◇韓国・第3回:国立中央博物館(1995年)

「韓国の旅」の3回目は、景福宮の敷地内に、勤政殿をブロックするように建てられていた国立中央博物館(クンニプ-チュアン-パンムルグァン)です。

この国立中央博物館、というよりは、「旧朝鮮総督府庁舎」と言った方がいいかもしれませんが…1926年に竣工し、ソウル駅旧本屋を設計したとされるゲオルグ・ラランデが基本設計を行い、その後日本人建築家の野村一郎、国枝博の両氏が引き継いで完成させました。日本の敗戦後は、米軍政庁舎として使用され、1948年大韓民国の樹立に伴い、この建物はそのまま政府庁舎となり、その後1983年政府庁舎の移転に伴い、国立中央博物館として引き続き利用されていました。

日韓併合以降の36年間の歴史評価については、昨今様々な議論があるようですが(キリがないのでここではやりません)、いずれにせよ何とも強烈なポジショニングで総督府の庁舎を建てたものだと思います。日本で敢えて例えるなら、国としての主権を失い、京都御所の敷地内にどこの国でもいいのですが外国の行政機関のモニュメンタルな庁舎がおっ建てられたらどう思うのか、といったところでしょうか。

韓国内でもこの建物の処遇については、「屈辱の歴史の象徴であるこんなものは取り壊すべきだ」という意見と「いや、だからこそ悲劇的な歴史遺産として後世に残しておいたほうがいい」という意見に分かれて再三再四激しい議論があったといいます。手狭になった旧国立博物館の移転先となったのも、「悲劇的な歴史遺産として残すなら博物館がいいだろう」という思惑があったようです。しかし結局、最終的には金泳三政権時代の1995年に取り壊され、国立中央博物館は10年後の2005年、龍山区の旧基地跡に新しく生まれ変わりました。

また例によって前置きが長くなりましたが…1995年の解体直前に立ち寄った時の写真をお見せしたいと思います。


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博物館の全景


取り壊しが決定したのはこの年の8月15日…もう既に取り壊しの準備に入っていて、正面玄関上のドーム部分には足場が組まれ、すでに尖塔部分はその8月15日に取り外されていました。別の場所にそのまま移転、というプランもあったそうですが、費用が莫大にかかることから、尖塔部分だけが忠清南道の天安(チョナン)市郊外の「独立記念館」で保存されています。


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廊下(上)と正面玄関ホール(下)

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中央博物館の展示室は全部で23個、常設展示は朝鮮半島のみならず、中国、日本等も含めた東アジアの歴史を網羅したものとなっていて、適宜日本語や英語、中国語の解説文も添えられていました。この時は、取り壊し間近ということもあり、廊下や玄関ホールには新博物館の構想に関する特別展示があり、観光客だけでなく、地元の人々も多数訪れていました。それにしても、……この建物の外観といい、内装のディテールといい、その重厚さと歴史の重みにただただ圧倒されるだけだったのを憶えています。韓国の人々にとっては、物理的にも精神的にも、そして歴史的にも本当に「重い」建物だったのだろうと改めて感じざるを得ませんでした……。

次回は、ソウル市内に現存する2つの城門のうちの一つ、東大門の予定です。


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ちょっとアール・ヌーボー風(?)のシャンデリア

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玄関ホール中央部分の天井




【関連リンク】
●朝鮮総督府 -Wikipedia
 ~歴史認識の食い違いから「保護」がかかっています。
●東京駅と朝鮮総督府
~建物取り壊しの経緯が詳しく書かれています。