◆Vol52:14年ぶりの北陸トンネル通過~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク




敦賀からは北陸本線普通列車糸魚川まで小刻みに乗り換えていきます。
まずは福井行きの243M(11:43発)。


三ノ宮から乗ってきた223系新快速が引き上げた同じ5番線に入ってきたのは……2006(平成18)年の敦賀直流電化時に新製投入された交直流電車・521系の2両編成でした。姿形は223系5000番台(岡山-高松間快速「マリンライナー」用)や5500番台(福知山バージョン)の交直流版といったところです(というかそのもの)。

この521系の特徴としては、上の写真をご覧いただければお分かりかと思いますが、駆動モーターのない写真手前側のクハ520-3にシングルアームパンタグラフが付いているところで、床下にもぎっしりと各種コンポーネンツが並んでいるので、車番を見なければ「クモハ」と勘違いしてしまいそう。重量バランスを考慮したためなのか、こういう「クハ」や「サハ」にパンタを受け持たせるパターンはJR九州の813系などいくつか例があるので、最近のトレンドなのかもしれません。


北陸トンネルを抜けるのは今回本当に久しぶりでした。

神戸に地震があった年の夏に仕事で福井に出張に行って以来ですから14年ぶりになります。全長13870m……さっき電卓を叩いてみたら、通り抜けるのに80km/hなら10分程度、100km/hなら8分12秒くらいかかる計算です。以前超遠回り。。余部鉄橋訪問記(7)敦賀~東舞鶴でup主のトンコさんが「北陸トンネルの中で高田渡の『トンネルの唄』を口ずさんでみた」と書かれていて、私も「その間何かまとまったことを考えたり、『人間トランスポンダ』と化して頭の中で音楽2曲くらい流すのにはちょうどいいかもしれませんね。」とコメントさせていただいたことがありました。

……ということで、今回は家を出る直前に慌ただしく探し出してカバンに入れてきたビクター製のデジタルオーディオプレイヤーで80~90年代のユーロビートを柄にもなく聞きながら先頭車両の「かぶりつき」のポジションに張り付いてみました。その際に撮った動画もYouTubeにupしてみましたので併せて貼り付けます。


北陸トンネル通過 -YouTube/okekenigel
(敦賀行き419系普通電車とのすれ違いシーン)


(1)は…もちろん私自身もリアルタイムでは知らないのですが、トンネル開通以前の旧線(北陸本線の、というか当時の日本の鉄道随一の難所だった)を思い浮かべながら、そして(2)は……タイトルをご覧になっただけでお分かりの向きは多いかと思いますので言わずもがなでしょう。実際に聞いていただければなぜ私が「ユーロビート」の曲を敢えて選んだかもお分かりいただけるのではないかと思います。



このあたりは、標高自体は数百メートルほどですが、地形上有数の豪雪地帯で、冬には「特急街道」でもある大動脈を、また地域交通を維持するために除雪車が大いに活躍するようです。除雪車の背景に立っている「今庄365スキー場」の看板との並びが印象的だったのでスナップしてみました。ちなみに「365」とは地域の幹線道路の国道365号線を指しています。

【09.08.06追記】
国道365号線は、滋賀県木之本町余呉町区間は深坂トンネル開通前の北陸本線(後の柳ヶ瀬線→廃止)のルートをかなりの部分で転用しています。


福井の少し手前の鯖江で特急の待避待ちで4分停車、この後乗り継いだ列車も特急に道を譲るために所々で数分~15分程度停車します。このあたりから夏休みの補習帰りなのか、あるいはこれから部活なのかよくわからないのですが、中高生の集団が次々と乗り込み、山あいを走る列車のまったりとした空気が賑やかになってきました。

福井到着は12:38。ここでまた乗り換えです。

「メインディッシュ」の大糸線への乗り換え駅、糸魚川はまだまだ先です。

◆Vol51:敦賀直通新快速(2)-北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク




敦賀行き新快速(三ノ宮8:51発)の続きです。


湖西線に乗る際の「最大の楽しみ」の一つが上の写真にもあるとおり和邇(わに)駅前のショッピングセンター「アルタ」の”モノグラム看板”観測です(爆)。蝶ネクタイをしたかわいい(?)ワニと輪っかが2つ組み合わさったいずれもシンプルにしてベタなノリとも言うべき2種類の絵柄の両方を通過する新快速からスナップしてみました。


