▲「水平対向エンジンで対抗する」スバル・コローニ

今回の「古館語録」は、1990年にチャレンジングなエンジンレイアウトでF1に打って出たスバル・コローニです。とは言っても、コンストラクターのコローニ自体は、1987年~1991年シーズンまでF1にエントリーしていて、予備予選落ちの常連だったのですが、1990年にスバルとのパートナーシップを足がかりに飛躍を図ろうとしていました…が、しかし……。


(1) 水平対向エンジンで対抗する、スバルコローニ!


これは90年開幕戦・フェニックスのチーム紹介のコーナーでのフルタチ絶叫。結局コローニのマシンがTVに写ったのはこの時だけでした…。

モータースポーツの中で「スバル」と聞けば多くの人が思い浮かべるのは何と言ってもWRC(世界ラリー選手権)での活躍で、1995~1997年まで3年連続のマニュファクチュアラーズ・チャンピオンに加えて、コリン・マクレー(95年)、故リチャード・バーンズ(01年)、ペター・ソルベルグ(03年)と3人のワールドチャンピオンを生み出した名門チーム…F1、と聞いて「え、スバルF1やってたん?」と思われる方がほとんどだったと思われます。

V型エンジンがもうデフォルトとなっていたはずのF1に、スバルが自社伝統の「水平対向エンジン(12気筒)でF1に打って出るというニュースは、1990年シーズン当初大きな話題となりました。コアなF1ファンの方なら、「フラット12」、と聞いてピンと来られるかもしれません。'フェラーリが1970~80年の11シーズン採用したエンジンレイアウト。「低重心・ハイパワー」がウリで、ニキ・ラウダに2回、ジョディ・シェクターにも1回タイトルをもたらし、かのジル・ビルヌーブもこのエンジン・レイアウトで4勝をマークしたのですが、重量面でのデメリットはいかんともしがたく、V6ターボが台頭してくる中、81年からは他チームと同様にターボに切り替えざるを得なかった…といういわくインネンのある代物。

スバル(というか正確にはスバル・ヨーロッパ)がエンジンのデザインを依頼したのは、かつて60年代にフェラーリで活躍したスター・エンジニアのカルロ・キティ…。資金の問題から、エントリーは1台に絞り、ドライバーには気鋭の新人、ベルトラン・ガショーを迎え、チーム名も「スバル・コローニ・レーシング」とスバルの名を前面に出して体制を一新してF1シーンに打って出ました…。

でもやはりエンジンの重さは如何ともしがたく、またシャシーとも全くマッチせず、開幕当初からトラブル&予備予選落ちの連続となり、ついには90年シーズンの途中イギリスGPを最後にスバルはF1から撤退してしまいました。結局スバルはエントリー8戦全て予備予選落ち。パートナーのコローニはコスワースを辛うじて確保して参戦を続けますが…それでも予備予選&予選落ちの連続…。

そもそもコローニというチーム、1987年から91年の5シーズンでエントリー65戦(のべ81回)のうち決勝に進出したのはわずか13戦、実に52戦(67回)も予選&予備予選落ちを繰り返しました…決勝のベスト・リザルトは1988年にガブリエーレ・タルクィーニがカナダGPでマークした8位。ラリーの名門スバルも、F3のトップ・チームのコローニもF1となると些か荷が重すぎたのかもしれません。

コローニの歴代ドライバーのリストは、ニコラ・ラリーニ(87年)、ガブリエーレ・タルクィーニ(88年)、ロベルト・モレノ(89年)、ピエール=アンリ・ラファネル(89年)、エンリコ・ベルタッジア(89年)、ベルトラン・ガショー(90年)、ペドロ・チャベス(91年)、そしてお馴染み日本の服部尚貴……というあまりにも内角低めの鋭い面々(爆)。

「DNPQ(予備予選落ち)キング」…これが海外のB級F1チームの聖典と言われる(?)webサイト”Formula One Rejects”で奉られたニック・ネームでした。


次回も一風変わったF1チーム…というかマシン・コンストラクター、イタリアのダッラーラの予定です。


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