▲「ホンダの戦う係長」後藤治

今回の「古館語録」は、「第二期ホンダ」のF1プロジェクトリーダーとして活躍(1988~90)後、マクラーレンのエグゼクティブ・ディレクターに転じ、その後フェラーリザウバー(ペトロナス)とエンジン部門の開発責任者の要職を歴任した後藤治氏です。後藤氏といえば、まず思い浮かぶのは1988年のマクラーレン・ホンダの圧勝でしょうか。

アイルトン・セナアラン・プロストという当代一流のドライバーを擁して16戦中15勝。インタビューで「あと1勝で全勝だったのに惜しかったですね」と言われた後藤さん、「いや、全部獲るつもりでしたよ」とシレっと答えてみせたのには恐れ入りました(笑)。


(1) ホンダの戦う係長

当時後藤氏は40代の前半…その実直そうな姿は確かに「中間管理職の鑑」といった趣でした。でも実際「F1プロジェクトリーダー」はホンダ社内では「係長級」よりはずいぶん上位のポジション(本社の部長級?)だとか。でもやっぱり「係長」という表現がぴったり来ますね(笑)。今私自身がまさに当時の後藤監督と同じ年齢に達しつつあるのですが…何と後藤さんのカッコイイことか。

(2) サーキット、その戦(いくさ)における…何かこけしのようなたたずまい、小柄の後藤監督

これ、おそらく「古館語録」のベスト・テンに入るであろう出色のフレーズです。身長160cm足らず、でも頭の大きい後藤氏…確かに「歩くこけし」ですね(爆)。でもコアなというか真面目なF1フリークには大いにヒンシュクを買ったフレーズでもありました。


【特別編・後藤語録】
 (と言うほどたくさんないですが…)

(1) プロストバットマンディフューザーを見せつけてやりたいですね

90年のシーズン前のインタビューで。89年のマクラーレン・ホンダはドライバー、コンストラクター両方のタイトルを防衛したものの、チームの内部はあの「セナ・プロ戦争」で大揺れに揺れたシーズンでもありました。「セナびいき」とも言われたホンダサイドはプロストとは若干微妙な関係となり、シーズン後半にはプロストは公然と「ホンダはセナとボクに同じ機材を提供しているのか?」と批判するまでになってしまいました。結局プロストはセナからタイトルを奪い返し、「カーナンバー1」を手みやげにフェラーリへ移籍。で、後藤さんは90年シーズン当初の↑のようなフレーズとなったわけです。つまり「今年はプロストをボコボコにやっつけてやる」と。あの「歯切れがいいけど、まったりとした」声でこのフレーズを聞いたら一層怖いかも(爆)。

(2) たまんないですね……

90年日本GP、オープニングの1コーナーで、セナとプロストが絡んでいきなり両者リングアウト…リタイヤとなった直後に、ピットレポーターの川井一仁氏の差し出したマイクにぼそっとひとこと。…後は言葉が続かず絶句。私は当時、TVの実況でこのシーンを見ていて、この一言には、後藤さんのいろいろな思いが詰まっているように思いました。これがレースと言われればそうかもしれないけど、こんなタイトルの決まり方はあまりに切ないじゃないか、というところでしょうか。


Wikipedia日本語版によると、現在は独立してエンジン開発に関する会社の立ち上げを準備中だとか。91年、いったんはホンダの市販車用エンジン開発部門へ異動となったものの、一度魅せられたF1への思いは絶ちがたく、半年足らずでロン・デニスに請われF1の世界へ舞い戻ってから15年、V10エンジンのエキスパートとして有力チームを渡り歩いた後藤さんは「F1界で最も活躍した日本人」といえるかもしれません。





【関連リンク】
●後藤治 -Wikipedia


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2004年、ザウバーの新車発表会にて…。