▲「未確認走行物体」シムテック
シムテックといえば…アイルトン・セナの事故死の陰に隠れてしまった感はありますが、94年サンマリノGP予選でのローランド・ラッツェンバーガーの事故死が思い出されます。ローランドは90年代前半、日本のレース界でもおなじみの存在で、しかも「もうF1で死亡事故が起こることはないだろう」と言われていただけに、彼が高速でクラッシュ、この世を去ったというニュースは衝撃的でした。その前の日の予選初日には、当時ジョーダンのルーベンス・バリチェロが鼻の骨を折るクラッシュを起こしていて、しかも翌日の決勝レースではよりによってアイルトン・セナがこの世を去るというモータースポーツにとってまさに「史上最悪の週末」でした…。
と、いかにも影の薄い新興チーム然としたフレーズですが、このシムテック、1989年にかのFIA会長マックス・モズレー氏と気鋭のマシンデザイナー、ニック・ワースにより設立されたシャシー・コンストラクターで、F1参戦に当たっては、MTVのタイトル・スポンサーシップを獲得、まぁ(2)はいかにもそれっぽいフレーズですが、ニック・ワースも当時20代の気鋭の若手デザイナーだったこともあり、それなりに好意的に迎えられていた印象がありました。が…資金不足はいかんともしがたいものがあり、予選最高位は14位、ほとんどが20位~最下位をいったりきたりで、決勝の最高位は9位が2回で結局通算ノーポイントに終わっています。
ドライバーは、サー・ジャック・ブラバム卿の長男デビッド・ブラバムをメインに据えて、チームメイトはローランド・ラッツェンバーガー、アンドレア・モンテルミニ、ジャン=マルク・グーノン、ドメニコ・スキアッタレーラ、ヨス・フェルスタッペンに井上隆智穂(94日本GPスポット)…といった何とも微妙な顔ぶれ。スキアッタレーラ…名前のインパクトだけは強烈でしたが(「ドメニコ、つき合ったれーや」とか私は言ってましたが…っておいおい)。
<↑「ドメニコ・スキアッタレーラ」について、不穏当な表現を削除いたしました…>
ちなみに95年シーズンは野田秀樹がいったんはドライバー契約を結びますが、折しも阪神・淡路大震災のあおりを受けて野田クンのメイン・スポンサーが降りてしまいます。そこで、前半戦のシートをスキアッタレーラに譲り、後半からの登場…となっていたはずがチームは資金不足を原因にカナダGP以降の参戦をキャンセル、チームも解散という憂き目に遭ってしまいました。しかしながら契約だけは残っていていて全く身動きがとれないという二段オチ付きの何とも言えない状況でした。