△横浜中華街のようだ! アレッサンドロ・ザナルディ

アレックスが一番輝いていたころ・・・F1からCARTワールドシリーズに転じた
彼はチップ・ガナッシ・ホンダをドライブし、97-98年と連続してタイトル
を獲得、「オーバーテイク・キング」の異名を取った・・・。

ザナルディといえば、F1よりもCARTワールドシリーズでの活躍の方を覚えておられる方も多いと思います。つまり、「アレッサンドロ」ではなく「アレックス」、としての彼を。

では、アレックス、行ってみましょう。

(1) 横浜中華街のようだ!

1994年フランスGP(で合ってたかな?)、アレックスのマシンは吹き上げたエンジンオイルに引火し、リアの部分が囂々と燃えさかりながらも・・・彼はなおもレースを続けようとしました。いわゆる「ザナルディ怒りの激走」。それを見たフルタチさん、「・・・まるで横浜中華街のようだ!」と。この年のロータスは・・・まさにチームとしては瀕死の状態で、ジョニー・ハーバートベネトンに「レンタル」してまで資金を調達するありさまでした。結局95年シーズン開幕前に力尽きて破産・・・今の若いF1ファンに「ロータス」と言えば「エランか?」と聞かれるかもしれません。

(2) かちかち山のザナルディ

これも(1)と同じ状況を表したフレーズですね。

(3) この顔見たら110番

男前、といえば男前かもしれませんが・・・確かに「悪役系」の顔ですね。表情に何かしら翳りがあるようで。何か萩原流行を三世にしたような感じ(笑)。

(4) イタリアの火薬庫

(5) 走る二重人格

(6) ロータスのデンジャラス系

F1にいたころのアレックスは・・・一発の速さはあっても、何せマシンは末期状態のロータスですから・・・それでも何とかスピードをアピールしようとする余り、よく人と絡んだり、「一人上手」のクラッシュとかが目立っていました。(6)のデンジャラス系というのは・・・(笑)。要はCARTに行く前のアレックスはまぁ、チェザリス的な「イロモノ」扱いでした。

(7) 人間モザイク

ロータスの、何かパッチワークのようなレーシングスーツ(92年以降)のデザインを表したフレーズ。




ちょっとこのコーナーのコンセプトからは逸れますが・・・これだけはぜひ書いておきたいと思います。

アレックスは、CARTでの活躍でトップ・ドライバーとして認知された後、1999年シーズンに勇躍ウィリアムズからF1にカムバックします・・・が結局マシンの熟成不足に泣かされ・・・またも完全にドツボにはまり、1年でF1から去る羽目になってしまいます。で、再びCARTに戻るわけですが・・・2001年、ドイツのユーロサーキットで行われた1戦の大事故で・・・彼は両足切断という大きなハンディを背負うことになります。

これでアレックスのレースキャリアは終わりだろう・・・と誰もが思ったはずです。

しかし・・・彼は再びサーキットへドライバーとして戻ってきました。

ツーリングカーレースで今も彼はBMWのステアリングを握っています。しかも激戦区のETCCで。
また驚くべきことに、チャンプカー(以前のCART)もドライブしているそうです。

普通ならもうこれでレースなど・・・と思うはずだ、と素人の私などは思ったりします。
自分の両足を奪った当のレースに復帰するまでには、人には言えない葛藤が、悩みが、苦しみがあったのではないか・・・と思います。

事故を起こし、両足を失ったときの彼の絶望を察するには余りありますが、それでもあえてレーシングドライバーとしてのキャリアをやり直そうと決断したアレックスに心からの敬意を表したいと思います。