▼差別とヘイトスピーチQ&A(3)「逆差別」

Q6 最近よく、「逆差別」という言葉を聞きます。どんなものがあるのでしょうか?また、それは、差別をなくすものでしょうか? それとも助長するものでしょうか?


よーく考えると、その『「逆」差別』という言葉自体が差別意識の上に成り立っているように思えるんですが、どうでしょう?

この設問は、OKWave「逆差別について」に収められていたもので、上記の文章は、そのNo.1(Hageoyadi氏)の回答です。細かな説明抜きで一言で答えよ、と仮に言われたとすれば、私も上記のHageoyadi氏のように端的に答えるでしょう。

その回答に対して、設問者が、

この言葉を使っている人は、いきすぎた、被差別者への優遇を「逆差別」と言っているわけですが、この言葉自体が「差別意識」とおっしゃるなら、「過保護」とでもいいましょうか?
そんなことより、質問の回答をしていただきたいものです

と応じているのは「逆差別」を云々する際のメンタリティをよく表していると考えられます。というか、このNo.1の回答は十分質問の回答になっていると私には思われるのですが。そもそも「いきすぎた、被差別者への優遇」という観点から「逆差別」と言及すること自体が、質問文にリテラルに答えるならば「差別を助長するもの」とも考えられます。「逆差別」を「過保護」と言い換えても同じことです。

とはいえ、この回答では確かにあっさりしすぎていて回答には感じられないのかもしれません。また、「逆差別、と言うこと自体が差別だ」と言われても、それこそ「差別は絶対にいけないという抗しがたい正論」を押しつけている、と感じてしまうだけなのかもしれません。では、この設問で問題とされている「逆差別」とは何か、をもう少し突っ込んで考えていきたいと思います。


1. 人種差別などの是正措置の行き過ぎによって引き起こされる差別。例として、女性の雇用差別を是正するあまり男性 への待遇に不備ができたり、差別を受けていた黒人を救済しようとして白人への差別が生まれたり、障害者への支援措置により健常者が不利を強いられることなど。英語では「reverse discrimination」という。
2. 世間一般で差別という認識が薄い差別。女性から男性へのセクハラなど。
3. 積極的差別是正措置の中立的な別称。差別を解消する段階において不可避な一時的差別、という意味。イギリスなどの国では単にアファーマティブ・アクションポジティブ・アクションの同義語として「reverse discrimination」が使用されている。
4. 差別是正措置の蔑称 。
(逆差別 -Wikipediaより)

一般的に「逆差別」と言われる際の用法、そしてこの設問で意味されているものは、「1」「4」といったところでしょうか。「2」は少し特殊な用法。通常男女差別といえば男性→女性のものと思われがちだけれど、女性→男性というものもあるよ、というイメージ。「3」は例えば日本国憲法第14条(法の下の平等)の解釈で「結果平等」を実現するための「合理的差別」は是とする、と言う際の「差別」の意味と近いものがあります。


では、その「いきすぎた被差別者への優遇」いうフレーズやアファーマティブ・アクション的な施策への非難などに含意されているものをほぐして考えてみましょう。例えば、こういったメンタリティ。

※マジョリティ/社会的「強者」とカテゴライズされたことによって、著しい不利益を受けてしまっている。
※実力に劣る/努力に欠けるにもかかわらず、マイノリティ/社会的「弱者」ということで優遇されている。
※なされるべき努力もなしに優遇策の上に「あぐらをかいている」。
※既に差別/ハンディキャップ/社会的格差…は相当解消されているのにもかかわらず、「既得権益」を手放そうとしない。

差別を受けている人への優遇策、アファーマティブ・アクション的な施策や社会的弱者への施策は、確かに一義的には所得再分配というか政治的な選択の問題であって、それゆえその政治的な立ち位置や制度そのものの設計が問われることは避けられません。また、選択にかかるリソースには限りがあることから、かかる優遇策のフィージビリティスタディ(実現可能性の検証)の中でそれこそ「留保なき生の肯定を」と揶揄半分の批判を受けてしまうこともあるかもしれません。

しかしながら、そういう「優遇策」を政治的に問い、政策そのもののありようを検証しようというのであれば、逆にその問いや検証そのものの政治的な立ち位置やありようもまた同様に問われなければならないのではないか、とも思います。本当に「著しい不利益」をマイノリティ保護のために被っているのか、優遇策の対象になっている人々は本当に「努力をしていない」のか、実力的に「劣って」いるのか、そしてその差別やハンディキャップや社会的格差は本当に「解消されて」いるのか……等々。

上で例示したようなメンタリティがなぜわき上がってくるのか……を考えていくと、その背景には、マイノリティ/ハンディキャップを持つ人々/差別を受けている人/社会的に「弱者」とされる人々の「実態」への誤解や理解の欠如があり、その根底には例えば「社会的弱者は、ありがたく優遇策を受け入れて黙っていればいいのだ」といったような認識があるものと思われます(だからこの手の言説では「主張する弱者」への嫌悪感が露骨に示されたりすることがある)。

かかる「優遇策」が、政治的選択の問題であるのなら、「弱者」にとってはそれこそ「黙っていては」何にもなりません。それゆえ、格差の解消・是正への取り組みを求める声は、受け止める側にとっては熱量の高い言説に思えてしまうこともあるでしょう。そして、例えば「弱者」にラベリングされた側のある特定の人の「好ましからざる」言動や立ち振る舞いがネガティブな感情をポピュリスティックに沸き立たせるトリガーとして作用してしまう、という構図が考えられます。

この構図は、まさに「ネガティブな他者認識」が自己防衛的・再帰的にリライトを繰り返される中で、根底にある固定観念や偏見や差別といった意識を強化していく構造とよく似ています。先に「そもそも『いきすぎた、被差別者への優遇』という観点から『逆差別』と言及すること自体が、質問文にリテラルに答えるならば『差別を助長するもの』とも考えられます。」と書いたのはこのためなのです。