●第35回:幌座のいろいろ(2)~国鉄型ディーゼルカー

「貫通幌のガイドライン」、今回は前回に引き続き「幌座のいろいろ」の第2回、旧国鉄気動車の幌座についてです。
まずはこちらのスナップからご覧いただきましょう。


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加悦鉄道(1985年廃止)キハ1018 加悦SL公園 2003年8月


上の写真は、現在保存車として加悦SL公園に静態保存されているキハ1018、旧国鉄のキハ10系ディーゼルカーで、国鉄時代の車番もキハ10-18でした。「きはゆに資料室」(きはゆに資料室長さん) http://homepage3.nifty.com/kiha/ によれば、昭和31(1956)年の新製配置から、昭和54(1979)年に京都府の加悦鉄道へ来るまでの間も、豊岡・福知山の両機関区を行ったり来たりしながら山陰線や宮津線舞鶴線等一貫して北近畿地域で運用されてきた車両のようです。

この車両の幌座は、タイプとしては「薄型」のガイドレールが貫通扉の周囲をぐるりと囲んでいるタイプで、形態としては前回記事での「交直流型電車」タイプに分類されるでしょう。気動車タイプで独特なのは心持ち幌座の幅が広く感じられるところと、貫通扉の窓が若干小さめなところ、そして貫通扉自体が妻面から少し車両内部にオフセットされていることも相まって、幌座と貫通扉周りが地図の等高線モデルを薄型にしたように見える点です。ちなみに常磐線415系の幌座は阪急や阪神、東急といった大手私鉄と同じようにステンレスでシールドされています。

それでは、このキハ1018の幌付き側の写真を次にご覧いただきましょう。


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保存車キハ1018の幌付き側 加悦SL公園 2003年8月


やはり貫通型の車両に幌が付くと表情が引き締まって見えます……というのはまぁ私の主観なのですが、ともかく幌付き側と幌のない側を比べると、どうしても幌のない側の方が間が抜けてしまったように感じられてしまいます。

それはともかくとして、写真でもお分かりのとおり、廃止から十数年経過したキハ1018の車体の痛みは相当のものでした。しかも「表情を引き締める」はずの幌自体も、下辺の部分が垂れ下がってしまっています。また、足回りにエアコンの室外機が置かれているところからも分かるように、車内は休憩所に改造されており、座席は全て取り払われて撮影当時は長机と椅子、そして壊れたゲーム機が置かれているだけでした。外側から除いてみたところでは、運転席はどうやら原型をとどめているようでしたが、中からベニヤ板でふさがれてしまっており、詳細を窺い知ることはできません。

例によって話がまた少し枝葉へ行ってしまうのですが……この車両に限らず、保存車両の状態の維持は頭の痛い問題のようで、小樽、横川をはじめとして至る所で費用面や維持・補修技術の面で苦闘が続いているようです。屋根を付けたり金網で囲ってしまえば補修の手間は軽減できるのですが、それではどうしても見劣りがしてしまう、だからといって「野ざらし」にしてしまうと錆びや色あせといった経年劣化のスピードは格段に上がってしまう……「保存車両」で検索を掛けてみると分かるのですが、中には「朽ち果てるまま」に放置プレイや撤去の憂き目に遭ってしまったりといったケースが相次いでいるようです。

手入れをしなければ鉄は錆びていくのだから、維持管理に係るコスト(費用と技術)を考えずにホイホイ「保存」するな、と言ってしまえば身も蓋もないのですが(あるいは、それでも「保存して欲しい」というなら自分も費用負担せよとか)、実際「古豪」「名車」の誉れ高い車両の「引退」に際して、保存計画が浮上するも維持管理に関する問題(そもそも保存それ自体にかかるコストもケースによってはかなりのものですが)で結局頓挫して解体されてしまう例も多いと聞きます。

ただ、加悦SL公園では、運営元の親会社のカヤ興産とは別に組織されている「保存会」の手で別の車両(前面荷台付きのディーゼルカー)を動態保存の状態にリペアするために地道な作業が続いているようです。その経過は加悦SL公園webページでも確認できるのですが、やはり一度「腐りかけた」車両を元の状態に戻すのは費用面はともかく技術面でも並大抵のことではないようで(ただ単に塗装を塗り替えたり、車体表面をパテ埋めすればいいということではなく、いったん全剥離して骨組みから作り直すくらいの手間が必要)、エンジンにしても旧式なので補修用部品の確保からして難しいようです。

