▲「シャンゼリゼの白馬童子」ジャン・アレジ
「花の64年組」…90年代初め、アレジを初めとして、ベルナール、ラリーニ、ハーバートといった1964年生まれのドライバーが気鋭の若手として次々とF1にデビューしてきました。いずれも一発の速さと確実性を兼ね備えたファイターにしてテクニシャン(笑)。
でも、1963年生まれのコマス、カペリ、65年生まれのアーバイン、66年生まれのレート、パニス、67年生まれのフレンツェンまで含めて、この世代の中から誰一人としてワールド・チャンピオンが出なかったのは64年生まれの私としては非常に残念です(爆)。特にジャンは絶対タイトルを獲る逸材、と目されていただけに、タナボタっぽい1勝(95年カナダ)で終わったのは本当に意外でした。
「シャンゼリゼ」と「白馬童子」のギャップというか、何とも言えないアンバランスの妙というか奇妙(爆)。「白馬童子」とは、コスワースDFVという非力なV8パワーユニットながらもシャシーバランスに優れたティレルを振り回して90年大暴れをしたさまを表しているのでしょうが…こういう「和魂洋才」フレーズ好きだったね、フルタチさんは。
89年シーズンは、国際F3000と掛け持ちで途中のフランスGPからF1デビュー。このときは最高位が4位と「キャリアに似合わずなかなかいい走りをするな」というどっちかと言えば地味な扱いだったアレジ。でも90年は開幕戦フェニックスでスタート直後の1コーナーでトップに立ち、その後もセナと互角に競り合って2位に入り、モナコではオープニング・ラップでフェラーリのプロストにオーバーテイクを仕掛けて抜き去るなど強烈に存在感をアピールしました。確かにモナコでムッシュ・アクーマにアタックを仕掛けるとは…まさに「度胸」だと。
南フランス・アビニヨン出身のジャンですが、父親はイタリア・シシリー島出身でアマチュアのラリーストだったとか(母親も同郷人)。「ジョバンニ・アレジ」もフルタチ実況で多用されたフレーズですが、オリジナル、というよりも「ジャン」のイタリア語バージョンが「ジョバンニ」というのがどうも正しいようです。91年シーズンは、フェラーリ入りか、それともウィリアムズか…と言われ、ジャンの当時のボス、ケン・ティレル御大は「若い彼にはフェラーリは"難しすぎる"」とコメントしたそうですが、やっぱり「イタリア系ドライバー」としてフェラーリをドライブしたい、という欲求は押さえきれなかった、ということでしょうか。それにしても(6)「アビニヨンのハマコー」って…(笑)。
いずれも90年シーズン当時のものと思われますが、まさに速さの面で「セナの後継者」を意識した「きれいな」フレーズでした。そりゃ、プロストにも「サーキットのシナリオライター」「フランスの水の旅人」なんてのがあるくらいですから。
と、大いに期待されたフェラーリでの91年シーズン、マシンの熟成の遅れ、フィオリオ監督更迭問題などフェラーリ十八番の「お家騒動」が勃発し、やはりアレジは苦しい1年を過ごすこととなってしまいました。しかもチームメイトは彼のフェラーリ入りに一貫して反対の意を唱えていたかのムッシュ・アクーマ。予選ではそこそこいい位置に付けるものの、決勝では「暴れん坊」のイメージもどこへやら…で、出てきたのが(14)のフレーズ。
ただ、チーム自体がタイトル争いに全く絡めなかったのが逆に幸いしたのか(?)、プロスト教授との仲は事前に懸念されていたほどのことはなく概ね良好だったとか(いや教授のことだから分からんところでネチネチやってたかもしれませんが)。後の2000年シーズン、ジャンはアランがリジェを買収して興したプロストGPのドライバーとして迎えられました(でも01年シーズン途中でケンカ別れしてしまった)。
それにしても(13)「太刀持ち露払い」って一人で両方やらされてたのでしょうか(笑)
(16)「フェラーリ・ルネッサンスの旗頭」そう、92年は首脳陣とケンカ別れしてスクーデリアをおん出たプロスト教授に代わってイワン・カペリを迎え、カーナンバーも28からあこがれの27に代わり、マシンもトレンドとなりつつあったハイノーズを取り入れた話題作、のはずだったのですが……。この年の「ミステリアス・グラマー」F92Aもドツボ…。
「サテライト・クルージング走法」って一体何なんでしょうか(爆)。
アレジがフェラーリに加入した91シーズンから技術サポートを始めたパイオニアのオーディオ・システムが「サテライト・クルージング」だったわけですが、その当時のF1中継を見られていた方なら、パイオニアのCMでワインディング・ロードをフェラーリのロードカーで快走するアレジの爽やかな姿をご記憶のこと思います。
ちなみに、CMの最後にジャンの肉声&テロップで「鈴鹿のF1が終わったら、京都を走ってみたい」とのバージョンがリリースされた時、レーシングオン誌で「ホンマやな、アレジ絶対京都走れよ!」と「GPS」のコーナーあたりで盛り上がっていたのを覚えています。その後、本当に古都の町並みをフェラーリのロードカーで疾走するジャンの姿が収録されました(笑)。
(18)F1ストレス王
(19)走る休火山
(20)才能にリミッターがかかってしまった男
(21)力余ってマシン走らず
(22)グレてやる走法
(23)ハイテク無法松
(24)シチリアのドーパミン
(25)怒りのタバスコ走法
(26)勝利の臨月
(27)一人「12人の怒れる男」
アレジ苦悩のフレーズ10連発。まさに「勝利の臨月」10部作。勝てない。表彰台には上がり、そこそこポイントを残してもその真ん中になかなか立てないアレジ。自分の調子がいい時はマシンが壊れ、マシンがいい時は訳の分からんペナルティを受け…orz。いつしかフルタチ語録のアレジ編は、「怒り」と「熱い思いをコントロールできないもどかしさ」が前面に出てくるフレーズが中心になってしまった感がありました。
F1デビューを果たしてすぐに結婚、でも結果がなかなか出ない中で「レースは危険だから子供は作らないとヨメに宣言」その後は「アレジ、離婚」と私生活の面にも影響していったのでしょうか。ちなみにその後再婚した後藤久美子氏との間には子供が居ます(何人だったっけ?)。
来た!(28)「フェラーリでロデオする男」(爆)。何かこう見ていくと、いかにも「荒っぽく、ワイルド」で「勢い余ってクルマを壊してしまう」ドライビング・スタイルに思えますが、参戦202戦で生涯獲得ポイントは241点(現在歴代26位)、とマシンが悪くてもプッシュを彼なりに続け、何とかマシンをフィニッシュに持ち込んでポイントを持って帰ってくるジャンのドライビングは「ワイルドかつ繊細」と言った方がいいかもしれません。タイヤのサプライヤーからは「アレジからのインフォメーションは非常に正確かつ的確」と評されていたともいいます。
ただ、フェラーリの「低迷期」にぶち当たってしまったとはいえ、ジャンのドライビング・スタイル…常にマシンを微妙に動かし不測の事態に備えつつコントロールしていくスタイルと、チームのレース・オペレーションも含めたトータルな戦略と理詰めのドライビングで勝ちあがっていく近代F1のスタイル(その申し子が言うまでもなくミハエル・シューマッハ)とは相容れなかったのかもしれません。