シャッターチャンスは一瞬です。とにかく何でもいいのでシャッターを押してしまわないとあっという間にワニアルタの看板は後方へと流れていってしまいます。今回は両方の絵柄がバランスよく写っていますが本当にたまたまです。何でそこまでこだわるのか自分でもよくわからないのですが……いえ、実際に行ってみたことはまだ一度もありません。

それはそうと、ここ和邇を過ぎたあたりから東側(近江今津方面を向いて右側)の車窓には琵琶湖が間近に見えてきます。一方反対側の西側の車窓は、標高1000m級の山が立ち並ぶ比良山地が終始遠くに近くに現れるという対照的な風景ですが、こちらはこちらで決して悪くはありません。ちなみに上の写真で湖面の手前に見える島は……竹生島ではなくて琵琶湖4島のうち人が定住する唯一の島である沖島だと思われます。私自身がつい間違えてしまうのですが、竹生島の位置は湖北エリアのかなり奥まったところです。


三ノ宮を出てから約1時間30分、小浜方面へのJRバスとの接続駅でもある近江今津で9分間の停車です。

その間に後ろの8両を切り離して身軽な4両に……というわけでは実はなく、三ノ宮8:51発の新快速3430M(近江今津からは3130M)では既に京都での2分停車の間にその作業は済んでいました。新快速敦賀延長直後の3年前の冬に乗った新快速では、敦賀発の4両に近江今津で4両を増結していましたからそのあたりは色々とパターンがあるのかもしれません。

写真はクモハ223-2080を先頭とする網干総合車両所4両組のV49編成、実は223系をメインに狙って撮ることはあまりやらないのですが(前幌の付いてる番台は除く)、今回は乗車記録も兼ねて対向ホームからスナップしてみました。この4両のラインナップは次のとおりです。

敦賀 クモハ223-2080+サハ223-2180+モハ223-2170+クハ222-2080 姫路→



近江今津から近江中庄、マキノと進み、長いトンネルを2つ抜ける(永原はそのトンネルの間にあります)と、3年前の敦賀直流電化までは交流/直流の境界セクションがあった地点を通過します。以前は2つ目の城山トンネルをやっと抜けたかと思うと、電源切り替えのためすぐにまた車内が暗くなったものでしたが、もちろん今は何事もなくスルーです。

また、交直切り替え地点を挟む永原-近江塩津間の普通列車は、湖西線開通当初はディーゼルカーが1日にわずか3本でした。需要の見込みにくい区間に高価な交直流電車はいきなり投入しにくかったという事情もあったようです。475系や419系電車(結局これらの電車は急行や特急用の車両から改造・転用されたものです)が投入された後も7~8本程度にとどまるなど私が勝手に「永原バリア」と呼んでいたこの区間も、今は姫路や京阪神からの新快速がデータイム1時間に1本ペースでやって来るようになりました(その他の区間列車も合わせると1日17本と大幅増に)。

敦賀到着は11:15です。
ここで次の243M福井行きに乗り換え、出発は到着した新快速が引き揚げた後の5番線からでした。

◆Vol50:敦賀直通新快速(1)-北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク



 


いつも夏のボーナスの時に相方にもらう「特別おこづかい」で、今年は思い切って「青春18きっぷ」を買うことにしました。実に16年ぶりの購入です。どうしても「使い残し」が気になるので、結婚してからはずっと買っていなかったのですが、ブログを始めてからの約4年間、色々な方々が「青春18」旅行のレポートをブログの記事にアップされているのを見るにつけ、とうとう今年は我慢できなくなってしまいました(爆)。

今回の「シリーズ」は、国鉄型のディーゼルカーのスタンダードとして長年活躍を続けたキハ20系最後の「聖地」大糸線(ここで使われているのは2エンジン車のキハ52形)に加え、最近フル規格の鉄道(JR富山港線)からLRTに転換した富山ライトレール、そして度重なる事故から第三セクターの路線として甦った福井県えちぜん鉄道……と些か欲張り気味ですが1泊2日のスケジュールでまとめて訪ねてみました。


金曜日の朝、三宮から向かったのは職場ではなく、JRの三ノ宮駅でした。

2006(平成18)年10月の北陸本線敦賀直流電化を機に、姫路や京阪神から新快速がほぼ1時間に1本(7時台~18時台:三ノ宮を夕方に出発する最後の2本のみ米原経由。その他は湖西線経由)のペースで敦賀まで足を伸ばしています。

