△オリビエを聞きながらパニス

attached(,center)ポートレイト
1996年、豪雨のモナコGPでリジェ・無限ホンダを駆ってチームに15年ぶりの勝利をもたらしたオリビエ・パニス


すいません、記事のタイトルだけで遊んでしまいました(笑)。このタイトルのフレーズ、私が思いついたヤツではなくていつも一緒に鈴鹿でキャンプやっているお仲間が考えついたモノをいただいてきました。

それはそうと、96年のモナコびっくりしましたねぇ・・・ヒル、Mシュー、アレジ・・・次々と雨の中足を取られてリタイヤする中で・・・私は夜中に実況を見ていて、いったん風呂に入ってから、上がってもう一度TV見て我が目を疑いました。「へっ、パニス(笑)、へへへっ・・・」と思わず言ってしまったのを覚えています。レースは規定の周回数をクリアする前にいわゆる「2時間ルール」で終了。最後の最後ではハッキネンアーバインが絡んで終わるというオチまで付いたレースでした。


(1) F1堅実主義

確かに「手堅い」ドライバーでした。予選中団以下でのスタートでも、レースが終わってみると5位とか6位にいつの間にか入っている・・・チームにとってはありがたく頼りになる存在ではなかったでしょうか。1994年にリジェでF1デビューしたパニスの初ポイントは、ホッケンハイムのドイツGP。本命が次々とクラッシュやマシントラブルで脱落する中、何と初ポイントが2位表彰台という大金星でした。このときの予選順位は12位。チームメイトのベルナールは14位スタートで3位表彰台、地味な2人が手堅く走って手にした表彰台リザルトでした・・・。ちなみにこのレース、優勝したのはフェラーリゲルハルト・ベルガー


と、ほかにもあったかもしれませんが、私が覚えているのはそれくらいですね。パニスのレースキャリアとフルタチ実況の期間が重なっていたのはデビューの年のわずか1年でしたから、それに、デ・チェザリスとかとは違って派手なタイプではなかったので、元々フレーズは少なかったのでしょう。

ところで、最初で触れた96年モナコですが、結局パニスはこの1勝で終わってしまいました。実力的にはあと2~3勝してもおかしくないドライバーでしたが・・・「荒れたレース」に強いタイプでしたから。でも、この1勝に終わったことを指して「結局はあれはマグレだった」とかえって彼をバカにする向きもあるようですが、それはちょっと違うのではないか、と思いますね。もちろん、アレは「運が良かった」ことには違いないとは思いますが、前がどんどん潰れていって、そして「その場所に彼がいた」ことが凄かったのではないでしょうか。94年のドイツ2位も同じことが言えるでしょう。彼がドライブしてきたマシンは決して一線級のものではなかったはずですが、それでも最後までフィニッシュさせ、ポイントまで取ってくる・・・彼もコマス、ベルナールとかのラインにつながるドライバーだったと思います。惜しむらくは97年カナダでの大クラッシュ・・・これでシーズン後半を棒に振り、その後も結局リズムを取り戻せなかった、ということになるのでしょうか。

それにしても、フランス人のF1ドライバー・・・両極端ですね。プロストとかアルヌーとかアレジみたいなちょっとエキセントリックなタイプか、そうでなければコマス、ベルナール、パニスのような地味な堅実派か・・・。でもみんな何となく「オーデコロンくさそう」ですね。いや、オリビエはそうじゃないか(笑)。


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96年モナコのウィニングマシン リジェJS43・無限ホンダ(2004年日本GP)

(自己撮影画像)