●第19回:一枚幌の装着方向(2)中央東線115系の場合

*今回の「貫通幌のガイドライン」は、「萌える幌の角度」を予定していましたが、前回記事の続きとして、1枚幌の装着方向・中央東線115系の例を見ていきたいと思います。

というのも、前回記事で、naojazeeraさんから「実は奇数側・偶数側の定義を今まで分かってなかったので、疑問が氷解してすごくスッキリです」とのコメントをいただき、実は却って不安になってしまいました(爆)。「東海道本線に車両を置いた状態での車両の向きを表す用語で、「奇数側」が東京寄り、「偶数側」が神戸寄りとなります。」との前回記事の記述はどこのサイト等を見てそう思ったか、再度検索を掛けて調べてみました。

と、その記述のあるサイトはすぐ見つかりました。「国鉄車両のススメ」(ザ掲示板)の中でRoutemaster氏がレス番[10]でこのように書かれています。

国鉄車両のクハの偶数、奇数向きは東海道線を基準に決まってて、神戸寄りが偶数、東京寄りが奇数です。ただ例外があって横川~軽井沢を通過していた165系、169系は逆向きでした。新系列電車のクハは当初は両栓構造で奇数、偶数とも番台区分はされてなかったのですが冷房装置搭載に伴う引き通しの関係で奇数車、偶数車を分ける様になり、次第に新しい車両では番台区分もされる様になったみたいです。

東海道本線基準」でいう奇数向き・偶数向きを方角に当てはめると、大雑把に言えば「東・北が奇数向き」「西・南が偶数向き」となりますが、高崎から分岐する信越本線は配線の関係から軽井沢向きが奇数という「例外」になるということになります。つまり現在高崎発の横川行き115系普通列車では、奇数向き車のクモハ115は横川側にアレンジされます。そしてJR東日本は奇数向き先頭車が幌を受け持つので、横川向きのクモハ115に前幌が付いています。


1【中央東線115系の前幌(1) 442M新宿行き夜行(1985年)】


そこで、今度は新宿から西へ伸びている中央東線の場合を考えてみたいと思います。まず下の写真をご覧下さい。


イメージ 1

442M新宿行き115系 1985年2月 松本駅

イメージ 2

442Mに連結される荷物電車


ちょっと写真が古いのとヘボいのはご容赦いただくとして、上の写真2枚はかつての「新宿夜行」(中央夜行)の上り442Mが松本駅に停車しているシーンですが、この442Mは、夕方6時半に長野を出発し、松本で時間調整を兼ねて1時間停車、その先も主要駅でそれぞれ30分程度時間調整のために停車し、新宿には早朝4:23に到着するというのんびりとしたスケジュールで運行されていました。 撮影当時は、車番を控えたりその他のメモを取ったりする習慣がなかったため、その後それぞれの写真は新宿・長野どちら側を向いている車両のものか、ということで大いに悩むことになってしまいました。

上の幌付き115系の写真は、テールランプが点灯しているので、そちら側が長野向き…ということになると思われますが…中央東線の新宿口快速列車用の115系は1966(昭和41)年に登場、受け持ちは三鷹電車区(後に豊田電車区に移籍)で、奇数向きには中央東線用に新製投入されたクモハ115、偶数向きにはクハ115が来る形になる、と考えられます。ジェー・アール・アールの「JR電車編成表」の「豊田電車区」(八トタ)の項でも、新宿側にクモハ115、長野側にはクハ115という配置になっています。

…ということは、JR東日本エリアでは幌は奇数向きに装着が既定となるはずなのですが、上の幌付き115系の写真を改めて見てみると、ジャンパ栓がないことから考えて、やはり長野向き(偶数向き)のクハ115であると思われます。つまり既定のパターンの「例外」ということになります。

実際、「でんしゃ・ちゅーおー線にゃあ!」(SHOPねこまた・MIKECATさん)では、中央東線115系列車の編成を模型で再現されていますが、長野・松本側にクハ115、新宿側に荷物電車とクモハ115がそれぞれアレンジされています。1982(昭和57)年3.31現在の432Mを想定した編成は次のようになっており、おそらく1985年2月当時の442Mも同様の編成になっていたものと思われます。

