▲「顔面厳窟王」ケン・ティレル

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今回の「古館語録」は、1970年~1998年までF1に参戦していたコンストラクターティレルのオーナー兼監督のケン・ティレル(1924-2001)です。

70年代初頭は名手ジャッキー・スチュワートをエースに据え、コンストラクター1回、ドライバーズタイトル2回と早くも黄金時代を迎えましたが…73年限りでジャッキーがF1を引退してしまうとその後は徐々に低迷…時折一筋の光を放つことはあっても結局かつての輝きを取り戻すことはないまま98年限りでBARに買収されるという形でF1から姿を消しました。

ただ、90年に中嶋悟ロータスから移籍してきたのをきっかけに、日本のファンにはおなじみの存在となり、その後は片山右京高木虎之介と日本人ドライバーが在籍した「日本色の強い」チームとして知られていました。


(1) 顔面厳窟王

厳窟王」って何(笑)。要は「厳」の字を使いたかっただけとちゃうか、と。確かに…ごつい顔してるなぁ、「御大」は。でも笑ったときの顔はまたすごくチャーミング(?)でした。まさに破顔一笑という言葉がぴったり。フルタチさんの「顔面」シリーズの中ではおそらく1、2を争う出来といっていいかもしれません(爆)。

(2) 熟年ガリバー

顔だけでなく、体もごつかったケン・ティレル御大。パドックを闊歩し、ティレルのピットの前で柴田恭平と握手する日本信販(ニコス)のCM、覚えておられるでしょうか…。

(3) サーキットの足長おじさん

タイトル争いから無縁となってもなおこのティレルが「名門」と呼ばれたのは…決してジャッキー・スチュアートとの栄光の日々の残滓だけではなかったと思います。新進気鋭の若手ドライバーを発掘する才に長けていたティレル御大のもとからは、ジョディー・シェクター(79年フェラーリでチャンピオン)、ロニー・ピーターソン(後にロータス)、ミケーレ・アルボレート(85年フェラーリでランキング2位)、そしてジャン・アレジ(後にフェラーリ)等々後のスター・ドライバー達が巣立っていきました。御大としては彼らと共に再び「黄金時代」を築ければベストだったのでしょうが…。

(4) 青と白のエクスタシー

白をベースに青のラインの入った90年モデル・ティレル019を指したフレーズ。現在はもう当たり前になったハイノーズやアンヘドラル・ウイング(ドルフィン・ノーズ、コルセア・ウイングとも言われた)という当時としては先進的なアイディアを盛り込んだマシーンでした。ここら辺りを指して「発明王」とも言ってたような気もします。このマシンで、新鋭ジャン・アレジは2位表彰台2回と大活躍、フェラーリ・ドライバーへの道が開け、中嶋氏も6位に3回入賞するなど、ティレルにとってはエポック・メイキングなシーズンとなりました。これでピレリのタイヤがよかったらなぁ…。



【関連リンク】
●ティレル -Wikipedia