゃ話にならんよ、とか、瞬間に咲き誇る花の美しさをその時々に愛でていればイイじゃないかという考え方は実際そのとおりだと思います。また、不特定多数に向けて記事を公開する以上は、自分の記事がどう受け止められているか、自分の書きたいことを伝えるための仕掛けや工夫についても常に意識しておかなければならないでしょう。しかも、どれだけ「頑張って」記事を仕上げたとしても読まれないまま、反応がないまま過去記事の中に埋もれていってしまうこともあるかもしれません。

でも、そういう現実を踏まえつつも、やはり最後の支えになる、というか一番最初に来るべきものは「記事を書き、upすることの喜び」であって、「他ならぬ自分自身が書きたいという気持ち」をまず大切にしたいと考えています。記事の受け止められ方への自覚や読まれやすくするための色々な仕掛けや工夫はそういう気持ちを前提として必要とされるものだと思っています。決して逆ではありません。また、「可視化された反応」とはある種のオマケであって、当然もらえれば嬉しいけれど、こだわりすぎて表現することの楽しみを見失うのは、何とももったいない話です。

この「消費されるブログ記事」へのブックマークについたコメントの中で、一番印象的というかいいなぁ…と思ったのはid:mindさんが私の次の日に入れられた次のコメントでした。

ネタを練って作上げてイイ物を完成させても、TVなどで大衆に公開、5~6回も見れば、内容(展開、オチ)が消費されてしまう。効率が悪い。 ――ローカルに徹して、地方巡業の長い旅の尻尾に出かければよいのです
はてなブックマーク『斬(ざん)』:消費されるブログ記事より

ブログに限らず、インターネットの世界は無限かと思えるほどの広さです。その中で絶対的な広さを持っているように見えるブロゴスフィアであっても、全体から見れば細分化されたクラスターのようなものにすぎないのかもしれません。だから「無名の個人が何をやっても所詮無駄」ではなく、だからこそ「地方巡業の長い旅の尻尾に出かける」楽しさもあるのかもしれません。


私自身の長い、長い尻尾への旅…まだまだ始まったばかりです。ゆっくりと、焦らず、楽しみながら歩いていきたいと思います。


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貫通幌へのオマージュ(笑) JR東日本大網駅東金線ホーム下から クハ111-1043等6連

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キミ・ライコネンのcoolなマクラーレンメルセデス 2006年F1日本GPにて



【06.10.18追記】
<本稿を書くに当たってもう一つインスパイヤを受けた記事>
●自分を表現する喜び(tonko_hardさん)「一歩後退、二歩前進」より
~やっぱりこの記事も紹介させて下さい。私が自分のブログライフに一番ジレンマを感じていた時期、この記事に心を動かされました(といいつつコメントもよう入れてないのですが…おいおい)。この記事を読んで感じたのは、こういう「ブレない想い」を表現する主体としての自分の中に持ちたいものだ、ということでした。