▼「ヘイトスピーチ」とは何か(1)~第3論考

「異文化交流考察」、第2論考「差別について」に続く第3論考は「ヘイトスピーチ」です。


とはいえ、偏見/差別のトリッキーな構造とヘイトスピーチの構造はかなりの部分で重なっている、というより偏見や差別、あるいは差別意識の具体的な言動がヘイトスピーチと言えばいいでしょうか……。ですから、ヘイトスピーチを考える上においても差別の場合と同じ問題が生じる、と考えられます。

例えば、「何がヘイトスピーチであるか」といういわゆる定義付けの際のある種のゆらぎのようなもの……まずは下の文章を見てみましょう。


ヘイトスピーチ(英:hate speech)は、人をその人種や民族、国籍、宗教、性別、性的指向、障害などを理由に貶めたり暴力や差別的行為を煽動するような言動のこと。

ヘイトスピーチの定義を誰がどのように行い、どう規制するのかということからも論争の対象とされている。このため多くの法廷もヘイトスピーチの定義を決めかねている。主な論点のうち、1つ目は、言動の影響力は個人の考えの表明に過ぎないのか、それとも他人を傷付けるものであるか。2つ目は、他者を傷つける場合があっても言論や表現の自由は公の議論の自由を守るために必要であるか、むしろ有害な議論を呼ぶのか。3つ目は、政府は議論を規制するよりも同性愛者や民族的なマイノリティーなどの特徴的な個人や集団の利益や権利を保護する政策を行うべきではないか。などが挙げられる。
◎ヘイトスピーチ -Wikpediaより

hate speech.
憎悪にもとづく発言。差別を煽動する言動。
憎悪・差別の対象としては、人種・民族・ジェンダー性的指向などが異なる人々・集団が挙げられる。
また、「ヘイトスピーチ」という言葉自体が差別主義的なニュアンスを持っているため
明らかに差別と言えるもの以外には使わないほうが良いと思われる。
◎はてなダイヤリー Keyword -ヘイトスピーチより


ヘイトスピーチの定義」は、具体的な言動の問題点を考察する上で確かに重要であり、また「明らかに差別と言えるもの以外には使わない方が良いと思われる」についても、単に感情的な非難や罵倒に陥らないためには考慮されなければならないところではあるでしょう。「異質な他者」のよりよき理解のためには考慮されるべき点であると同時に大前提でもあります。しかしながら、これらの観点そのものが主要な論点となってしまった場合、言い換えれば「前提をめぐる争い」と化してしまうと、にわかにATSがジリジリ鳴り始める(「差別」概念という否定できない正義?~「差別について」補論(5)参照 )ようなキナ臭い話になりかねません。


ヘイトスピーチ」については、ある掲示板での議論をまとめた、そのままズバリ「ヘイトスピーチ。」(Yaponiyaさん)というはてなダイヤリーのサイトがあり、私自身はこのサイトに書かれている次の事項を前提としてひとまず確認しておけばいいと考えています。

231 :無名の共和国人民 :06/02/05 13:03:4

ヘイトスピーチであるかないかに、捏造かどうかは関係ありません。発言者の意図がすべてです。周りが「ああ、この人は特定の人種・民族を貶めたいだけなんだな」と感じたら、それでヘイトスピーチが成り立ちます。

「黒人には凶悪犯罪者が多すぎ。黒人が住んでる地域は汚いし、治安も悪いし最悪。黒人は・・・・・」みたいなことを言ったとして、それが黒人を貶めるためだと判断されればヘイトスピーチです。余程、黒人が好きだということをアピールして弁解しないと、ヘイトな人という印象は消えません。
(「ヘイトスピーチ。」2006.08.06分より)

というのも、差別や偏見と同様、ヘイトスピーチにおいても、議論のコアとなる部分は、特定の個人や集団への嫌悪感を再帰的に表明するそのロジックというかストーリーの見極めにあるのであって、言説の色分けではないからです。そして、今回の論考でのポイントは、かかる嫌悪感を比較的ストレートに表明したタイプのものならともかく、「前提をめぐって争われる」ようなタイプのヘイトスピーチ「それはヘイトスピーチではなく、正当な言説である」と装おうとするその仕掛けだと考えています。

自らの立ち位置を巧みに隠し、「異質な他者」への悪意や嫌悪感をちらつかせながら表出するそのスタンスは、時としてあからさまな感情の表出よりもクリティカルにヒットすることもありえる、とも思います。それは他者からの反撃や対抗言論を巧妙に封じた上で、自らの攻撃のみを有効化しようするからです。何と言えばいいのか、まぁある種の「悪意のチラリズムとでも言えばいいでしょうか。


次回からは、「ヘイトスピーチ。」(Yaponiyaさん)等で挙げられている実例を整理しながら、ヘイトスピーチ再帰的にリライトし続けるロジックのパターンを見ていこうと思います。


【補足】

冒頭で触れたヘイトスピーチについての「キナ臭い話」については……一つだけエントリーを紹介させてください。

こういう観点からの整理というか分類も興味深いモノがあります。ヘイトスピーチを「犯罪」として法的に取り締まりの対象とする「ヘイトクライム」へのスタンスと政治的なスタンスとの相関関係がまとめられています。


例えば差別に関して言うと、

ヘイトクライムを対象にした特別法を作るのがポピュリスト。

ヘイトクライムだけを特に厳罰に処する法律案に反対し、差別を批判するのがリベラル。この際の攻撃が厳しいかどうかで攻撃的なリベラルは決まるというか浮かび上がる。

へたれリベラルは「考え方は人それぞれだから」と差別そのものへの攻撃をやめて、しまいには「私は保守派ではないが/リベラルなつもりですが」と断って堂々と右翼的言説を垂れ流すようになる。行き着く先は別冊宝島宮崎哲弥。そこから北一輝あたりに行く人もいる。
断片部 - ユウガタ - 不寛容に対する寛容はリベラルの慣用的逃げ道(Tezさん)


ともすれば「へたれリベラル」としてわかりやすいストーリーに落ち込んでしまいそうになる私としては耳が痛いというか、なかなかTezさんのこの一節はピンポイントに核心の部分を突いています。宮崎哲弥氏というのは、なるほどイメージ的によくわかるように思いますが、北一輝は一瞬ハッとしました。そうか、確かに彼の評論家としてのスタート時点での言説とその後の変遷を考えてみればなるほどこのカテゴリに分類されるのか……。