▲「サーキットの大道芸人」ジョニー・ハーバート

*今回の「古館語録」は、「花の64年組」の一人、ロータスベネトンザウバー、スチュワートといった中堅チームで89~99年の11シーズンにわたって活躍、3勝をマークしたジョニー・ハーバートです。

ジョニーは1987年のイギリスF3チャンピオン、1988年は国際F3000選手権で活躍、89年のベネトン入りを決めた矢先にブランズハッチで「スイスのデ・チェザリス」グレガー・フォイテク(彼も89年ユーロブルンからF1デビュー)の無謀なドライビングに巻き込まれ、右足に重傷を負ってしまいます。しかし89年の開幕戦には松葉杖をつきながらサーキットに現れてデビュー戦で堂々たる4位入賞、一躍注目を浴びることとなりました…。


(1)サーキットの大道芸人

(2)F1ひょうきん男

(3)ジョークのうまいイギリス人


ジョニー・ハーバートといえば、まず頭に思い浮かぶのが、パドックで時々やってたコスプレ」でしょうか。しかも女装(爆)。更にいえば結構サマになってる。この人のドライビングはストップ・アンド・ゴーの激しいスタイル。しかも全日本F3000選手権に参戦していたころ、そういうワイルドなドライビングではタイヤを上手く使えずにタイムが出ない、と言われていても頑として譲らなかったという頑固な側面もあるのですが、マシンを降りるとそこらへんでアホやってる学生のノリそのものだったとか。

あと、これも日本時代の話ですが、夏にピットで上半身裸になっていた時、カラダをくねらせてウッフンアッハン…そのうち自分で自分のチクビつまんでもだえ始めたそうな…と、この話早く書きたかったです。あースッキリした(爆)。


(4)F1一寸法師

(5)走るロビンフッド

(6)ハイテクロビンフッド


一寸法師」…アングロ・サクソンとしては(というかそれ以外でも)小柄な身長165cm。でもレーシング・ドライバーには結構いますね。そういえば、アラン・プロスト、アレックス・カフィ、中嶋悟片山右京、といったあたりも165cmでした。それにしても(6)は何か笑える。


(7)不死身のスーパールーキー


F1デビューの89年当時に言われていたフレーズ。上の話と重なりますが、前年の国際F3000選手権で、大活躍、89年のベネトン入りが有力視された矢先に「スイスのデ・チェザリス」(って私が言ってるだけですが)グレガー・フォイテクの無謀なドライビングに巻き込まれて大クラッシュ。重傷を負い、一時は右足切断の危機に陥ったそうです。当然ベネトンからのF1デビューはおじゃんになった…と誰もが思ったところが、ピーター・コリンズ監督は予定通りジョニーを開幕戦ブラジルからデビューさせると発表、松葉杖でサーキットに現れたジョニーは見事デビュー戦で4位入賞を果たしました。


(8)試練を陽気に笑って乗り越える男

(9)責め際のムードメーカー


と、F1デビュー戦こそ金星を挙げたハーバートですが、その後は怪我の経過が思わしくなく、次第にパフォーマンスは落ちる一方、とうとうシーズン途中でベネトンを解雇されてしまいます。ロータスに移籍したコリンズ監督から引っ張られる形でF1にカムバック(92~94年)し、フィンランドの若武者ミカ・ハッキネンと絶妙のコンビネーションで活躍しますが、慢性的な財政難に喘いでいたロータスは94年、ジョニーをリジェへ前代未聞の「売り」に出してしまいます。

そして95年にベネトンに抜擢されたものの、チームメイトはあの皇帝ミハエル・シューマッハ。ジョニーはこの1年間、ミハエルの完全な「奴隷扱い」だったといいます。その後もザウバー、スチュワートと苦しいシーズンを送ることになるのですが、悲壮感や苦労人ドライバーの疲労感が微塵も感じられなかったのは不思議でした…その中でマークした通算3勝、何気にすごい記録ではないでしょうか。


(10)かっとびハーバート

(11)炎のランナー

(12)炎のテクニシャン


F1に来たころのハーバートは、とにかくアグレッシブで勢いがありました。でも右足首の怪我は結局完治せず、微妙なアクセルワークはヒザのバネを使って足全体でコントロールしていたとか…。言動も最初は「生意気」とか「傲慢」とか言われていたようですが…やっぱり彼アタマいいんでしょうね、コリンズ監督かマネジメント側にプレス対応をきちんと教えられたのか、ロータスに帰ってきたころはすっかり「おもろいニイちゃんキャラ」に変貌を遂げていました(笑)。でいてドライビングは豪快、何気にハーバートのファンだったという人も結構いたのではないでしょうか?


(13)パステルカラーのイギリス人

(14)F1ライト兄弟


来た、(14)「F1ライト兄弟」(笑)。ミカとのコンビネーションは絶妙というか、「こいつら絶対デキてる」と言われるほどの親密さだったそうで、キスシーンを目撃されたとか、ホテルで同室に泊まったとか(西ヨーロッパ圏では同姓の同室泊は=同性愛を意味する…ってホント?)。でもそのとき既にジョニーは奥さん居たんですが(笑)。この2人の関係、「レーシングオン誌」の「GPS」のコーナーでさんざんネタにされ倒したのは言うもオロカなりでした。


(15)都会にミカは行った、ジョニーは田舎に残った


でも93年、ミカはマクラーレンと契約してロータスを離れ、2人の「絶妙なコンビネーション」も終わりを告げることとなりました。「田舎に残った」ジョニーが苦労したのは言うまでもないのですが、「都会へ行った」ミカにしても、勝てるドライバーとなるまでは長い苦難の道を歩くことになります。


(16)大英帝国中産階級

(17)ハイテク貴族


って庶民か貴族かフルタチさんどっちやねん(笑)。


(18)水を得たジョニー

(19)不敵な新人F1に返り咲いた、ジョニー・ハーバートロータス


(18)は、確か94年にロータスから契約をリジェに身売りされたことを指すものかと。その契約はさらにベネトンに転売された…と悲惨といえばいえるのかもしれませんが、ジョニーにとっては、むしろいい体制の中で走れるので良かったのではないか、と言われました。現にロータスを離れてからの94年のジョニーは、決勝こそ結果が残らなかったものの、予選はシングル・グリッドの常連となるなど「効果てきめん」でした…。(19)は、90年日本GPで前戦スペインで重傷を負い欠場したマーティン・ドネリーの代役としてロータスにスポットで乗ったときのフレーズ。



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(上)ラスト・シーズン(ジャガー) (下)1995イギリスGPで初勝利

[http://f1-facts.com/gallery/p/J.Herbert ]より