▲「一人サルティンバンコ」ジャン=マルク・グーノン

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ジャン=マルク・グーノン、ポートレイト





*今回の「古館語録」は、90年代前半の国際F3000の上位ランカーとして活躍し、1993年日本GPでミナルディからデビューしたジャン=マルク・グーノンです。

93年は終盤の2戦をスポットで乗り、94年はシーズン途中の7戦をシムテックから出走して合計9戦、最高位は9位(94フランスGP、シムテック自体の最高位と同じ)でした。



これ、グーノン選手がスピンアウトしたときに思わずフルタチさんの口を衝いて出たフレーズ、だったかと。サルティンバンコ…カナダのモントリオールをベースとするエンターテイメント集団シルク・ドゥ・ソレイユ」の演目の一つのことですが、サーカスの芸風を基本に大道芸やオペラの要素も取り入れたステージが特徴のようです。

シルク・ドゥ・ソレイユの日本公演は、Wikipediaによると、フジTVが各地の系列局と共催する形で1992年から行われていて、「サルティンバンコ」は、94年の3~9月に東京で248回上演されたそうです…ということはこのフレーズ、フルタチさんの何気な宣伝だったのでしょうか(爆)。ってこれネガティブ・キャンペーンにならなかったのでしょうか。


国際F3000選手権は、ヨーロッパF2の流れを汲み、今のGP2シリーズに発展解消していったシリーズで、1985年~2004年の20年間に渡って開催されました。フォーミュラカー・レースの中の位置付けは最高峰のF1に次ぐステータスとされましたが、有望ドライバーの多くはF3の段階で有力チームにリクルートされていってしまったこともあって、国際F3000出身のドライバーがF1にステップ・アップを果たしてもチームになかなか恵まれず、概して伸び悩む傾向がありました。

グーノン選手も、1989年のフランスF3チャンピオンとして国際F3000に進み、実力派ドライバーとして上位ランカーの常連となりましたが、F1ではシーズン途中のスポット参戦を2年繰り返しただけでF1から去ることになってしまいました。その後はGTカーシリーズに活路を見いだし、97年のル・マンでは総合2位となっています。


*次回は、90年代前半、イタリア系のチームやフェラーリリザーブとして活躍した、ジャンニ・モルビデリです。