△いつか右京、きっと右京:片山右京


片山右京のF1生活最後のシーズン-1997年・ミナルディ。3人目の日本人フルタイムF1ドライバーとして・・・一瞬の輝きを放った右京だったが・・・。


またまた少し更新の間があいた「古館語録」ですが・・・今回でようやく「カ行」に入ります。まだまだ先は長いですね(笑)。


(1) いつか右京、きっと右京

1991年、星野一義を下して全日本F3000チャンピオンに輝き、その勢いのまま翌92年にラルースからF1デビューを果たした右京選手。なかなかマシンに恵まれないシーズンの連続でしたが・・・英語も堪能、土曜日の定例ドライバー記者会見「サタデー・シックス」ではヨーロッパの報道陣や仲間のドライバーを七転八倒させるギャグ・センス。これまでの日本人ドライバーとは違ったキャラクター、そして時折見せる一発の速さに「いつか彼はやってくれる、必ず」と期待させるものを感じましたが・・・。

(2) 日大三高が産んだヒーロー

何かベタベタなフレーズですが・・・でも何となく「日大三高」ってカッコイイ(笑)。

(3) ハリキリ右京、シャカリキ右京

(4) ダイナマイト・右京

(5) ハヤブサ右京

(6) ウゴウゴ右京

(7) マッチョ右京

出た(笑)。右京キャッチ・フレーズ5連発。(3)(4)は、とにかくがむしゃらに「一生懸命さ」が伝わってきた92年を象徴するフレーズ。デビュー戦、テンションを必要以上に上げて一人盛り上がる右京選手に、かの中嶋さんが「おまえ緊張するのはわかるけど、とにかく落ち着け。F1ドライバーとしての格を見せろ」とたしなめたとか。(6)は何か意味不明(笑)。(7)は右京選手の鍛え上げられた体を指しているフレーズですが・・・そう言えば、右京選手やたら上半身裸の姿を見せていた・・・らしいです。ちなみに、巷で有名だったカミカゼ右京は古館さんの作ったフレーズではなく、フランスF3時代に付いたあだ名だそうです。「速いから」じゃなくて「神風特攻隊みたいな無茶をよくしたから」だとか(笑)。

(8) 音速のリトル・トーキョー

(9) 音速の日吉丸

(10) ポケットサイズのジャパニーズ・ヒーロー

また来た(笑)。小柄な(165cm)彼の体格から来たフレーズ3連発。それにしても(8)の「リトル・トーキョー」って何。「リトル」って言いたいだけとちゃうか(笑)。でもなんかしっくりきてしまうのは私だけでしょうか。

(11) F1アトム

(12) F1青年の主張

(13) F1桃太郎宣言

(14) 顔の感じはタラちゃんの未来像

今度は・・・何でしょうか。「童顔」4連発とでも言いましょうか。どのフレーズもまぁ、意味不明ですが聞いたときは何となく「うんうん」と納得してしまったのはやはりフルタチさんの話術のなせる技でしょうか(笑)。この4つの中では・・・やはり「F1桃太郎宣言」が何となくカッコイイですね。

(15) 赤ベコ走法

(16) 張り子の虎走法

(17) ゼロ戦走法

今度は「・・・走法」3連発・・・っていい加減花火とちゃうんやから(笑)。(15)は先の「童顔4連発」に通じるモノがありますね。それから(16)は、小柄な体でF1マシンと格闘する様を表したフレーズでしょうか。で、(17)ですが、日本人がF1に乗ると、なんでこの手の表現になってしまうのでしょうか。アグリさんにもゼロ戦ファイター」、中嶋さんにも「地を這う戦艦大和とかいうフレーズがありますが・・・でも日本、第二次世界大戦に負けたんですけど(爆)。

(18) 走る桂春団治

「小柄」「童顔」の右京さん、一体いつからそんなやさぐれてしまったんでしょうか(笑)。

(19) サーキットの伊能忠敬

右京さんが歩いてコースの下見をする様を表したフレーズ。伊能忠敬は、ご存じ江戸時代に日本の海岸線を自ら歩いて地図を作った人ですね。

(20) 住民票はスパ

スパ=フランコルシャンの名物コーナー、オー・ルージュ。オトコの度胸試しの一本道(笑)、ここは4速全開でいくものだ、とチームメイトのベルトラン・ガショーに一杯食わされた右京さん、いつの間にか「オー・ルージュ最速」の称号を奉られるようになったとか(笑)。

(21) はぐれマシン純情派

あんたは藤田まことか(笑)。元ネタはもちろん刑事ドラマ「はぐれ刑事純情派」ですね。なかなか思うに任せないティレルの93年マシンに苦闘する右京選手の様を表したフレーズ。

(22) 昇らないライジング・サン

1994年シーズン、開幕戦ブラジルGPでF1デビュー3年目にして初ポイント(5位入賞)をマークした右京選手、特に後半戦は予選シングル・グリッドは当たり前、決勝でもヒルシューマッハの前を走ったりして・・・ひょっとしてひょっとするのでは・・・という期待を大いに抱かせたのですが・・・結局は儚い夢に。この年はお姉さんをガンで亡くし、自身もガンと診断され(後に誤診と分かる)、確かに何かにとりつかれたような神がかり的なドライビングを見せたシーズンでした。この時、ベネトンやウィリアムズ等からオファーの話もあったといいます。でもあくまでも翌95年に期待してティレルにとどまった右京選手・・・95年のティレルはハーベイ・ポストレスウェイトの野心作「ハイドロリック・サスペンション」が大コケ、結局ポイントをマークしたのは94年の5点のみでした・・・。


attached(2)2004モナコ

ティレルヤマハで大健闘した1994年、「いつか右京、きっと右京」の期待を抱かせたシーズンだった・・・



次回は、「B級F1ドライバー」中の逸品(笑)、ガブリエーレ・タルクィーニの予定です。