▲ミハエル十番勝負Vol.3:1994年日本GP

1994年のF1…といえば、どうしてもサンマリノGPの「史上最悪の週末」とともに激しい胸の痛みなしに振り返ることはできない。思えば、ハイテクデバイス(アクティブ・サスペンション、トラクション・コントロール、フライ・バイ・ワイヤ等)のあまりにドラスティックな禁止から端を発した波乱の1年だった。

本当なら、このシーズンは宿敵アラン・プロストを遂に「引退に追い込んだ」アイルトン・セナと気鋭のミハエル・シューマッハの死力を尽くしたタイトル争いが繰り広げられるエキサイティングな1年になるはずだった。しかしイモラでアイルトンは性急なレギュレーション変更に翻弄されるかのようにこの世を去り、その後はミハエルの一人勝ちと思いきや、彼のドライブするベネトン・フォードのトラクション・コントロール搭載疑惑に始まるFIAとの政治的な争いが続いた。最終的にミハエルは辛くも1点差で初のタイトルこそ手に入れたものの、2戦で失格、さらに2戦の出場停止処分を受け、しかもタイトル争いはライバルのデイモン・ヒル(ウィリアムズ・ルノー)との接触で決着が付くというほろ苦くも後味の悪い1年だったといえよう。


その中で、敢えて2位に終わった第15戦・日本GPを「十番勝負」のレースとしてカウントしておきたい。この一戦は、この年デイモンがミハエルとがっぷり四つに組んで初めて勝ち、しかもミハエルの十八番である「ピットイン・オーバーテイク」に屈しなかったレースだった。しかしそれ故にミハエルがレース終盤「タイガー」と化してデイモンを追い、デイモンは持てる力の全てを尽くして大逃げを打った真剣勝負の大一番でもあった。

また例によって前置きが長くなってしまったが、94年日本GPを改めて振り返ってみよう。


1 アイルトン・セナ…メモリアルGP


アイルトン・セナのいない初めての鈴鹿…そう、この年の鈴鹿はまさに「アイルトン・セナのメモリアル・グランプリ」だった。行き交うファンは悉くセナのトレードマークだった「バンコ・ナシオナル」のキャップを被り、サーキット・ホテル隣のホンダ・ミュージアムではアイルトン追悼記念の展示が行われた。金曜日の夕方、キャンプ仲間の女の子たちが、目を真っ赤にして南コース駐車場に帰ってきた。彼女たちは特別セナのファンというわけではない。それでもホンダ・ミュージアムでアイルトンの「死亡診断書」を見た瞬間、こみ上げてくるものを押さえきれなかったそうだ……。

土曜日朝、観戦エリアへと向かう道すがら、「バンコ・ナシオナル」のキャップを被っている人たちの数を数えてみた…あそこにも、ここにも、向こうにも、そしてまたここにも……。もうほとんど「ウォーリーを探せ」状態だ。500人を越えたところでアホらしくなって止めた。

ミハエルは金曜日から好調だった。午前中のフリー走行と公式予選1回目のいずれもトップ・タイム。しかし土曜の朝は、ウィリアムズに終盤から復帰した(!)ナイジェル・マンセルが金曜トップタイムを上回る1分36秒台のタイムを叩き出して制し、午後の最終予選へ向けていやがおうにも盛り上がっていくかに見えた……。しかし、お昼を過ぎたあたりから雲行きがにわかに怪しくなり、ついにはセッション開始を待たずに大粒の雨が降り始めた。そう、まるで「セナの涙雨」かのように。

結局土曜午後の予選は誰もがそれまでのタイムを上回ることはできずに、金曜午後のタイム順となり、ミハエルが1分37秒209でポール・ポジション、次いでウィリアムズのデイモン・ヒルが2位に付けた。

夕方を過ぎても、なおも雨は激しく降り続けた。南コース駐車場へ帰り、タープに溜まった雨水をみんなで落としていると、遠くに表彰式のリハーサルをやっているのがかすかに聞こえた。

「優勝した、片山右京選手には………」。


2 セナの「涙雨」の中の決勝


明けて日曜日、せめて決勝レースは、との思いも空しく、雨はやや小康状態にはなったものの、結局降り止むことはなかった。

ぬかるみに何度も足を取られそうになりながら、観戦エリアへと急ぐ道すがら、ふと鉛色の空を見上げると、1台のヘリコプターが不意に姿を現した。アイルトン・セナのヘルメットと同じ色に塗られたヘリコプターだ。ヘリは、メインストレートあたりに着陸してしばらくすると、場内放送のスピーカーから、アイルトン・セナ財団の代表を務める姉ビビアンヌのたどたどしい日本語の挨拶が流れてきた…。まさにセナ追悼のGPレース。ここまで演出されてしまうと、正直些かの「あざとさ」も感じないではなかったが、改めてセナというドライバーの存在の大きさを実感したのも確かだった。

