▼再び、転載機能について~スローブログの「近況と雑感」

(今回も「です、ます調」を「で、ある調」に変えて書きます)

前回記事の「スローブログの近況と雑感」は、日頃「鉄道とモータースポーツの趣味系ブログ」の中にいた私にとって、些か荷が重かった感じは否めず拙いものであったと思う。それでも何人の方から直接コメントをいただき、またテキストサイト界隈の色々な記事を読ませていただいた中で補足しておきたい点が頭に浮かんできた。

率直に言って「恥の上塗り」感はあるのだが、趣味系というか、マニア系の記事ばかり書いて鉄道車両の貫通幌が滑っただの転んだだの、古館伊知郎氏のF1実況絶叫フレーズに屋上屋を重ねるツッコミを入れ、7回チャンピオン・通算91勝の「皇帝」ミハエル・シューマッハの「ジャンピング・ガッツポーズ」をネタに喜んでいるかと思えば、シーズン中は2週間に1回、次の日は仕事にも関わらず日曜深夜に眠い目をこすりながらF1中継にうつつをぬかしているこんな私といえども広い意味では「表現する人」の端くれである。今回もそんなある意味「マージナル・マン」としての私からの気持ちをお伝えしたい。


1 再び、Yahoo!ブログの転載機能について


現在Yahoo!ブログ(以下「Y!B」という)に実装されている「転載機能」については、「便利かもしれないがトリッキーだから」使わずに設定をOFFにしていること、そしてその理由は1)デフォルトの「転載可」の状態が「許諾(承諾)なしの転載を認めていると解しうるか」が法的に曖昧であること2)転載記事の扱われ方が元文責者を曖昧にしていて危険であること…までは前回書いた。

今なお続いているY!Bの転載機能についての論考としては、以下の記事を挙げておきたい。


Y!Bの転載機能が「可」となっている状態の法的解釈と問題点を他のブロガー諸氏の考え方を分類した上でまとめている。私の前回記事の論考は、そもそも「デフォルト可」=「転載許諾の明示か」という論点であったのに対して、ここではより突っ込んで転載機能「可」を「許諾の黙示的なもの」とおそらく解釈したうえで、その現状はどう法的に解釈されうるのか、という観点から論じられている。

ここでは、FDさん、わたりとりさん、Adan_Kadanさんの論考がそれぞれ紹介されているが、いずれの説にしても解釈上の問題点が残ってしまうこと、つまりY!Bの転載機能を使う際の法的整合性の不備が問題点として指摘されている。クリエイティブ・コモンズ・ジャパンが国内法に準拠した形での著作物の複製権に係るコントロールを目指しているのとは対照的である。


こちらはこれまでのY!B転載機能に関する論点を、法律論だけでなく様々な観点別に分類したもの。私はここまで法的にトリッキーであることを中心に言及してきたが、今回の転載機能に係る議論では「転載機能を使った善意の押しつけ」「転載機能のチェーン・テキスト化」「転載機能が表現の喜びを失わせること」等が指摘され、お手軽に使えてしまう転載機能によってこれら様々な問題が無限に拡大してしまうのではないかということが懸念されている。

特に「転載機能が表現の喜びを失わせること」については、私自身の前回記事でもsweetloveさんからのコメントで指摘があった。ここは「ブログに何を求めて始めたのか」で意見が分かれるところかもしれないが、「他ならぬ私が記事を書いてupする喜び」を大切にしたい私としては今一度自分の中で考えようと思っている。


そもそも著作権とは何か」から今一度Y!Bの転載機能を解き明かそうとする論考。もし著作権著作権法に関心のある方はFDさんの現在(5)まで進んでいる論考と、「著作権のひろば」(日野孝次朗さん)を併せて通読されたい。特に、日野さんのサイトの中でまずお読みいただきたいのは「違法か? 合法か? アンパンマンを自分の車に描いたら」である。ここの論考には、まず著作権という考え方に向かう際の基本的なスタンスが示されている。


現実にデフォルトのまま「転載可」とした状態が法的にどのようなものか…についての論考。一律に「二次転載以降可能、二次転載以降は著作者人格権放棄(著作権法上本来は放棄できない)」というトリッキーな状態となることを指摘。また記事の添え書きで細かな転載条件を付けることについても実効性の上で疑問視している。ここは私も全くそう思う。あくまでも形としては「お願い」の域を出ないのでシステムとしては脆弱ではないか、と。で、……転載を認めたいのであれば、転載機能は封印した上で、クリエイティブ・コモンズなどのライセンスを別途活用した方が安全なのではないか、とも思う。

