■No.4:神戸市交通局MR410② 1984年魚1014・前中扉車

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阪神御影駅1984年10月

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高架上のホームにポツンと人が・・・



六甲ケーブル下でバスを何台か見送りつつ写真を撮った後、今度は阪神御影駅前に移動しました。阪神御影駅前は、当時も今も東灘・灘区の市バスのいわば拠点となるターミナルで、ここから鶴甲団地、鴨子ヶ原(かもこがはら)、渦森台(うずもりだい)等々六甲山腹の住宅地や魚崎浜の各方面へ向けてバスが発着しています。この写真のバスは鴨子ヶ原行きの19系統で、阪神御影から北上し、阪急御影からは甲南病院、住吉山手と鴨子ヶ原の閑静な住宅地をラケット状に1周してまた阪急御影へと戻ってくる「セミ循環路線」です(循環方向は双方向ともあり)。

特に循環区間は、道幅の狭い急坂&カーブで、路駐の車と電柱をかすめ、対向車を巧みにやり過ごしながら進む運転手さんの「匠の技」と時折覗く神戸市街地の展望・・・と乗る分には飽きない路線で、大学からの帰りとか用もないのによく阪急御影から一周回ってそのまま帰ってきたものでした。沿線には市立赤塚山高校、神戸大学付属小学校、神戸大学の男子・女子寮もあったりして、バスはいつもほぼ満員のお客を乗せ、喘ぎながら坂を上り下りしていました。今は赤塚山高校は六甲アイランドに移転しており、バス停の名前も「住吉山手」と変わっています。

この「魚1014」ですが、神戸市交通局では、というか近畿圏のバスでは比較的少数派の「前・中扉車」です(ポピュラーなパターンは前・後扉)。これは1976(昭和51)年に製造されたワンマン・ツーマン兼用車で、当時魚崎に4台居たようですが、いつも見かけるのは何故かこの魚1014ばかりでした。いつかそのうち、扉の閉まったきちんとした「形式写真」を撮ろうと思っていましたが・・・いつの間にか姿を消していました。「BUS JAPAN」No.7(1988)によると、1987年に廃車になったとのことですが、こういうまぁありふれた路線バスには、鉄道車両のような「廃止・廃車時のセレモニー」なんてのはまずありませんから、こういうのはいつも「気がついたら居なくなってた」というパターンの繰り返しですね。


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魚1014車内の様子 1984年9月(楠丘2)

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バック・ビューをもう一枚・・・「矢崎タコグラフ装着車」のステッカーが貼ってある