▲「ムラっ気の飛ばし屋軍団」ダラーラ

今回の「古館語録」は、1988年~92年までF1に参戦していた個性的なイタリアン・チーム、ダラーラです。

ダラーラ」は、雑誌などの中では色々な表記がなされていて、BMSダラーラあるいは「スクーデリア・イタリア」…「ダラーラ」自体も「ダララ」(91年くらいまでのAUTOSPORTS誌)、また人によっては「ダッラーラ」とホントにもう色々(笑)。

フジテレビのF1実況では「スクーデリア・イタリア」と呼ばれることが多かったという記憶がありますが、正確には、イタリアの鉄鋼王ジュゼッペ・ルッキーニが設立した「BMS」=ブクシリア・モータースポーツを母体にして「スクーデリア・イタリア」というチーム名でF1に参戦していました。シャシーの製作については、自製はせず、ダラーラ社と提携し、制作依頼をするという形態でした。

雑誌などでのチーム名の表記が色々と揺れ動いたのは、ローラ製のシャシーを使ってF1に参戦していたフランスのラルースが正式チーム名に「ローラ」を入れていなかったためにコンストラクターズ・ポイントを剥奪された90年シーズンオフの事件があったからかもしれません。


(1) ムラっ気の飛ばし屋軍団


なんでいつもこう前置きが長くなるのか…はともかくとして、このチームの「看板男」といえば、何と言っても89~90年の2年間在籍していた、かの有名な「サーキットの通り魔」「スピードのセクハラ男」アンドレア・デ・チェザリスということになるでしょう(爆)。

フルタチさんのフレーズどおり、ムラのある荒っぽいレース運び、それでも時折一発の速さを魅せるというこのチームのカラーはまさにデ・チェのイメージそのままでした。チームの最高位は89年カナダ(デ・チェザリス)と91年サンマリノ(JJレート)でマークした3位表彰台。また、89年アメリカGPではアレックス・カフィが一時2位を快走……。でもこのときは周回遅れにされかかったチームメイトのデ・チェザリスが何を思ったかカフィをブロックして撃墜してしまうというあまりにも鋭すぎるオチがついています(爆)。


(2) 跳ね馬の金看板を背負ったからには、周回遅れは許されない!!


92年シーズン、スクーデリア・イタリアは前年からカスタマー供給が始まったフェラーリV12エンジンを積み、ドライバーはJJレートとピエル=ルイジ・マルティニ、とこれまた「一発プッツン系」。そういうわけで結果が大いに期待されていたところでしたが…結果はマルティニが2回6位をマークしたにとどまり(予選最高位はレートの7位1回)ました。

93年はシャシーをローラにスイッチ、チーム名は「ローラ・フェラーリ」としてドライバーも「イタリアの英雄」ミケーレ・アルボレートと気鋭の若手ルカ・バドエルを迎えますが…予選落ち7回、ノーポイントと散々な結果に終わります。しかもチームはこの年限りでミナルディに吸収合併され、フェラーリのカスタマーエンジンはスクーデリア・イタリアの「チームとしての寿命」を結果的に縮めることとなってしまいました。


その後ですが…「スクーデリア・イタリア」の方はミナルディから再び分離して国内のツーリングカーレース等に参戦し、マシンコンストラクターダラーラは、古館語録とは裏腹に元々はF3等にシャシーを供給する堅実なコンストラクターであったことから、現在ではF3のシャシーのシェアをほとんど独占状態、その他GP2選手権やフォーミュラ・ルノー等のシリーズに独占的にシャシーを供給しています。


次回は…フェラーリの監督を務めた「マラネロの仕事人」チェザーレ・フィオリオの予定です。


イメージ 1

ダラーラといえばこの人、アンドレア・デ・チェザリス(笑)

◎Andrea De Cesaris Unofficial page
(http://www.metrona.sk/decesaris/roky/1990.htm)より……


イメージ 2

跳ね馬の紋章を背負った1992年シーズン

◎Armando Domenico Ferrari
(http://adferrari.altervista.org/ms/Scuderia_Italia.htm)



【参考リンク】
◎nigel's bookmarks for bookshelves/Dallara(はてなブックマーク)
 ~関係webサイトをブックマークしています。
△サーキットの通り魔 アンドレア・デ・チェザリス
~自ブログ・この書庫の過去記事です(笑)。