私が乗ったのは三ノ宮発8:51の新快速12両編成。まずは敦賀まで約2時間余りの乗車です。

今日はここまで。

Web空間における「コミュニケーション」について~「はてなハイク」の場合

例によって(爆)またまたしばらくの間、ミニブログはてなハイク」にかかりきりになってこちらの記事更新がおろそかになってしまっていた。

はてなハイクは通常のブログサービス以上に手軽に記事をアップできるのが特徴的で、はてなのアカウントを持っていれば各種の「キーワード」という「お題」に沿ってエントリを投稿することができる。またその「キーワード」についても自分の好きな任意のものを設定することが可能だ。

通常の投稿は全て最新投稿20記事まで表示されるトップページ(http://h.hatena.ne.jp)に掲載されるが、ユーザーの「プロフィールページ」(http://h.hatena.ne.jp/id/ユーザー名)はトップページには表示されないようになっており、ここをいわば下書きやメモスペース代わりに使うことも可能である。

このように、はてなハイクは色々なことが試せる面白い「器」ではあるのだが……どうにも私のような「レギュレーションの範囲内で好きなようにシーヤ派」にとっては、「こんなことはハイクでスンナ派の方々の意見とはどうしてもぶつかってしまうこともあり、正直息が詰まるなぁと思うこともしばしばである。思いっきり要約して言ってしまえば、何というか、

直腸の先に位置するところの臀部を縦断する「中央構造線」(発作マグナ)のベンチュリー効果があまりにもマックスすぎるんではないか

と思われて仕方がない。

ここらあたりはいろいろと思うところはあるのだが、一定の数のユーザーの考えが交錯するweb空間は、自分の気に入るモノもあれば気に入らないモノも同じように存在している。そういう意味ではwebコミュニティの公共空間性はまさに「パブリック・フォーラム」、一種の「ブレーンストーミング」の場というものでしかないはずなのだが、どうしても「人それぞれ」とは言ってみてもその「それぞれ」に耐えられなくなることは多々あるようだ。

<また機会があれば追加するかも>

【09.08.09追記】
↑何かこれではただの「愚痴」でしかないなぁ…と思う。

少なくとも書庫名に入っている「考察」にはならない。
という観点から考えればその「ベンチュリー効果がマックス」と私がそう考えるポイントは何なのか構造的に書かなければいけない。

いやそれはもう何か、ハイクのユーザーさんお二人と「対話」してわかっている(つもり)なのだけれど。

▼本当に訪問者が知りたい20の質問・2009年改訂版

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やっぱり「幌」が私の”メインコンテンツ”-水島臨海鉄道・キハ204


このサイトを開設してから約3年半…途中何度か中断を挟みながらもここまで続けて来ました。「ブログ3年寿命説」とよく言われますが、それでも私がこのブログを始めた頃から交流させていただいている方々のほとんどがまだ同様に続けられていて、中には当時と更新ペースが全く変わらない方も居られるのはとにかく凄いとしか言いようがありません。

ちょうど3年前ですが、ブログ開始後半年(5,000views/1,000comments)を機に「本当に訪問者が知りたい20の質問」をプロフィール代わりに書きました。それ以降今までに、Y!Bの他にはてなのサービスを色々と使うようになったりと当時とは変わってきたところも多々出てきましたので、今回「2009年改訂版」として記事を上げてみます。


本当に訪問者が知りたい20の質問

(本当に訪問者が知りたい20の質問:個人WEBサイト文化研究所 のマッドネスさんが作成されています。)


1.サイト名とそのアドレス、あなたの希望する呼ばれ方(ハンドルネーム)についてお答えください

【メインブログ】(Yahoo!Blogs)
 ここのことです。
<<サイト名>>
「nigel's bookshelves~幌苦総合車両所・文書庫」
<<アドレス>>
http://blogs.yahoo.co.jp/o_keke_nigel
<<ハンドル>>
o_keke_nigel(おケケ=ナイジェル)、あるいはo_k_nigel、単にnigel、ナイジェルでもOKです。由来はhttp://blogs.yahoo.co.jp/o_keke_nigel/14012893.html