ブログではないが、サイトにクリエイティブ・コモンズのエッセンスを上手く組み合わせている例としては「おんぷちゃんねる鉄道掲示板」がある。投稿ガイドライン(最下段の「著作権について」)で著作権についての考え方を詳細に示している。

ちなみに、「記事への添え書きで不備はフォローしつつ転載機能を活用する」という考え方については、私自身が「今のトリッキーな状況の中では少なくとも一旦封印しておいたほうがサイト運営としてはリーズナブルではないか」と思っているため詳細には紹介していないが、私の「はてなブックマーク」の「*_C:著作権」のブックマークリンクを参考にされたい。


2 「転載機能」を考える意義について


まず、転載機能、あわせて著作権法について考える時に自分自身心がけておきたいことがある。それは、著作権法ア・プリオリにあって人がその法に従わなければならない」とは考えないようにしたい、ということである。言い方が難しいが、表現者・ブロガーとして自分は何のために何を表現しようとするのか、他者の作品・著作物とどのように関わっていきたいと思っているのか、その中で自分の記事はどう扱われたいのか、他者の記事に向かい合ったときにどう扱えばいいのかを考え、それなら現状はどうなのか、法的にはどのようにプロテクトされているのか、逆にどのような留意点があるのかを確認する…という順番で改めて考えていきたい。

日野孝次朗さんの「著作権のひろば」でも「著作権法を考える前に」の項で、「法律は私達の社会にとってより良い幸福を実現するために作ったはずのもの」と触れられているように、人の生活や他者との関わりがあってこその法律であって、法律を遵守するために人が生きているのではない。だから、ある一つの法的解釈を恣意的に選択して金科玉条のものとして振り回すのではなく、その前提となっているロジックも合わせて理解し、他の検証可能性も探りつつ「ある一定の条件の元である特定の考え方に基づいて、これこれの判断をする」ようにしていきつつ、修正の可能性も残していきたい。

この転載機能を考えていく中で、実際の議論に参加している人々、それからこの「雑感」を書く前の私のように「沈黙のオーディエンス」として議論を見続けている人々それぞれ自らの立場の中で色々な見解があり、転載機能に対するスタンス、具体的にどのようなものにするべく働きかけていくかについても考えは様々だと思う。中には「先生、もうあと何回ループしたらいいんですか?」と思っている向きも当然あるだろうと思う。じゃあ具体的に何をやりたいのか、と思う人もいると思う。

それでもこの「議論」に意義があるのだとすれば、Y!Bの転載機能をある種のテキストとし、議論を追うことによって転載機能そのものに止まらず、著作権や法律論、そして個人サイトを持ち表現することの意味と意義、他の表現者との関わりに至るまでを再考するきっかけとなり得るからである。正解は一つではないかもしれない。また「こんな議論、Y!Bのヤツらの中の問題なんだから好きにさせておけばいい」という見方もあるだろうが、これらのテーマはただ単にY!Bのコミュニティだけの問題ではないと私は考えたい。だからこそブックマークを含む「はてな界隈」でも盛んに議論がなされているのだろう。

最後に、Y!Bの転載機能についてのロングランの論考を続けておられるわたりとりさんの「あぶないブロガー11 | Y!B 天災機能(11)」のラスト・パラグラフを引用させていただいて締めとしたい。

しかし結論が出なかったとしても、仮に大家が動かなかったとしても、この議論には価値がある。
資格・能力・経験を問わず、誰でも自分の表現を発信できる時代が来た。Y!B転載機能は格好の素材なのだ。私達は、自分のコンテンツをどう発信したいのか、広くかつ安全に発信するにはどうしたらいいのか、発信に伴う責任をどう引き受けてゆくべきか。そういったことを考察するうえで。
「自由な議論」の真の意義と楽しさとは、結果ではなく、その過程にこそ宿っていると私は思っている。

今回の記事は、色々な方々の記事を読ませていただいて書いたものであるということと、それぞれの論考の流れを乱したくないということ、そして何よりも「ROM者の視点」から書いたものであることから、敢えてトラックバックは誰にも飛ばさずにおこうと思う。