▼闇の中でほくそ笑む<悪霊>~高橋和巳「差別について」より

異文化交流考察…第2回の考察は、「ネガティブな他者認識」の代表とも言える「差別」についてです。


まずは中国文学者・作家の高橋和巳(1931~1971)の未完のエッセイ集「人間にとって」(1971.8新潮社刊)の中の小論「差別について」の論考を紹介したいと思いますが、その前に、高橋和巳の経歴について簡単に触れておきましょう。

高橋和巳(たかはしかずみ)は、1931(昭和6)年大阪生まれで、旧制今宮中学(現:府立今宮高校)、松江高校(現:島根大学)を経て京都大学文学部に入学、中国文学の碩学吉川幸次郎教授の元で魏晋南北朝文学を専攻、1959(昭和34)年に大学院博士課程を終了しました。

作家としてのデビューは、1962(昭和37)年、第1回河出文藝賞受賞作の「悲の器」、その他代表作に「邪宗門」や「憂鬱なる党派」があります。中国文学者としては、1966(昭和41)年に明治大学文学部助教授、翌年に母校京都大学文学部に助教授として招聘されますが、折しも全国を席巻した学園紛争に教官の立場から関わり全共闘支持を表明します(この時の体験は後に「我が解体」として書籍化)。しかし学生側と大学側の板挟みに遭う中で疲れ果てたかのように結腸ガンに倒れ、1971(昭和46)年5月、39歳の若さでこの世を去ってしまいました。

高橋和巳の作品、小説・評論やエッセイを貫く作風は…乱暴に一言でまとめてしまえば、「インテレクチュアル・オネスティ」と現実の社会に向き合う際の「知に携わる者としての責任意識」、ということになるでしょうか。文学者が同時に思想家や政治家や官僚として現実に向き合うことも多かった中国文学の素養と敗戦体験をバックボーンとしていた彼が文学者として活躍していた1960年代は、「政治とイデオロギーの季節」であり、それゆえ彼のインテレクチュアル・オネスティは非情なリアリティの中で引き裂かれ、今改めて読み返してみれば些かナイーブに感じられるのは否めません。

と、彼の作家としての論考はまた別の稿に譲るとして、また前置きが長くなってしまいましたが、今回の論考に入っていきましょう。


1 「差別について」~エッセイ集「人間にとって」より


信仰の対象としてのキリストではなく、歴史的存在のイエスは圧迫されていたユダヤ民族の、暴力行使も辞さない民族解放運動の指導者だったとみる意見がある。
(「人間にとって」新潮文庫版:P36)

このフレーズで始まる高橋和巳の「差別について」は、アメリカの哲学者バロウズ・ダンハムの「英雄と異端」を牽きながら、イエス・キリスト死去以降の原始キリスト教が2つに分裂し、その中でユダヤ教徒への「差別意識」が芽生えていった過程について論を進めていきます。イエス死後の2つの流れ…一方は戒律を厳しく守って修行を続け、来るべきメシア降臨の時に備えよう、とするパレスティナ派(後のユダヤ教徒)、もう一方はより穏健的で、イエスの教義を内面化・普遍化して行こうとしたパウロ派。

キリスト教は、コンスタンティヌス帝によって公認・国教化(313年)されるまでの間、ローマ帝国から度々激しい弾圧に遭いますが、その過程で、2つに分裂した宗派の間に互いに相容れない亀裂が生じてしまった、と高橋和巳は論じます。つまり、ローマ帝国は暴力革命的志向を持つパレスティナ派のみを弾圧したのではなく、より穏和なパウロ派も弾圧した、と。その中で、パウロ派の中に「奇妙な、しかしそれが人間の精神にとって一つの宿命である心理が生まれた」(「人間にとって」新潮文庫版P38)。


つまり、はじめ弾圧者自体に向かっていた憤激と憎悪が、あまりに懸隔のある力の差のゆえに壁につきあたり、いつしか、自分たちが弾圧されるのは、やつら、あの過激派集団がいるせいだという風に横にずれていったのである。彼らさえいなければ、我々はこんな苦しい目にはあわないし、弾圧もその口実を失うはずなのだ、と。
(「人間にとって」新潮文庫版:P38-39/太字はo_keke_nigelによる)


そして、そこから彼らパレスティナ派を異端として猛烈な嫌悪と排斥と差別が生じ、その差別感情が現代にまで及んだ、と高橋和巳は論じています。

続いて、彼は自らも大学の教官として関わった学園紛争での体験、さらに炭坑の労働争議の中で第二組合が分裂し、勢力比が逆転していった過程、そして風刺的な手法で体制批判を行っていたソビエトの作家・ソルジェニーツィンが自主的な規制という形で属していた作家同盟を追われた事例へと論を進めていきます。

