△サーキットの一人I.R.A. エディー・アーバイン

attached(1,center)ポートレイト
エディー・アーバイン、F1に乗る前は全日本F3000に参戦、ちょっとワルっぽい雰囲気もあって
日本のレースファンにも人気があった・・・。


アーバインと言えば、やっぱり1996年-99年の4年在籍したフェラーリのイメージが強いでしょうか。それにしても99年は惜しかったですね・・・年間4勝、エースのミハエルはイギリスGPのクラッシュで足を折ってシーズン残りを欠場したこともあり、チャンピオン直前までいったんですが・・・。

エディーが日本のレース雑誌で取り上げられるようになったのは、1990年(ぐらいでしたか)、F1参戦以前のジョーダンから国際F3000選手権に出てきたあたりだったと思うのですが、その時の表記は「エディー・アービン」(笑)でした。いつの間にか「アーバイン」となっていたのですが、慣れるのにしばらく時間がかかったのを覚えています。

(1) サーキットの一人I.R.A.

(2) サーキットの無差別テロリスト

I.R.A.とはイギリスやヨーロッパでのテロ活動で知られる「アイルランド共和国軍」のことですね。アーバインは、アイルランド系のイギリス国籍のドライバーですが、F1に来たときはとにかく荒っぽかった。93年の日本GPでF1デビュー、いきなり6位入賞でしたが、周回遅れにされるときのマナーが危険だと故アイルトン・セナにドツかれ、翌94年は開幕戦ブラジルGPで多重クラッシュの原因を作ったとしていきなり3戦出場停止を食らってしまいます。復帰後もハンガリーGPでしたか、5番手スタートの片山右京氏に後ろから絡んでレースをパーにしてしまったこともあって、このシーズンは、まさに「走るテロル」としてのイメージが定着した感がありました。

(3) 走るイエローカード

(4) 走るウォンテッド

この2つも(1)(2)の派生的なフレーズですね。それにしても、3戦出場停止中の代役ですが、最初に鈴木亜久里氏が乗って、まぁそれはいいんですが、その後の2戦に乗ったのが・・・初代テロリスト(?)のアンドレア・デ・チェザリスというのは・・・それこそ何かの「ジョーダン」だったんでしょうか。

(5) 噂の情緒不安定男

で、完全に「プッツン系」として分類されると、こう言われてしまうと・・・。

(6) F1界のチーマー

その次が「チーマー」ですか(笑)。確かにまぁまぁオトコマエだけどちょっとワルっぽいアンちゃん風のところが「チーマー」っぽいですね。

(7) イギリス駐日大使

(8) スピードの逆輸入

F1デビューの前はご存じのとおりセルモから全日本F3000に参戦、星野一義氏と壮絶なチャンピオン争いを繰り広げ、わずか1点差でタイトルを逃しました。そういう経緯もあるからか、「走るテロル」的な扱いの割には「悪役キャラ」ではなかったですね。

(9) 強気の走り屋

なんと言われようと、攻めのスタイルを基本的に変えず、チーム内ではおそらく評価の高かったチームメイトのバリチェロを差し置いてフェラーリのシートをゲットしてしまうのですから・・・そのあたりはやっぱり「アイリッシュ魂」なんでしょうか・・・。


エディーがフェラーリに入った経緯なんですが・・・。これはさるレースフリークの方から半ばジョークとして聞いた話なのでそういうものとして聞いておいていただければ、と思いますが・・・。

95年のイギリスだったかフランスだったか、予選セッションの最中にいきなりエディーがフェラーリのピットに乱入してきました。監督のジャン・トッドはじめスタッフは「一体何事」と当然色めきだったわけですが、彼曰く「プライベートで乗ってるフェラーリの調子がいまいちなんだけど、いいパーツない?」とのこと・・・ってそんなこといきなり言いに来るかぁ・・・とまるで吉本新喜劇のような展開を見ていたルカ社長は爆笑して「わかった、パーツは用意しとく。で、オマエおもろいから一回うちに遊びに来ぇへん?」。

てなわけでルカ社長とエディーの交流が始まり、折しもミハエル・シューマッハのセカンドを探していた所だったのでエディーにオファーを出してみたところ二つ返事でOKとのこと。チームは逆にびっくりして「えーんか、ミハエルのNo.2やぞ・・・ゲルハルトも嫌がって逃げ出したのに」。でも本人全く意に介せず「えーのえーの。フェラーリに乗れるんやったら文句ないわ」と言ったとか・・・と敢えてベタな表現で書いてみました(笑)。


次回は、エディーがF1デビューを果たしたエディー・ジョーダン&ジョーダンチームのフレーズをご紹介します。