こういう事情を考えれば、保存コストを負担しているわけでもない自分としては、とにかく車体だけでも保存されている状態であっても、ただただ「それでもありがたい」と言う他はないのかもしれません(しかも幌付きでこうやって記事にできるのだから)。

話を元に戻しましょう。


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「広島色」のキハ40-2042 津和野駅 2007年9月


今度の写真は、現役の国鉄ディーゼルカーの「スタンダード・ナンバー」キハ40系の暖地向け両運転台車・キハ40-2042(広クチ)です。

40系ディーゼルカー(キハ40-700/1700/2000/3000、キハ41-2000、キハ47-0/1000、キハ48etc.)のグループは昭和51(1976)年に登場し、北海道から鹿児島までの全国各地で今なお主力として活躍する旧国鉄型車両の一大勢力です。見た目は運転台が片側か両方かの違いくらいしかないように思われますが、多彩な形式・番台区分から分かるように、運用される地域や線区に合わせた細かい仕様が特徴で、塗色も新製登場時は朱色1号「首都圏色」だけでしたが、その後地域・線区に応じた様々なオリジナル塗色を纏うようになりました。いくつあるのか(あるいはあったか)…興味のある方はぜひ数えてみて下さい。

ということで、今回の「テキスト」はJR西日本の「広島色」に塗られた山口線用の車両ですが、今回のテーマに戻って、幌座の形態を確認してみましょう。2枚並べていますが、幌なしの上の写真を見てみると、キハ10と比べてみてもほとんど変わっていないことが分かるでしょうか。薄型の幌座が等高線のように貫通扉を囲んでいるような形態は10系、20系、30系から40系、また急行型の58系へと連綿と引き継がれていったスタイルです。


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キハ28-2480 岡山駅 2003年7月


上の写真は、その「国鉄気動車スタイル」の幌&幌座を横向きのアングルから見たもので、吉備線津山線の増結車として最晩年を過ごしていたキハ28のスナップです。このクルマは翌2004年には引退・廃車となってしまって現存しません。

58系急行型ディーゼルカーは、私が学生だった20年前は、ちょうど急行運用からローカル線の普通列車の運用に相次いでシフトしていった時期(というか、急行自体が特急に次々と「格上げ」されるというか実質値上げのために祭り上げられていったのですが)で、前述の40系やはたまた拙稿●103系のある風景②:片町線・長尾駅のように30系ロングシート車などとペアを組んで走り回っていて、それこそ「一山いくら」みたいな感覚でした。

しかしここ10年ほどで急速にその勢力を縮小しており、「ゴハチが走る」と聞いただけで血圧が一気に上がるような現状には今昔の感があります。と、またまた枝葉へ行ってしまいましたが……国鉄ディーゼルカーの前幌は、実際に使われることがあまりないものが多いためなのか、幌布がビシッとコンパクトにまとめられていて、そのまま飴色に古びているというイメージがありますが、それでは次の写真を見てみましょう。


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キハ40-811 江差行き 函館駅 2005年10月


上の写真は酷寒地向け100番台をワンマン改造した700番台ですが……幌布のまとめ方が南海や近鉄のようになかなかワイルドです。

函館運転所(函館本線・函館-長万部江差線)のキハ40は、運行時間帯や行き先に応じて単行から長いものは数両に至り、多彩かつフレキシブルに運用されています。つまり、幌布に上布(貫通路の天井部分に被せる幌布)が付いている場合は、収納時にその厚みの分だけまとめにくくなりますが、きれいにまとめられているように見えるものはおそらく強引に押し込めているものと思われます。それゆえ増解結を頻繁に行う(=前幌を伸ばしたり畳んだりする頻度が多い)ような場合は、どうしてもそのあたりの処理が「ワイルド」になってしまうのでしょう。いえ、今回記事のテーマはあくまでも「幌座」でした。


で、結論は……国鉄ディーゼルカーの幌座は薄型タイプ」です。本来ならこの一言で終わりだったはずなのですが、サンプル画像をネタについつい枝葉をあちこちに伸ばしてしまいました。


次回からは、「特異な幌座」シリーズということで、JR西日本直流電化区間のの新世代「コミューター・ヒーロー」125系電車の一風変わった幌座をレポートする予定です。


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