▲「サーキットのリエママ」ケケ・ロズベルグ

イメージ 1


↑ ウィリアムズ時代のケケ・ロズベルグ


今回の「古館語録」は、1982年ワールド・チャンピオンにして私のハンドルの一部にもなっている(爆)ケケ・ロズベルグです。人呼んで「バイキング・レーサー」「コントロールされたバイオレンス」。古館実況時代はもう既に現役を引いていましたが、その後のケケは同郷の若手ドライバーのマネジメントに携わっていました。


(1) サーキットのリエママ

そういえば1990年代初め、宮沢りえのお母さんが「ステージママ」として猛威を振るっていましたねぇ…(爆)。この頃のケケ、JJレートとミカ・ハッキネンのマネジメントを手がけていて、まるでステージママのようにF1パドックにも頻繁に足を運んでいました。で、日本のレース雑誌のミカのインタビューにケケも付いてきたりして。「ケケにいろいろ教えてもらってる」と言うミカにロズベルグ”さん”だろ、ミカ?」と期待どおりのっけから一発カマすケケ。でも「ケケでいーじゃん?」と切り返すミカは確かに「F1やんちゃ坊主」でした(笑)。この図太さのまま大きくなっていれば…まだF1やってたと思うんですが…。

(2) F1界のお茶の水博士

これひょっとしたら古館語録じゃないかも…西山平夫氏あたりが言いそうなフレーズですが、まぁいいでしょう。跳ね上がった口ひげはまさにお茶の水博士そのもの。髪の毛は…最近お茶の水化して追いついてきたようです。


古館実況の頃のケケは、ミカやJJのマネージメントをするかたわら、グループCのプジョーのワークスマシンをドライブ、当時メルセデスのジュニアチームで売り出し中のミハエル・シューマッハ「ナンチャッテ走法」を実地で教えたり(笑)、その後はDTMオペル・カリブラでチームを興して自らエースを張りつつF1からはじき出されてしまったJJの面倒見たりとドライバーとしても活動していました。そして、いつしかメジャーなサーキットにあまり現れなくなった…と思ったらちゃっかり愛息子をF1デビューさせ、しかも古巣ウィリアムズに潜り込ませるあたりは、さすがマネジメントの達人といったところでしょうか。