◆Vo.12:永原バリア①架線下のDC

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近江今津行きキハ48 近江塩津 1988年12月



JR西日本湖西線(山科~近江塩津)は、京阪神北陸地方を結ぶ短絡線として1974(昭和49)年7月に開業した全長74.1kmの路線で、ほぼ全線が高架・スラブ式軌道で建設された高規格路線です。大阪方面と北陸方面を結ぶ特急は、今ではほぼすべてが湖西線経由となっており、実質的な「北陸本線」といえばこちらになるでしょう・・・。

というのはあくまでも優等列車の話であって、普通列車に関して言えば、最近では沿線の宅地開発が進み、堅田、蓬莱、志賀、近江舞子あたりまでは大阪への通勤圏となりつつあり、網干や姫路発の新快速がほぼ1時間に1本の割合で乗り入れていまが、それも近江今津までで、そこから先は列車の本数が極端に減ってしまいます。それでも永原までは1時間に1本ペースで電車がありますが、永原から先、北陸本線の接続駅である近江塩津まではあと1駅ですが、この区間を走る普通列車は1日わずか8往復しかありません。

永原と近江塩津の間にはご存じのとおり電化方式が直流から交流に切り替わる「交直セクション」があり、この区間は急行型から改造された475系や特急型から改造された419系といった交直流電車で運行されています。永原-近江塩津間の普通列車の本数が極端に少ないのは、こういった列車運用上の問題もありますが、あとは近江今津から北の沿線人口が極端に少なくなるという要因もあるでしょう。

この区間は、一応「大阪近郊区間」に含まれていますが、いわゆる「大回り乗車」(このエリアの運賃は途中下車さえしなければ最短区間で計算することから、初乗り運賃でかなりの距離を乗車する「遊び」も可能です)をする際のまさに「バリア」となる区間です。時刻表もろくに調べずに「まぁ最悪1時間くらい駅で待ってたら何とかなるわ」というノリでこの「バリア」を突破しようとすると・・・シャレにならない目に遭うことになります。特に夕方以降は要注意です。これは現に私が身をもって体験しましたから間違いありません(笑)。ちなみに、北陸本線米原敦賀間は、概ね1時間に1本~2本ペースで普通列車が走っていますから永原-近江塩津間の「バリア」性が一層際立って感じられます。

余談になりますが、あと、「大阪近郊区間」では加古川線西脇市-谷川の「谷川シケイン」(1日9往復)も要注意区間でしょう。しかも加古川線の厄神-谷川間は、JR西日本お得意の「第4土曜日保線運休」(10時台~15時台の列車運休)区間ですので、ある意味こっちの方がターボがかかっているかもしれません(笑)。

で、話を湖西線に戻しますが、この永原-近江塩津区間、1991年10月ダイヤ改正までは、架線下でありながら、キハ40系のディーゼルカーで運行していました。列車の運行パターンは概ね近江今津敦賀間で、列車によっては近江今津近江塩津、永原-敦賀とか若干の違いはありましたが、本数は今よりも少なく1日5~6往復くらいだったでしょうか(記憶違いがあったらすみません)。ここらあたり、いまだにディーゼルカーで運行されている羽越本線の「村上バリア」(村上-酒田間)とよく似たノリだったかもしれません。ここのキハ40系、確か当時は敦賀第一機関区の所属で、車体の所属区所表示は「金ツル一」となっていたと記憶しています。普通所属区所表示は「管理局名略字+電略カナ2文字」というパターンなので、かなり異彩を放っていたように思います。

この区間を始めて越えたのは、大学2年になる春休み、例によって青春18きっぷであちこち回った締めくくりに敦賀から近江今津行きに乗った時ですが、同行していた友人たち(私以外は「鉄分」の全くない連中)は、キハ48のタラコ色2両編成をホームで見て「え・・・なにコレ?電車か」とか「・・・湖西線に乗り継ぐのに何でこれ」とか口々に言った挙げ句に「うーんキミと旅行しとらんかったらこんなのに乗る機会なんかはそうそうないやろなぁ・・・」と妙に感心されたのには閉口しました。いや、もちろんこれ、そのまま米原経由で新快速に乗り継げばよかったのをわざと湖西線周りでプランを組んだのですが(笑)。

次回は、今この区間で使われている475系の交直流電車と最近の近江塩津駅の様子をご紹介します。



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永原駅 1985年2月 現在の駅舎はログハウス風