●第41回:JR西日本125系電車3次車の貫通幌
「北陸&大糸線フィールドワーク」については、◆Vol50:敦賀直通新快速(1)-北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク以降の記事で目下「世界の車窓から状態」にて連載中ですが、このサブタイトル「フィールドワーク」のメインは「貫通幌の観測」(いえ、もちろんそれだけではありませんが)。
125系についてはこの書庫「貫通幌の観測と研究」でもこれまで2回にわたって取りあげてきましたが、1~2次車と3次車では幌の形状や仕組みが違うようなので、一度しっかりと観測してみたいと思っていたところです。
上の写真は、125系の1位側(奇数側/直江津向き)から撮ったもので、手前が3次車のクモハ125-16、奥の方が1次車のクモハ125-2です。ちょっとこの写真ではわかりにくいのですが、LEDの行先表示器には「長浜」と出ていました。帰ってから「えきから時刻表」で調べてみると、敦賀発の長浜行きは13時台の出発ですが、このときはまだ11時半ごろで、ホームで出発待機にはちょっと入線が早すぎる感じもします。
いや「幌観測」的にはポイントはそこではなくて……3次車・クモハ125-16の幌の付いていない1位側の幌座を見ると、1~2次車とは異なり何かあるモノが付いています。ちょっとこの写真ではわかりにくいので、幌座の部分をズームアップしてみた写真を見てみましょう。
(はてなフォトライフ<左>:http://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090727031417)
(はてなフォトライフ<右>:http://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20081114065445)
125系1位側幌座/<左>3次車125-16 敦賀駅<右>2次車125-9 厄神駅
写真左が今回観測した3次車、右が対比のために並べてみた加古川線運用中の2次車のそれぞれ1位側幌座ですが……3次車の方には上辺にそれまでのモノにはなかった「庇のような金具」が付いています。従来の「国鉄型車両」の流れを汲む(?)幌座上辺の構造物が3次車では復活している模様です。
何かちり取りの根元の部分だけを切り取ったような妙な形で、この「庇のような金具」が、従来の国鉄型車両ではガイドレール状の幌座の一部となっていたのに対して、125系では貫通扉の上に直付けされているように見えるので余計に妙な感じがします。
(はてなフォトライフ:http://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090727031418)
1次車クモハ125-2(左)3次車125-16(右)連結面 敦賀駅
(はてなフォトライフ:http://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090727031419)
北陸本線8134M? クモハ125-2(手前)+125-16 敦賀駅
次は1次車と3次車の連結部分の写真……この部分で、幌を受け持っているのは右側の125-16(3次車)の方で、3次車では、これまた国鉄型の車両には標準で付いていた幌吊(幌枠上辺の「矢印」と「輪」の形状をしたモノ)が復活しています。ただ、125系では貫通扉の周囲の幌座に装着されている幌自体に長方形の台座が付いていて、幌座が「二重構造」のような形態に見えるのが特徴的です。
その下の写真は、最初に貼った編成写真を前幌付きの逆側(2位側/偶数側・米原向き)から撮ってみたものですが……こちらの1次車側の幌には幌吊がないのがお分かりでしょうか。
(はてなフォトライフ;http://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090727031421)
北陸本線8134M(クモハ125-2)と小浜線932M(125系三次車) 敦賀駅
そしてしつこく(?)もう一枚。
3次車と1次車の幌の対比がよくわかります。いかがでしょうか。1次車の側は幌吊がないためなのか、畳まれている幌布が若干平行四辺形状にずれ、垂下してきているようにも見えます。幌骨の構造はよくわからないのですが、やはり幌吊や何らかの形状維持のためのパーツなしでは収納時にどうしても型崩れしてしまうのかもしれません。
1~2次車も3次車と同じように幌吊・台座付きの幌ユニットに改造されるのか、そのままで運用され続けるのか、今後もその動向に注目していきたいと思っています。