◆Vol39:南海電鉄・汐見橋駅
汐見橋駅 2002年2月
汐見橋駅は、南海高野線の名目上の「起点」とされる駅ですが、実際には1929(昭和4)年から高野線の列車は全て南海本線の難波発着(終戦前後の一時期だけ汐見橋発着に戻った)となっており、汐見橋駅発着の列車は南海本線と交わる岸里玉出との間4.6kmの区間運転のみで、実質上は支線区の「行き止まり駅」です。また、岸里玉出駅(元々は南海本線と高野線の交点となる岸里駅と0.5km先の玉出駅を高架時に合体した)では、1993(平成5)年の高架工事により、高野線のレールは名実共に分断されてしまいました。
駅舎も1956(昭和31)年に改築されたスクエアな古びたモルタルの些かぶっきらぼうな(?)造り。往年のターミナル駅の面影は…と思い、中に入ってみると、改札口の上に掲げられた昭和30年代の路線案内図と古びたニス塗り木製ベンチ、そして1面2線の頭端式ホームに立つ支柱の形がなかなかいい味を出しているではありませんか。もう昭和30年代のそのままの姿。
駅の中は…都会の中のちょっとしたエアポケット、といった感で昼間もなおひっそりとしてます。それでも電車は現在30分に1本、朝夕のラッシュ時もデータイムも変わらないペースです。これは何と言えばいいのか…レトロ、というのでもないですね。そんな「小ぎれいな」ものではなく、でも「昔からずっと同じ姿でここに在る」といった感じでしょうか。阪堺大和川駅東側にある遠里小野橋と同じような雰囲気を感じてしまいます(Vol37:阪堺電軌と遠里小野橋~大和川駅(3))。
支線区で使用されているのはかつてのズームカー増結車用に作られた22000系を支線区用に改造した2200系で、写真をご覧いただければ、汐見橋寄り先頭車に前幌付きの編成とそうでないものがあります。初めて行った2001年夏は、運良く幌付きの2203Fに出会えましたが、次に2002年冬には残念ながら出会えませんでした…同時に2編成が線内を行ったり来たりしているので、1本電車をやり過ごして待ってみたのですが。
Yahoo!の鉄道系のブログで、時々お邪魔させていただいている慌てん坊将軍さんには、つい先頃阪堺電軌の旧標準色の記事にトラックバックさせていただいたのですが、これまた26年前の汐見橋支線の記事を書かれていました(「1980/南海汐見橋支線」)。この記事に載っているのは、ステンレス車の6000系だと思われるのですが、当時はステンレスそのまんまだったんですね。今は本線車と同じように青とオレンジの帯がステンレスに巻かれていますが…。
こういう見も蓋のなさ、個人的には結構好きです(笑)。あと、ひろみやさんも汐見橋支線に加えて高野線直通列車の画像も加えた記事を書かれています(「南海のステンレスカー 」)。こちらには「前幌付きの6000系」の勇姿が収められていて、「前パン・前幌・ジャンパ栓」と「萌え車両の3要素」を押さえた(?)姿に武骨なステンレスがマッチしています。
ちなみに、2200系は本来汐見橋側の制御電動車(Mc)にはパンタ2基装備だったようなのですが…後位側は使用しないということで、そうです、写真のとおり運転台には「No.2パンタ緊縛中」とステッカーが貼ってありました。……もう、しょうがないですねぇ…そんな「ターム」に反応するとは。