雨の中、スタート進行は粛々と進み、いよいよ決勝レースがスタート、という頃になって小ぶりになっていた雨足が再び激しくなった。ミハエルはポールから危なげのないスタートを切ることができたが、凄まじい水煙がそこかしこに立ちのぼり、早くも3周目にはセーフティーカーが入る。と、その直後、ミハエルのチーム・メイトのジョニー・ハーバートがストレート入口でコマのようにスピンし、私の目の前で止まった。


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スタート直後、猛烈な水煙



セーフティーカーが退いた後もまるで罠にかかったけもののように次々とマシンが戦列を離れていく。だが、ミハエルだけは一人後続との差を徐々に広げながら危なげなく淡々と周回を重ねる。やっぱりコイツは凄い…トラコン疑惑だ何だと言われても、彼のドライビング・スキルには一点の曇りもない、そう思わせる雨の中のステディなドライビングだった。

だが、14周目、マーティン・ブランドル(マクラーレン)がスピンしてコースアウト、リタイヤしたマシンの撤去作業をしていたマーシャルを刎ねてしまい、レースは赤旗中断となってしまう…そして、この水入りを大きなモメントとしてレースが「動き始める」のである。


3 上手の手から水がこぼれる…


雨足が弱まるのを待って再スタートした後も、ミハエルは始めのうちは順調にラップを重ねていく。そして19周目にピット・イン、ここで一旦デイモンがトップに立つ。しかしこの後デイモンは懸命にスパートを掛ける……ミハエルが2回ストップなら、自分はワン・ストップで行くのだ。ピット・イン直前の24周目、デイモンはこのレースのファステスト・ラップとなる1分56秒597をマーク、そして25周目にピット・イン、そのままトップでコースに復帰した。中断前のタイム差を差し引いてもトップのままだ。

ここからミハエルの猛攻が始まる。コース上ではデイモンが先頭だが、次第にタイムを詰めていったミハエルは36周目で再びトップに立つ。残り周回数とタイム差を考え、どこで2回目のピット・インを行うのか……ミハエルが2度目にピットに入ってきたのは40周目、残り10周となったところだった。ここでまたデイモンが十数秒差でトップに立つ。間に合うのか…。

「ああ……上手の手から水がこぼれる…」

ピットFMから解説の舘内端氏の叫びが聞こえてきた。

しかしここからまた諦めないミハエルの猛チャージが始まった。1周につき1~2秒ずつ差を詰め、44周目には自身のファステスト・タイムをマークする。しかし、デイモンも懸命に逃げ続け、しかも最悪の路面コンディションの中、タイヤがそろそろ限界を迎えつつあるのにもかかわらず全くミスを犯さない。


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残り10周、ミハエルが2度目のピット・イン



残り2周、差は4.2秒…ここでデイモンが周回遅れに少し手こずる。ここぞとばかりにミハエルがスパートする。ファイナル・ラップ、差は2.5秒。遂にミハエルがデイモンを射程圏内に収めた。しかしここでもうタイヤの限界を超えたはずのデイモンが壮絶なドライビングを見せる。各コーナーでまるでラリーマシンのようにウィリアムズをスライドさせ、ブレーキローターを真っ赤に焼きながらも辛うじてコースにとどまり続けるデイモンの姿がサーキットビジョンに映し出された。ミハエルは?最後の最後で周回遅れに引っかかってしまう。フットワークのクリスチャン・フィッツティパルディだ。

デイモン・ヒルが水煙を吹き上げながらチェッカーを受ける…そしてミハエルは…3.2秒差。ピットFMが絶叫する。

「デイモン・ヒルの、勝ちーーー!!!」

その後に水しぶきの塊と化したナイジェル・マンセルジャン・アレジが揃ってチェッカーを受けた。ファイターにしてチャージャーの2人は再スタート後、延々と30周以上も視界最悪の水煙の中で接近戦を続けてきたのだった。最後のシケインでナイジェルがジャンの前に出たのだが、中断前のタイム差が5秒あったので、3位がアレジで4位マンセル。


しとしととなおも降りしきる雨の中、表彰式が始まった……鈴鹿の鉛色の空に吸い込まれていくイギリス国歌、ゴッド・セイブ・ザ・クイーン。


でも、アイルトン・セナがいなくなってしまった後の「喪失感」はどうやって埋められるのだろうか……いや、僕自身はとりわけセナのファンというわけではなかったが、セナとはそういうドライバーだったのだ。ただ時間に任せるしかないのだろうか。それとも、ミハエルが新たな「物語」を強引にリライトしていくのだろうか…と思いながら、私はサーキットビジョンに映し出されたデイモンのガッツ・ポーズをただぼんやりと眺めていた。


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