◆Vol59:22年ぶりの大糸線/436D(2)根知→南小谷~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク(旅のようなものVol59)




大糸線436D(糸魚川17:37→南小谷18:38)の乗車レポートの続き。

根知を出発して小滝、平岩と進んでいくここからが大糸線非電化区間で最も地形が厳しく険しい区間となります。

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☆174:大糸線436D車窓・根知-小滝間/姫川第六発電所090724

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☆175:大糸線436D車窓・小滝-平岩間/姫川の奔流090724

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☆176:大糸線436D車窓・小滝-平岩間/姫川の奔流090724


1995(平成7)年神戸在住の私にとっては地元を大震災が襲った年として今なお鮮烈な記憶が蘇ってきますが、ここ大糸線にとってもこの年は節目となる年でした。


1995年7月11日、新潟県上越地方と長野県北信地方を襲った集中豪雨により、急峻な流れと周囲の脆弱な地すべり地形のため「暴れ川」として知られる姫川が大氾濫、流域の各所で土石流や地すべりが続発しました(死者2名、家屋の全半壊39戸)。国道148号線(千国街道)は新潟・長野県境の国境橋が流されるなど不通となり、国道とほぼ平行して走る大糸線も各地で寸断され、根知から電化区間の白馬までが運休するという事態に陥りました。懸命の作業により、白馬から南小谷は翌月に、小滝までは9月に復旧したものの、残りの小滝-根地間の復旧には2年4ヶ月を要しています。

車窓から見える姫川は、水量はそれほどでもないようにも思われましたが、所々白濁して激しく流れている様は、まさに「奔流」「暴れ川」の名にふさわしいたたずまいでした。

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☆179:大糸線436D車窓・平岩-北小谷間/トンネルに分け入る090724


大糸線436Dのキハ52-156は、鉄橋をいくつも渡っては「奔流」姫川を右に左に縫うようにして歩を進め、また、幾度となく現れるスノーシェッドやトンネルに分け入っては、勢いよく吹き上がるツインエンジンの咆哮を壁面に響かせていきます。トンネル内には所々に霧が立ち込めていて、その白い塊に飛び込むたびに漆黒の車窓が一瞬鈍く光ったように感じました。

また、カーブ区間にこれでもかというほど立っている制限速度標識も35kmや30kmはざらで、中には25kmというものまであり、急カーブにキハ52がさしかかるたびに車輪が激しく金属音を立てて軋みました。

懐かしい22年ぶりの大糸線非電化区間の車窓……と書きたいところですが、実はその当時のことを私はほとんど覚えていません。忘れてしまった、というよりは元から全く頭の中に入っていないのです。大垣夜行、新宿夜行と車中2連泊は学生の身にもさすがに無茶だったのか、松本から大糸線に乗り換えてからは、穂高南小谷糸魚川と3回連続で車掌さんに「終点ですよ」と起こされるありさまで、南小谷からもキハ58の2両編成に乗って出発したところまでは覚えているのですが……その次の記憶は下校する高校生で満員の北陸線475系が糸魚川駅のホームにたたずむ姿でした。


18:38、とうとう南小谷に到着。ここから白馬・大町・松本方面へは跨線橋を渡って反対側に停まっているE127系電車(1348M)に乗り換え、ここまで乗ってきた436Dは約10分の休憩の後、435Dとして糸魚川に折り返していきます。

神戸からここまで5本の普通列車(新快速含む)を乗り継ぎ、約500km弱&10時間。「スキモノ」にとっては苦にならないどころか楽しくさえあるのですが、まぁ我ながら本当に酔狂な話だと思います。

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