◆Vol57:22年ぶりの大糸線・糸魚川駅~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク




ここからは、いよいよ今回の旅行の「メイン・ディッシュ」大糸線(松本-信濃大町南小谷糸魚川105.4km)のレポートです。その中でも今回のターゲットはJR西日本が所管する非電化区間南小谷糸魚川間(35.3km)で、「暴れ川」として知られる姫川沿いをツインエンジン車のキハ52気動車が走っています。

大糸線は大学4年になる前の春休み(1987年)に松本から糸魚川まで乗りとおして以来の訪問で、実に22年ぶり。このときは南小谷からのディーゼルカーキハ52ではなく国鉄色のキハ58でした。



1 大糸線(北線)の車両

大糸線の非電化区間(南小谷糸魚川)で現在使用されているのはキハ52形100番台3両で、いずれも1966(昭和41)年製造で今はキハ120の牙城となっている越美北線からの転属です。

急勾配・急カーブが連続する路線の特殊性から、車齢40年を超えたにもかかわらず粘着性に優れる2エンジン車のキハ52が今なお活躍する数少ない路線……だったのですが、同様の路線事情の花輪線米坂線等(いずれもJR東日本)が最近新鋭のキハ110系やキハE130系に置き換えられたこともあり、「定期運行のキハ52形が走る」最後の路線となってしまいました。大糸線キハ52にも、ここ何年か、JR西日本非電化ローカル線の「顔」となった感のあるキハ120形への置き換えの話が持ち上がっており、実際に冬季テスト走行が行われたこともあったようです。

いずれにせよ、北陸新幹線が金沢まで開通する2014(平成26)年には接続する北陸本線がJRから経営分離されて第三セクター化される予定となっていることから、その時点で大糸線の非電化区間にも何らかの動きがあり、車両についても三セク標準の軽快気動車が導入されることが予想されており、キハ52の活躍も最大であと数年程度かもしれません。

2 大糸線キハ52(100番台)の特徴


大糸線キハ52を大きく際立たせている特徴……それは、運用されている3両がそれぞれ旧国鉄/JR一般型気動車の歴代標準色に塗り替えられ、「走る国鉄気動車博物館」となっているところです。

大糸線キハ52の関係は実は昔から深く、配置と他線区転属を何度か繰り返していたようです。「鉄道ピクトリアル」No.823(2009.9/キハ20系特集号)の記事によると、私が訪問した1987(昭和62)年当時にもキハ52が配置されていたようですが、その当時の主力は前述のとおりキハ58で、その後1988(昭和63)年から1992(平成4)年まではキハ52大糸線の運用から外れていた空白期間だったようです。

今運用されている3両……キハ52-115、125、156が越美北線からやって来た当初は、白色ベースに緑の斜めストライプの入った越美北線カラーのまま運用されていました。しかし、色が今ひとつ地味(というより正面ライト回りの屋根部分の塗り分けをしていなかったので「顔」に締りがないように見えてしまっていた)であることと、その当時はまだ各地の山岳路線でキハ52が活躍中だったこともあり、大糸線キハ52は、趣味者からはさほど注目はされていなかったように思われます。

国鉄色への塗り替えは、2004(平成16)年にキハ52-115(朱色+クリーム色の2代目標準色)を皮切りに順次進められ、2006(平成18)年に3両全部の塗り替えが完了しました。

※初代(~1959年):黄かっ色2号+青3号→→→キハ52-125 <2006.11変更>
※2代(~1976年):クリーム色4号+朱色4号→→キハ52-115 <2004.08変更>
※首都圏色(現行):朱色5号→→→→→→→→→キハ52-156 <2004.12変更>
 正面ライト回りの塗り分けは2005.04から

それぞれ異なる塗色に塗られたキハ52各3両の運用については、JR西日本糸魚川地域鉄道部の公式Webページで公開されており、何月何日のどの列車にどの車両が充てられているかが一目で分かるようになっています。


3 南小谷行き436D



……と、またまた例によって前置きが長すぎたのですが、糸魚川から17:34発の大糸線436Dに乗り換えです。

糸魚川駅大糸線ホームは、切り欠き状になった4番線で、駅舎(海側)から1番線(片側ホーム1面)、中に1線挟んで2番・4番・3番(島型ホーム1面)という2面4線(+中線1本)という配置になっています。上の2枚の写真は、手前が直江津方面、奥が大糸線の進行方向で北陸本線の富山方面になります。

この日(7/24)は、糸魚川地域鉄道部のWebページによると、436Dにはキハ52-125(初代標準色)が充当されている予定だったのですが、「首都圏色」のキハ52-156が代わりに入っていました。後で運転士さんに聞くところによれば検査の関係で125号車は富山の検修施設へ入っているとのことでした。

現行の「標準色」である朱色5号の通称「首都圏色」は、塗装工程の簡略化のために相模線や八高線など首都圏の線区で使用される一般型ディーゼルカーに採用され、その後標準色として全国に波及したカラーリングです。色鮮やかでよく目立つのはいいのですが、いかんせん色落ちがしやすく、さらに色落ちすると車両の古さがより際立ってしまう(電化直前の奈良線のキハ35とか本当にひどい色でした)ところから、ファンや地元の乗客からの評判は決して芳しいものではありませんでした。

しかし地域ごとのオリジナルカラーが主流となった今となっては、この「首都圏色」自体は希少色となった感があり、色落ちさえなければかえって新鮮に写ります。


南小谷からの431Dとして糸魚川に到着したのが17:11……折り返し436Dの出発時間まで26分間、対向ホームからの形式写真やキハ52-156各所のディテールの「一人撮影会」を存分に堪能し、後は出発を待つばかり。糸魚川に着いた時に降り出した雨もいつの間にか止んで再び夕陽が顔を覗かせていました。ふとホームから進行方向を見ると、ダークグリーン地に縁を黄色に塗られたEF81がホイッスルの音を響かせてやって来ます。大阪を正午に出発した「トワイライト・エクスプレス」が神戸を朝9時前に発った私を追い抜いて1番線を通り過ぎていきました。

さぁ、ここから今回の旅行の「メイン・イベント」の始まりです。



【参考Webサイト】
■大糸線-Wikipedia
■大糸線 Oito Line(大糸線のデータベースとも言うべきファンサイト)