△走る葉緑素:エディー・ジョーダン&ジョーダンGP

attached(1,center)1991、エディー、チェザリス、ガショー
1991年、F1にステップ・アップしたエディー・ジョーダン・レーシング改めジョーダンGP。
富士フィルム、7UPのスポンサードを受け、ドライバーにはアンドレア・デ・チェザリス、
ベルトラン・ガショーを迎えた・・・。


ミナルディザウバー、そしてジョーダン・・・F1グランプリ・シーンでおなじみのチーム名が2005年を以てなくなってしまいました・・・。既にベネトンティレルアロウズ・・・いずれももうその名をF1にはとどめてはいません・・・。まぁ、昔からそうやってF1の歴史は続いていったわけですから・・・やっぱり「金の切れ目が縁の切れ目」でしょうか。

ジョーダンは1991年から2005年までの15年間に4勝、辣腕のチーム・オーナー、エディー・ジョーダン指揮の下、幾多のピンチを凌ぎつつも結局はロシアンマネーに飲み込まれていってしまいました・・・。


(1) 走る葉緑素

(2) 音速の光合成

言うまでもなく、1991年デビューシーズンのマシンのカラーリングから来たフレーズですね。「走る葉緑素と言われておりますジョーダン・・・チェザリスとガショーでまさに音速の光合成を展開しているのか・・・」って・・・「音速の光合成」って一体何なんでしょうか(笑)。

(3) あなたの色に染まります、今年もジョーダン商売上手

1992年はスポンサーもマシンのカラーリングも、そしてドライバーも一新。富士フイルムの濃いグリーンから、サソル石油のブルーと赤のツートンに変わりました。何か全く別のチームみたいでした。フルタチさんには、「商売上手」と言われつつ、実は2年目~3年目くらいが資金的には非常に苦しかったとか。

(4) F1界のエコノミー・クラス

・・・これ、ひょっとしたらフルタチ語録ではなく、年末の総集編での城達也さんのジェットストリームなフレーズ(って何やねんな)だったかも。時々はエコノミーからファースト・クラスへの脱皮を予感させつつ・・・でも準Aクラス止まりでした・・・。でもドライバーは、バリチェロアーバイン、ブランドル、フレンツェンフィジケラトゥルーリ・・・そして佐藤琢磨・・・みんな「好感度の高い」テクニシャンにしてファイターで、ホントにいいチームでした。

今振り返ってみれば、ジョーダンが積んだエンジン、最初から順に挙げれば、ハート、ヤマハプジョー、無限ホンダ、ホンダ、コスワース、そしてトヨタ・・・15年で7種類、めまぐるしくエンジン積み替えてたんですね。

attached(2,center)ミハエル1991
1991年、怪童ミハエル・シューマッハがベルギーGPでF1デビューしたのはジョーダンから。いきなり予選7位は圧巻・・・でもすぐにベネトンに引き抜かれてしまったのは返す返すも痛かった・・・。
attached(3,center)デイモン98
ジョーダンといえば・・・やっぱりベンソン&ヘッジス(タバコ)のイエローのマシン。98年はデイモン・ヒルのドライブでGP初優勝をマークした。