その他、はてなで取ったアカウントでやってるところは次のとおりです。はてなのidも同じ「o_keke_nigel」です。


ソーシャルブックマーク
※ブログのネタ帳&後で読み返す用のメモ
<<サイト名>>
幌苦総合車両所・文書庫目録~bookmarks for bookshelves
<<アドレス>>
http://b.hatena.ne.jp/o_keke_nigel

【webアルバム】
※ブログ用画像の容量制限(2GB)対策&先行公開用画像庫
<<サイト名>>
幌苦総合車両所・画像センター
<<アドレス>>
http://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/

ミニブログ
※一発ネタ&ブログ下書き用
<<サイト名>>
o_keke_nigel -はてなハイク(固有名は付けられない)
<<アドレス>>
http://h.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/

あと、動画公開用にYouTubeのアカウントも取っています。 http://www.youtube.com/user/okekenigel

2.あなたのサイトがどんなところか、一言でご説明ください
【主なコンテンツ】
1) 鉄道車両の貫通幌の観察記録&研究/103系などの車両研究
2) 鉄道・バスをネタにした旅行記
3) 「ちょっと古いバス」の撮影記録
4) F1「古館語録」の採取/「ジルとヘンリの”神話作用”」
5) 「異文化交流考察」について/その他論考いろいろ

3.このサイトへのリンク、サイト内各ページへの直リンクについてどうお考えかお答えください
このサイトはいわゆる「ブログ」の形式で作成していますので、「トラックバック」についても併記します。

【リンクについて】
「原則としてすべてのリンクはフリーであるべき」と考えていますので、ご自由にどうぞ。許可も連絡も不要ですが、事後に「リンクしたよ」・・・と言ってくださればそれはそれで嬉しいです。

トラックバックについて】
トラックバックの本来の機能は「元記事にリンクして言及して記事を書いた、ということを元記事の作成者及び読者に対して通知する」ということですので、

1) トラックバックについて事前の許可・報告は必要ありません。ご自由にどうぞ。
2) 当ブログの記事にトラックバックされる場合は、できれば元記事への言及コメントとリンクをお願いします。
3) とはいえ、元記事との関係があれば、言及なしTBは原則弾きません。
4) ただ、明らかなスパム(元記事内容に全く関係のないTB)はさくっと瞬殺します。

*リンク・トラックバックについての考え方については、以下の記事もご参考にしていただければ幸いです。
▼番外編:「トラックバック」とは何か?(書庫「異文化との交流考察」)

4.「サイト上で訪問者にこれだけは絶対にして欲しくない」ということをお答えください
ブログのジャンルとは無関係に、不特定多数に向けて無差別的に行う宣伝行為。私はあなたのブログを彩るパーツでもなければ、あなたのブログを「ビッグ」にするための踏み台でもありません。

5.このサイトを運営していく上であなたが何を一番重視しているかについてお答えください
後々「資料性」が出てくる記事づくり。

6.このサイトの更新頻度についてお答えください
毎日、と言いたいところですが、現在は週1回ペースがせいぜいのところです。

7.1回の更新にかかる時間についてお答えください
フォーマットが決まっている記事の場合は30分以内で作成できますが・・・記事によっては数時間かかってしまう場合も。

8.現在の訪問者数と、今後希望する訪問者数についてお答えください
2009.3.11現在で訪問者数が約58,000ビュー(2005.10.12開設)ですから・・・1日あたり約46.5ビュー前後、というところでしょうか。

まぁ、「スイートスポット」が狭いブログですのでもちろん多くは望みませんが、1日平均「50の壁」が超えられたら充分すぎるくらい、と思っています。

9.あなたにとって訪問者はどんな存在かお答えください
1) ブログ主の記事の足りない部分を補い、フォローしてくれる存在。
2) 新たなネタ振りのヒントをくれる存在。
3) ブログ主のボケにツッコミを入れてくれる存在。

10.閉鎖の予定についてお答えください
やりたいネタはまだまだありますので、当分の間閉鎖の予定はありません。

ただ突如として記事の更新が止まってしまうことがありますが、必ずまた復帰しますのでどうかお見捨てなきよう。

11.あなたの性別についてお答えください
男です。でもまだ「漢」ではありません(笑)。

12.あなたの生まれた年代、できればズバリ何年に生まれたかお答えください
ジャン・アレジジョニー・ハーバートトミ・マキネン近藤真彦杉田かおると同い年です。

13.現在のご職業について差し障りない程度にお答えください
普通の給与所得者です。

14.出身と現住地について差し障りない程度にお答えください
出身・京都市、現住所・神戸市です。

15.振られたときに得意な話題、分野についてお答えください
鉄道(国鉄型の車両、もちろん貫通幌も)、モータースポーツ(F1とWRC)、少し昔の路線バス、クルマ(4駆)・・・あとは細々とかじっている中国語でしょうか。

