◇韓国・第2回:景福宮と青瓦台(1995年)

まず今回は、ソウルの景福宮(キョンボックン)の写真をご紹介したいと思います。ここは1995(平成7)年の前回訪問の初日に立ち寄りました。今回も初日の観光コースに入っていると思っていたのですが、2日目のオプショナルツアー(私は参加していない)のコースに入っているということで、結局行かずじまいでした。

景福宮は、李氏朝鮮を興した太祖・李成桂(イ・ソンケ)が1394年のソウル遷都の時に建てた王宮で、ソウルに現存する王宮群の中では最古のものとなります。とは言っても、当時の建物が今も残っているわけではなく、戦火の中で以下のような経緯をたどって今に至っていますが、まさに…苦難の歴史、と言えばいいのでしょうか。日本自身も隣国の「当事者」として関わっているだけになおさらそう感じます(また、その歴史的評価も今なお大きく分かれています)。

*1392年 李成桂李氏朝鮮を興し、都を開城(ケソン)に置く。
*1394年 ソウル(漢城)に遷都、正宮として景福宮を建設する。
*1592年 豊臣秀吉の朝鮮遠征(壬辰倭乱)により焼失。正宮を1405年創建の昌徳宮(世界遺産)に移す。
*1865年 約270年ぶりに太院君が王権強化のために再建、再度正殿となる。
*1897年 高祖、国名を大韓帝国とする。
*1910年 日韓併合(~1945年)
*1926年 正門である光化門と正殿の勤政殿の間に朝鮮総督府庁舎が建てられる。
(その後も、光化門が移動されたり、多くの建物が移設されたり取り壊された。)
*1950年 朝鮮戦争により光化門が焼失する。
*1972年 光化門が再建される(朴正煕大統領)。
*1990年 景福宮復元作業が始まる。
*1995年 朝鮮総督府庁舎(国立中央博物館)が取り壊される。
(【06.11.11】年表を一部追加・修正しました)


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正殿である勤政殿 1995年11月


勤政殿は、ガイドブック等によると、現存する韓国最大の木造建築物ということで、ここでかつては国王の即位式や公式行事が行われた場所だとか。景福宮は、この勤政殿を中心にして左右対称に広がっているのがベーシックな形です。もう11年も前のことなので記憶も薄れかけていましたが…やっぱり今回も何とか時間を作って行っておけばよかった、と今更ながらに後悔しています。一瞬奈良の東大寺か、とも思ったのですが、屋根の端の反り具合が独特の雰囲気ですね。


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何故か景福宮といえばこの建物のイメージ 慶会楼


次の慶会楼は、正殿の勤政殿から斜め後ろに位置している池に囲まれた建物で、花崗岩でできた48本の石柱で支えられています。ここは、外国使節の接待や宮中の宴会、また科挙試験の会場として用いられていました。どうもこの写真の風景、何となく「景福宮の原風景」みたいに思っていたのですが…10000ウォン札の図柄がまさにこの慶会楼です。


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勤政殿を取り巻く回廊と「チマチョゴリ軍団」


で、再び勤政殿へ戻りますが…上の写真のように回廊で囲まれています。画面の中央に居るチマチョゴリの集団ですが、何かのイベントをやっている……のではなく、平たく言ってしまえば「写真屋さん」です(笑)。つまり有名観光地にありがちな、「お布施回収装置」とでも言えばいいのでしょうか。11年前の親睦旅行は、2班に分かれ、1週間ずらして行ったのですが、その先発隊からの復命によれば、「何も知らずに近寄ってドえらい目に遭った」、つまり当然のごとく写真を一緒に撮られて写真代やモデル料を請求されて往生したそうです。あんたらは台湾の烏来のタイヤル族か。で、遠くからこっそり撮ってみたわけです(爆)。今もこの人たちがいるのかどうかはわかりませんが…。

次回は、その光化門と勤政殿の間に鎮座していた旧朝鮮総督府庁舎(国立中央博物館)の写真をご紹介する予定です。


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景福宮の裏手にある大統領府・青瓦台(チョンワデ)