▲「フライング・ドクター」ジョナサン・パーマー

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ジョナサン・パーマー、レースキャリア・バイオグラフィー

(英Brighton College 同窓会webページより http://www.oldbrightonians.com/palmer_01.htm)


*今回の「古館語録」は、1983~89年の7シーズンにわたってF1に参戦した、医師免許を持つ異色のF1パイロット、ジョナサン・パーマーです。

医学部の学生時代にレースを始めたパーマー選手は、1981年にイギリスF3のチャンピオンとなり、続いて83年にラルト・ホンダでヨーロッパF2選手権を制し、同じ年にウィリアムズからスポット(ブランズ・ハッチ:ヨーロッパGP)でF1デビューを果たしました。翌84年からは満を持してフル参戦を開始しますが…マシンに恵まれず苦しいシーズンが続きました。


(1) フライング・ドクター


まさにそのまんまですね(笑)。確か同じ名前のTVドラマ、日曜の夜中とかにやってたと思います。元々「フライング・ドクター」とはオーストラリアで1928年に始まった小型飛行機等を使った過疎地向けの緊急医療提供サービス。さしずめ「空の救急車」とでも言えばいいのでしょうか。

1987年にパーマー選手はティレルに移籍してようやくまともに走れる体制を手に入れ、モナコで初のチャンピオンシップ・ポイントをマークします。時代はまさにターボ全盛期、この1987年シーズンだけ自然吸気エンジン車を対象にしたタイトルが設定されましたが、ジョナサンは余裕でそのジム・クラークカップを獲得、同時にティレルコンストラクター対象の「コーリン・チャップマンカップに輝きました。

最高位は4位1回、非力なマシンに乗り続けていたせいかほとんどが中団以降の後方からのスタートでしたが…終わってみたらシングル・リザルトのねばり強い走りが身上の渋いドライバー。89年限りでF1のシートを失ってからは、マクラーレンのテスト・ドライバー、その後はスポーツカーに転向しました。

現在はマシン開発用のファクトリーも備えたレーシング・マシン体験スクールを主宰しています。