◆Vol33:阪堺電軌・恵美須町駅

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モ161形No.162 恵美須町駅 1987年10月


恵美須町は、阪堺電軌の北側の出発点の一つ(大阪市浪速区)で、駅舎に続く行き止まり式の低いホームは櫛形の3面2線です。ここから、先頃政令指定都市となった堺市浜寺駅前までは14.1km、約40分強の道程。

阪堺電気軌道は1911(明治44)年12月にこの恵美須町~大小路が開業、浜寺までの阪堺線が全通したのは翌1912(明治45)年4月でした。その後、1915(大正4)年に南海電鉄(当時の名称は南海鉄道)に合併され、上町線(天王寺駅前~住吉公園)、平野線(今池~平野、1980年廃止)とともに長らく南海電鉄の大阪軌道線の一路線として運行されていましたが、1980(昭和55)年12月に南海の完全子会社である阪堺電軌軌道に分離譲渡され、現在に至っています。

1枚目の写真は、イトーヨーカドーのラッピングを施されたモ161形162号車ですが、この161形、1928(昭和3)年川崎重工の古豪で、Wikipediaによれば日本に現存する現役車両の中では目下最古の存在となっているそうです。私がこの車両に乗ったのは1987(昭和62)年の秋のことでしたので、ほとんど意識しなかったのですが、今なお非冷房で、現在は夏の間はほとんど車庫でお休みだとか。そのせいか、現在ではこの161形にはラッピング広告は施されていません。今となっては撮影当時の1987年頃のラッピング塗装は期せずして「貴重な記録」(?)となっています。

それはそうと、このNo.162、再度登場予定ですが、現在どうなっているか…ご存じの方がおられれば、地元の方でなければなかなかの「コアな方」とお見受けします。


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恵美須町駅から見た通天閣 1987年10月

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新世界と通天閣 2006年7月


上の写真2枚は、初めてこの駅を訪れた1987年当時と前回記事でもお話ししたとおり、スパワールドから見た今の通天閣を並べてみました。特に2枚目は…いかにも「ディープ大阪」といった感じでしょうか。ずぼらやの看板、店の立ち並ぶ通り、そしてまた通天閣の「日立」の広告はいかにも…ではないですね。関西ベースの家電メーカーは他にいろいろあるはずなのですが、なぜか完成翌年の1957(昭和32)年からずっと日立製作所が広告を出しているようです。これまたWikipediaによれば、関西ベースの家電メーカーに対抗するために日立が広告を出し続けているからだとか。

いずれにしても、19年前の広告と、今の広告を比べてみると、何となくその時々の「時代」が分かるような気がします。1987年頃は、ちょうど各家庭にビデオデッキが普及し始めたころで「日立ビデオマスタックス」、そして今はそれこそ「ITソリューション」ですか(笑)。ちなみに、上の写真に対応する側の現在の広告は「日立プラズマテレビ」のようです。

とさんざん枝葉を伸ばしてみましたが……ちなみに、私、まだ通天閣に登ったことはありません(爆)。