←新宿 [クモニ83806+クモユニ82002]
+[クモハ115-308+モハ114-342+クハ115-370]+[サハ115-24+サハ115-23]+[クモハ115-6+モハ114-806+クハ115-184] 松本→
つまり、
新宿側から荷電+荷電+Mc+M'+Tc+T+T+Mc+M'+Tcというラインナップ。


2【中央東線115系の前幌(2) 441M上諏訪行き夜行(1987年)】


イメージ 3

出発を待つ441M上諏訪行き 1987年2月 新宿駅


次の写真は、先程の442Mの対となる441Mですが、下り夜行の方は1985年頃から上諏訪止まりとなっており、この写真を撮った1987年には上りの442Mは既に廃止(1986.11)されていました。これも442Mと同じく、ジャンパ栓のない側…つまり偶数向き(長野・松本向き)のクハ115に幌が付いています。つまり既定パターンの「例外」ですね。

ちょっと写真では見にくくなっていますが、所属区所標記は「西トタ」つまり豊田電車区と読めます。この写真の号車札が「6」となっていることから考えると、編成はおそらく新宿側から…

「Mc+M'+Tc+Mc+M'+Tc」か「Mc+M'+T+M+M'+Tc」

かと推察されます。

ちなみに、この441M、新宿を24:01に出発し、途中甲府等で時間調整のため長時間停車を挟んで、上諏訪到着は5:57というスケジュールでした。中央東線新宿口夜行快速は、このように上諏訪止まりの下り441Mだけというパターンで運行されていましたが、1992(平成4)年3月、列車番号が1521Mに変更された上で甲府止まり(そのまま1時間後に松本行きとして運用)になり、翌93(平成5)年5月にはこの1521Mも廃止となって、新宿から115系「山男」が撤退することとなりました。


3【中央東線115系の前幌(3) 幌装着方向の変更】


このように見てくると、中央東線115系の前幌は、既定のパターンとは異なり、偶数側のクハ115が受け持っていることがわかりますが、現在どうなっているかと言えば、どうやら既定どおりに変更されたようで、奇数向きクモハ115に前幌が付いています。私自身はまだ撮ったことがないので画像をご紹介できないのが残念ですが、他のブロガーさんの記事に実例があります。

● スカ色 in 総武線(「出戻り鉄っちゃんのブログ」マイホームタウンさん)
●2006年~「山スカ」の末裔・・・中央本線「スカ色」の115系(「ひろみやの鉄道」ひろみやさん)

いずれも幌付きの側には武骨なジャンパ栓が並び、床下には抵抗器等のコンポーネンツがずらりと並ぶ…となると、これは紛れもない奇数向き車クモハ115ですね。このように例外から既定パターンどおりに変わった理由ですが…いろいろ考えてみましたが、正直ちょっと分かりません。あくまでも思いつきですが、こういう理由なのでしょうか。

*115系に荷電を増結する際は、作業の都合からなのか、新宿側に連結するため、既定のパターンでは貫通幌がブロックされることから、例外的に偶数側に幌を装着した。
その後、荷電連結廃止に伴い、既定のポジションに戻した。
*信越本線中央西線等広域運用に備え、部品等の保守・管理の観点から幌付きの先頭車が「北側」を向くように統一したため例外的に偶数側に幌を装着した。その後、民営化に伴い、中央東線運用車の仕様統一のため既定のポジションに戻した。

いかがでしょうか…? 識者の方のご意見をお聞かせいただければ幸いです。

次回は…また「一枚幌の装着方向」について、JR東海車における例外措置について取り上げる予定です。


イメージ 4

442Mの車窓から 日付が変わる境界の駅・日野春 1985年2月





【関連リンク】
●nigel's bookmarks for bookshelves / 鉄道車両:奇数・偶数(はてなブックマーク)
 ~関連webページのリンクを集めています。
●ムーンライト信州 -Wikipedia
 ~中央東線夜行快速は後に臨時「ムーンライト信州」として復活、現在は183系で運用されています。
●昭和55年春 夜行列車時刻表 中央本線  長野・松本方面発 新宿駅着列車
「客車列車の旅」webページより