▲「ラテンのスピードおたく」ステファーノ・モデナ

今回の「古館語録」は1987年~92年の間F1に参戦したイタリア人ドライバー、ステファーノ・モデナです。

彼の名を日本語で表記するときは、「ステファノ」あるいは「ステファーノ」、また「モデナ」あるいは「モデーナ」と所によって書き方が揺れているようです。ちなみにwikipediaでは「ステファノ・モデナ」となっています。

…はともかくとして(笑)、彼がF1にデビューしたのは国際F3000選手権でタイトルを獲った1987年の最終戦・オーストラリアGP。ウィリアムズへと移籍したブラバムのレギュラー、リカルド・パトレーゼの代役として彼に白羽の矢が立ち、スポット参戦という形でF1デビューを果たしました。


(1) ラテンのスピードおたく

(2) イタリアの駿足オタッキー


何かたいがいな言われようですけれど(笑)、このフレーズには「おとなしく、地味」でも「時折一発の速さを見せる」という含みがあると思われます。モデナはデビューの翌88年は弱小チームのユーロブルンからF1にフル参戦のシートを得ますが、戦闘力不足のマシンに苦しみ、4度の予選落ちを喫してしまいます。

しかし彼が一躍脚光を浴びたのは、スポット参戦でF1デビューを果たしたブラバムへ再び移籍した89年、予備予選から這い上がって見事3位表彰台を射止めたモナコGPでした。このシーズン、入賞はモナコでの3位だけでしたが、半分の8戦でシングル・グリッド、もちろん後半戦は予備予選も免除されて一躍若手の注目株と目されるようになりました。


(3) 暗いイタリア人

(4) 陰気なイタリアン

(5) シャイなイタリア人

(6) ミスターナーバス


いやまぁ…フルタチさん「モデナは、シャイなイタリア人なんて言われてからかわれてましたが…笑」(ってそれアンタやろ)とか、別冊宝島のF1本では「何で朝からこの世の終わりみたいな暗い顔してるんだ、イタリア人なんだからカンツォーネくらい歌え!」(おいおい)とかむちゃくちゃ言われてたモデナ選手。イタリア人がみんな「陽気で軽そうで、ちょっとスケベ」というのも些か乱暴ではないかと…。でもちょっとムッツリは入ってそうだなぁ…。

彼が無口でシャイに見えたのは…英語が苦手だったから、という説もあったりしますが…でもタルクィーニなんかそれでもむちゃ陽気だったそうだから(何せ「F1お祭り男」)やっぱり地なのかも。


(7) サーキットの性格俳優


何かよくわからん(笑)。でも、91年にティレルに入る前にイタリア貴族の末裔と言われる明るい性格の美人のヨメさんもらってから服のセンスも含めてイメージが変わってきた…と言われていました。


(8) 気が付けばモデナ

(9) 走るグッドデザイン賞


(8)は完全にブーツェンの「振り向けばブーツェン」のもじりですね(笑)。89年にブラバムで印象的なドライビングを見せたモデナ選手は91年、フェラーリへ旅立っていったジャン・アレジの後釜としてホンダV10を積むティレルへと移籍、中嶋さんのチームメイトとなります。後半戦はマシン開発がストップしてしまったため低迷してしまいましたが…モナコでは予選2位(決勝リタイヤ)、カナダでは上位陣が次々に足下をすくわれていくのを尻目にねばり強く走り、自己最高位の2位表彰台を射止めます。このシーズンは入賞3回、10ポイントでランキング8位に躍進します。

で、92年はヤマハエンジンにスイッチしたジョーダンに移籍、さらなる躍進が期待されたのですが…ジョーダンの「2年目のジンクス」に完全にハマってしまいました。何と予選落ち4回、最終戦こそ何とか6位入賞を果たしたものの時既に遅し。結局このシーズン限りでF1から実質的に引退してしまいました…。毎年のようにフェラーリのドライバー候補に名を連ねていたステファーノにしては寂しいキャリアの終わり方でした。

その後は国内ツーリングカーやDTMアルファロメオをドライブしてナニーニやラリーニらとともにアルファの顔として活躍しました。


次回は…91年にチャレンジングなエンジンレイアウトでF1に撃って出た、スバル・コローニの予定です。


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ユーロブルン時代のステファーノ・モデナ