▲ミハエル十番勝負Vol.2:1992年ベルギーGP ~キャリア初優勝

1992年8月30日…F1第12戦ベルギーGP、スパ=フランコルシャン。ちょうどその1年前のベルギーGPで衝撃のF1デビューを果たしたドイツ・ケルペン生まれの若者、ミハエル・シューマッハが早くも参戦18戦目にしてF1初優勝をマークした。

前戦ハンガリーまでの11戦は、熟成されたリアクティブ・サスペンションを搭載した最強ウィリアムズ・ルノーFW14Bを駆るナイジェル・マンセルが8勝で悲願の初タイトルを決め、次いでマクラーレン・ホンダの故アイルトン・セナモナコハンガリーで辛くも2勝、セナのチームメイトのゲルハルト・ベルガーが1勝…その中でミハエルは新鋭らしからぬ活躍を見せていた。

開幕戦の南アフリカでは4位、第2戦メキシコGPで3位に入って早々と初表彰台を獲得(その後ブラジル3位、スペイン2位と3戦連続で表彰台)、フランスGPではセナを後ろから突っついて撃墜、その後私服に着替えたセナに肩をかき抱かれてお説教を受けているシーンは今なおYouTubeあたりで多数upされている(爆)。しかもその後ホッケンハイム合同テストでは度重なるミハエルの「スピードの無礼講」な態度に激高したセナがミハエルの胸倉をつかむというオマケ付き。

ナイジェルとリカルド・パトレーゼの「ウィリアムズ特急」が猛威を振るう中「セカンド・ベストマシン」のベネトンB192で前戦ハンガリーまでにミハエルが獲得したポイントは33点、2位が2回、3位と4位が各3回…フル参戦初年度でこのパフォーマンスは驚異的といえるだろう。ポイントランキングでもアイルトン・セナにわずか1ポイント差の4位。

また例によって前置きが長くなってしまったが…以上の背景を踏まえて、1992年のベルギーGPを振り返ってみたい。


(1) セナのギャンブル失敗…


ポール・ポジションはもはや指定席となった感のあるウィリアムズのナイジェル・マンセル。2位にはチームメイトの「最強のNo.2」リカルド・パトレーゼ。ミハエルは次いで3位に付け、アイルトン・セナはその後ろの4位だった。

オープニングは、ホール・ショットを決めた4位スタートのセナがリードを奪うが2周目にあっさりマンセル、パトレーゼに取り返される。と、いつものマンセル-パトレーゼ独走の布陣、と思いきや、スパ名物の雨が次第に強くなり…各車一斉にピット・イン、レインタイヤに履き替えるが…セナだけはスリックのまま走り続けた。まともにやったのではマンチャンに勝てないと考えたセナの天候回復を期待したギャンブルである。

しかし雨脚は次第に強くなり……結局はマンセル、パトレーゼにあっさりと抜き返され、ベネトンのミハエル&マーティン・ブランドルの2人には挟み撃ちにあった挙げ句抜き去られ、トドメはロータスミカ・ハッキネンにまで先行を許し6位へと落ちてしまう。

そしてロータスー……ロータスまで行くのか……ミカ・ハッキネンです。
(フジテレビ実況・古舘伊知郎氏)

根負けしたセナはついに14周目でピット・イン、レインタイヤに履き替える。これでもうマンチャンの年間最多勝記録更新の9勝目が決まりだ…と誰もが思ったに違いない。


(2) ミハエルの判断、レースを動かす


「スパ・ウェザー」と言われるほど、スパといえば雨、雨と言えばスパ……なのだが、単に雨だけがスパの「名物」なのではない。降ったり止んだりめまぐるしく天候が変わる点が「名物」たる所以であり、しかも全長6.974kmでその一部がアルデンヌの森の中を突っ切るようにレイアウトされたコースは場所によって天候が異なることさえあるほどだ。

そして天候の変化はレースの行方をも左右することがある。この年もそうだった。全44周で争われるレースの中盤を過ぎたころ、一時は本降りになっていたはずの雨が上がり、コースは次第に乾きはじめていく…となれば再度レインタイヤからスリックに履き替えなければならない。そのタイミングをどう考えていくか……。

上位陣でその先陣を切ったのは…セナだった。この日のマシンはドライ方向にセッティングを向けていたためか、レインタイヤではどうにもペースが上がらなかったが、26周目にスリックに履き替えた途端にペースアップしていく。とはいえ、優勝戦線からは既に脱落してしまっていて、大勢に影響はなく、ナイジェルの優位は動かない。

