△縁の下の走り屋:エリック・コマス

attached(1,center)ポートレイト
Erik COMAS エリック・コマス・・・1991年にF1デビューした頃、雑誌には「コマス」でなく「コマ」と表記されていた・・・。


今回はエリック・コマスです。F1を退いた後はニスモのエースとしてGTで活躍していることもあり、日本のレースファンにもおなじみかと思います。その他、プライベーターとして三菱ランサーを駆ってラリー参戦し、最近ではドライバーのマネージメントにも携わるなど多彩な活動をしています。

去年からスバルのワークスドライバーとしてWRCに参戦しているステファン・サラザンエリック・コマスがマネージメントをしています・・・と書こうとしてネット調べてたら、この人スポット参戦ですがF1にも乗ってるんですね(1999ミナルディ)。聞いたことある名前やなぁ、とぼんやり思ってたら・・・なるほど。


(1) 縁の下の走り屋

1991年にリジェからF1にデビュー、93年に同じフランスのラルースへと移籍したコマスですが・・・そのラルースもうドツボというしかないクルマ。でも彼は94年トップ・テン・フィニッシュ7回に入賞2回、これで95年F1シートを失うとは・・・F1は「縁の下の力持ち」には冷たいところなんでしょうか。

(2) フランスの特待生

(3) スピードのエリート街道を追って早や4年

と、(1)はそれこそ地味なドライバー、というイメージですが・・・確かに風貌も言動もマイルドですし・・・でもF1に上がってくる時のコマスはジャン・アレジ、エリック・ベルナールと並ぶ「大型新人」で、当時は彼らのイニシャルを取って「フランスのABC」と言われたものでした・・・。とりわけコマスは、フォーミュラ・ルノー、フランスF3、国際F3000、いずれのカテゴリーでもチャンピオンに輝き、将来性は彼が一番という人も多かったようです・・・。いやホント、3人ともいいドライバーだったんですが・・・。

(4) 二年目のジンクス男

91年は予選落ちをくらいながらもしばしば同僚ブーツェンを凌ぎ、光るところを見せたエリック、92年の開幕戦のドライバー紹介でフルタチさんお約束のフレーズだったんですが、この年、エースのブーツェンを完全に食ってしまって3回の入賞、全然ジンクスを感じさせない走りっぷりでした。

(5) ジタンをバックに持つ男

(6) リジェの静かな主張

で、フルタチさんにここまで言われたのに何故93年はラルースへ行ってしまったんでしょうか。この当時、財政力やチーム体勢から「フランスの与党のリジェ、野党のラルース」(これもフルタチさんが言ってたっけ)と言われていた当のラルースへ・・・。

(7) F1公務員

(8) F1満点パパ

で、ラルースではそれこそ「ドツボのマシンをしっかりフィニッシュさせ」ていたせいか、すっかり地味なイメージが定着してしまった感があります。でもこれはかなり凄いことなんですが・・・。ああ、だからF1退いてからもニスモから声がかかったんですね・・・。それはそうとして、このフレーズ、マーティン・ブランドルにも使われてました。

(9) F1ツール・ド・フランス

何か色々言ってきましたが、私、こういうわけわからんフレーズがやっぱり一番好きだったりします。