高橋和巳が挙げたそれぞれの事例について共通しているのは、彼の文中の表現を借りるならば、「被害の幻影におびえながらのより弱き者への加害」(P44)であり、時には「異教徒」よりも「異端」を却って嫌悪・排除してしまうというメンタリティでしょう。そして具体的な対立感情や嫌悪感が、「具体的な体験を持たない次の世代へと継承され」(P40)ていく中で差別感情に転化し、力や数の上で劣位に立った側が「差別」や「排斥」の対象とされてしまうという図式です。


2 「差別」というネガティブな他者認識


この図式を私の第1回の考察「わたしとあなた、あなたとわたし~「他者」を理解するということ」のロジックに当てはめれば、まさに「他者認識のストーリーの構成(あるいは再構成)」を急ぐあまりに、他者抑圧的に働く他者認識となってしまう、ということになるでしょうか。その際、「自己の優越性」を確認したいがために「他者を恣意的に」認識し、それを「装われた客観性」で根拠づけようとするメンタリティ…。前項で牽いたフレーズで言えば、「自分たちが弾圧されるのは、やつら、あの過激派集団がいるせいだ」「彼らさえいなければ、我々はこんな苦しい目にはあわないし、弾圧もその口実を失うはずなのだ」…ある抗しがたい力、前提、あるいは状況を前にして自らを防衛するために「過剰に消費されてしまうリソース」の象徴的な姿だと思われます。

さらに「差別について」から重要な指摘を牽いてみましょう。


差別は、ただ単に統治者の側の分割して支配する悪知恵からだけでは生まれない。被統治者の、自分たちを他の同類からわずかな差でもって区別しようとする志向によって生まれる。そして、ひょっとすると、彼らの方が教義の本来のかたちに近いのではないかというコンプレックスのある場合、その差別は一層激烈になる。
(中略)
差別する相手が貧しければ貧しいで、嫌悪は感覚に広まり、彼らが富めば富んだで憎悪は抽象化して受けつがれる。しかも、最初の差別感情を産む理由になった状況の消失後も、その感情だけは遺伝するのである。
(「人間にとって」新潮文庫版:P39)


「自分たちを他の同類からわずかな差でもって区別しようとする志向」…この志向性がフックとなって自他を区分けし、その区分けを正当化するためにあらゆるものがリソースとして過剰に消費されてしまう…そして、前項でも述べたとおり、具体的な対立感情や嫌悪感が抽象化されて継承されていく過程で差別感情へと転化されていく、といったところでしょうか。前項の「具体的な体験を持たない次の世代へと継承」とは時間的な軸ですが、このことは空間的な軸でも説明可能だと思われます。例えば、「具体的に対立している人たちをメタ的に見る視点」にも「差別」という「ネガティブな他者認識」が入り込んでくるモメントは十分にあり得る、と。


3 やっかいな「差別感情」


そういう差別感情が芽ばえる過程で失われるものとは、「他者」を多角的に見ようとする視点、そして他者認識の検証可能性と反証可能性です。国籍、民族、人種等々、その他ある特定の属性を持つ他者を一律に修正不可能なネガティブなイメージでとらえてしまうこと、しかも反証として作用しうるはずの事実であっても、逆にそのネガティブなイメージを補強するために消費され、リライトされてしまう…ここに「差別というネガティブな他者認識」のもっともやっかいな側面があります。

そして、このネガティブな他者認識がやっかいなのはもう一つあって、その成立過程をたどればわかるように、常に「自らを守るため」の防衛機制として作用しているという点です。だから「差別」という意識の渦中にある人々には、往々にして自分のネガティブな他者認識が他者抑圧的に、加害的に作用しているということが非常にわかりにくいのです。それゆえ、差別意識が生まれた過程をただ事象的に追うだけではむしろ正当化されてしまう危うさをも内に秘めています。

ここまで述べてきたことは、どこでも、誰にでも、容易に起こりうる心理的モメントであって、政治や経済、社会といったマクロな世界における問題にとどまらず、もっとミクロ的なリアルやネットにおける「コミュニティ」においてもあり得ることと思われます。

ならば、自らが「差別というネガティブな他者認識」にとらわれていないか、どのように判断すればいいのか、あるいはどうすれば巻き込まれないのか、被害と加害のやっかいな連鎖をどのようにすれば断ち切れるのか……。

それは次回以降の「補論」の中で考えていきたいと思っています。ここで一旦話を切りましょう。