動きがあったのは30周目、マンセル-パトレーゼラインのすぐ後ろ、3位をチームメイトのブランドルを従え走り続けていたミハエルのベネトンの姿勢が下りのS字でわずかに乱れ、一瞬コースオフしてしまい、チームメイトに先行を許してしまう。が、ミハエルはこれを好機としてすぐさまピットに入り、スリックに履き替えてしまう。先を行くマンセル-パトレーゼのウィリアムズラインはタイヤ交換のタイミングを図りながらレインで疾走を続けている。結果的にはこのタイヤ交換が勝敗を分けてしまった。タイヤ交換後のミハエルはハイ・ペースで飛ばし続け、すぐさま2分を切って1分59秒台のファステスト・ラップをたたき出す。

シーズン終了後の年末の「総集編」での城達也氏のジェット・ストリームなナレーションによると…先行するブランドルのタイヤにブリスターを見て取ったミハエルが即座にタイヤ交換を決意したのだという…23歳、フル参戦実質1年目で何という判断力…もう小憎らしいほどの冷静さである(笑)。

ミハエルのタイヤ交換を見て取った各チームは一斉になだれを打ってスリックへ履き替えはじめ、ウィリアムズの2人は、リカルドが33周目、ナイジェルが34周目にピットインしたが時既に遅し。ナイジェルがコースに戻ったときには、ミハエルはとうにコントロール・ラインを過ぎて遥か前方を疾走していた。その後マンセルも1分55秒台のファステストをたたき出して追いすがるがエグゾースト・パイプが割れて追いきれず、逆にミハエルはさらに1分53秒台のタイムを連発して突き放す(39周目でこのレースのファステスト・ラップ1分53秒791を記録)。

結果は約37秒の大差をマンセルに付けてミハエルがトップでゴール、23歳7ヶ月にしてGPの初優勝をマークした。

ファイナルラップ、ついにミハエルが最後のバスストップ・シケインにさしかかる…。
今宮「こんなゆっくり走るシューマッハ、見たことない」
古舘「そうですねぇ…もうすでに心のクルージングの状態か、いやお立ち台に向けてはやっていることでしょう、チェッカーが振られるー!!」
今宮「いやぁーーー初優勝!」
古舘「右手を挙げたー!抱きあっている、トム・ウォーキンショウと…」
(フジテレビ実況より)


(3) ミハエルの勝ち方、本来の意味での「世代交代」


このミハエルの勝ち方…まさにこれ以降さらに90回も積み重ねられる勝利の第一歩、というに止まらず、彼の勝ちパターンである「ピット・イン・オーバーテイク」で勝ってみせたところが象徴的である。予選は必ずしもポールでなくてもいい、タイヤ交換のタイミングを図りながらペースを調整し、ここぞというところでスーパーラップをたたき出して相手の前に出る…。

この稿を書くに当たって、当時の実況中継のビデオを何回も見返してみた。今でこそF1における勝ち方のスタンダードになった感がある「ピット・イン・オーバーテイク」だが、その当時としては……「いやぁ何もコース上で抜かなくても勝てるんだなぁ」と妙に新鮮な気分になったのを覚えている。どう考えてもマシン性能、ドライバーの経験等考えれば、勝つのはマンセルか、当時スパ4連勝中のセナかと考えるのが普通だったが、不安定な天候とめまぐるしく変わる路面状況の中、ミハエルは乾坤一擲のタイヤ交換でひっくり返してしまった。

「ピット・イン・オーバーテイク」は「タイヤ無交換作戦」と並んで、戦略というか戦術で勝つ裏技的に私自身はその当時考えていたのだが、その後、マシンの性能差が縮まり、デザイン上でも空力という要素が次第に大きな比重を占めることによって「マシンの姿勢の理想値」そして「理想とされるコーナリングライン」は限りなく一つに近いものとして考えられるに至って、確実かつ安全に相手を抜く方法としてスタンダードなものになっていった。コーナリングスピードを落とすための度重なるレギュレーション「改正」も大きな要素だろう。そして、ミハエルは、マシンの姿勢とコーナリングラインの「理想の値」に最短距離で到達できるドライバーとして勝利とタイトルを積み重ねていくのである。

当時の「レーシングオン」誌のレース・レポートのタイトルは「スパ・ウェザーは次世代のために」とある。確かに、このミハエルの勝利は単に「若いドライバーが台頭してきた」ということに止まらず、その勝ち方においても、「世代交代」を予感させるものであったと言えよう……。



次回は、「十番勝負」の3戦目、94年日本GPの予定。


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92ベルギーGPでキャリア初勝利を飾ったミハエル(右)。左は92年チャンピオンを決めたばかりのナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ルノー)

◎sport.ard.de -Michael Schumacher
(http://sport.ard.de/sp/komponente/bildergalerie/motorsport/formel1/200306/schumacher_030609.jhtml) より