▲「サーキットのトビウオ」ジャンニ・モルビデリ

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ザ・キングオブ・ハイC」ルチアーノ・パバロッティ(左)とジャンニ・モルビデリ

(G.モルビデリ公式Webページより http://www.abanet.it/giannimorbidelli/zoom_album_02.htm)

*今回の「古館語録」は、89年イタリアF3チャンピオンとなった後、90年にスクーデリア・イタリアからF1デビューしたジャンニ・モルビデリです。

イタリアF3のタイトルを獲得した後は、フェラーリのテストドライバーとして活動する傍ら、エマニュエーレ・ピロの代役として開幕2戦にスポット参戦という形でF1デビュー。その後も、同じ90年シーズンの終盤2戦でミナルディからパオロ・バリラに代わってスポット参戦、さらに翌91年は一応ミナルディのレギュラーとなったものの最終戦オーストラリアGPでは、フェラーリからアラン・プロストの代役として参戦し、初の6位入賞を果たしました。

(1) サーキットのトビウオ


90年日本GP前夜祭・ドライバー紹介が初出かと思われます。「イタリアのトビウオ」とも。当時22歳で、決勝進出ドライバーのうち最年少だったことから、「イキのいいヤツ」といった感じでしょうか。このころのミナルディは、91年にフェラーリエンジンのサプライを受けたりとまだまだ元気なころでした。


(2) イタリアのバイク少年、あこがれのブランドはモルビデリ!


モルビデリ選手は、イタリアの有名バイクメーカーの御曹司、風貌は確かに育ちの良さそうなおぼっちゃま風でしたが、F1デビュー後はスポンサーに恵まれなかったせいか実力は認められながらもなかなかレギュラーとして定着できないシーズンが続きました。93年にはいったんF1のシートを失い、ツーリングカーレースに転じることとなり、それでも翌94年にはアロウズからF1にカムバックを果たし入賞2回。95年は同じくアロウズで、資金難のためシーズン中盤でシートを失うも終盤再びカムバックして最終戦オーストラリアGPでは3位表彰台をゲットするあたりなかなか勝負強い一面もしばしば見せていました。

でも、その後はまたテストドライバー&ピンチヒッター人生に逆戻りしてしまい、1997年ザウバーで数戦走ったのを最後にF1を去ることになりました。「実力」を認められるだけでは渡って行けないF1という世界の厳しさをそのまま体現するかのようなF1キャリアでした。現在はWTCC(世界ツーリングカー選手権)でアルファロメオをドライブしています。