16.あなたが一番良く使っているパソコンの性能、接続環境について分かる範囲でお答えください
【職場】WindowsXPのノート型(14インチ液晶モニタ)、LAN常時接続
【自宅】WindowsXPのデスクトップ(17インチ液晶モニタ)、ADSL常時接続
    WindowsVistaのノート型(15インチ液晶モニタ)、ADSL常時接続

17.毎日あなたが閲覧するサイトの数をお答えください
1日平均5~10個前後

18.Webを閲覧し始めた時期についてお答えください
1996年頃

19.初めてサイトを公開した時期についてお答えください
2000年頃、ジオシティーズの無料スペースを借りて作り始めましたが・・・長続きせず、以降数年間放置プレイ中。で、以前大学時代の後輩と大阪で飲んだときに彼が言った「これからはブログが主流になるでしょうね・・・」という言葉を思い出して10月からブログスペースを借りて当サイトを始めました。

20.影響を受けた or 大好き or ここが閉鎖したら落ち込むかも、というサイトがありましたらお答えください
「幌苦総合車両所・文書庫目録~bookmarks for bookshelves」(はてなブックマーク)で、「database」タグを付けてクリップしたwebコンテンツの数々。

鉄道車両の編成表、運用表や車歴の一覧、あるいは古い路線バス画像のアーカイブ、それからF1やラリーのリザルトやドライバーの経歴等々、私の記事の「ネタづくり」や「ネタ合わせ」にはなくてはならないwebサイトばかりです。私のブログも、記事づくりの中で、「検索でたどり着いたここのページは参考になる」と思っていただけるようなところになればと思っています。

●フォーエバー・ヤング、富士&はやぶさ

The 400th article

東京から九州方面へと運行されてきた「九州ブルトレ」の中で最後の最後まで残っていた富士・はやぶさ」がこの3月14日を最後にとうとう廃止された。幼い頃も今も関西在住の私にとっては、時間帯の関係もあって必ずしも馴染みのある列車ではなかったけれど、「九州ブルトレ」そのものがブルートレインの象徴的な存在であっただけに、ここ20年凋落の一途をたどっている感のある夜行寝台列車の運転史にとって大きなトピックとなる出来事であることは間違いない。

何よりも、行動範囲が限られていた幼い頃の私にとって、「鉄道ジャーナル」の”列車追跡”シリーズなど趣味誌の中で頻繁に目にしたブルートレインは憧れの的だった。「大人になったら、オレもこうやってブルートレインで旅をするのだ」と思い続けてきたにもかかわらず、長じて自ら生計を立てるようになった頃には、もうブルートレインは「何とも使いづらい」交通機関になってしまっていただけに、鉄道趣味者の視点からの興味や関心とは別に、時代の流れの非情さをナマの姿で感じざるを得ない。

ちょうど一年前の急行「銀河」や特急「なは・あかつき」の廃止、そして昨年秋の0系新幹線の引退と同様に、今回の「富士・はやぶさ」の廃止に際しても、Web上で多くの方々がそれぞれの思いを発信されているのを目にした。そして、昨日の夕方、「富士・はやぶさ」最後の列車が東京駅に約1時間30分遅れで到着し、2,000人のファンが到着ホームに集まって別れを惜しんだ、というニュースを見た。ハイテンションでTV局のインタビューに答える人々、客車のボディをいとおしそうに触る人々、デジカメを携えはるばる台湾から「最後の瞬間」に立ち会うためにやって来た人々…いやこの人はスーツにネクタイを締めていたから、出張か何かのついでに立ち寄ったのかもしれない。

ブルートレイン、ひいては夜行列車が何故衰退していったのか、あるいは列車や車両の廃止や引退の度にファン(のみならず0系の時のように場合によっては鉄道に日頃感心の薄い層も含まれるだろう)が殺到する「祭」の是非という議論は確かにあるだろう。しかしそれはまた稿を改めることとして、今回の記事では、廃止当日の「その場」には行けなかった私なりに「惜別の思い」を書くことにしたい。


以下の写真は、2003(平成15)年の4月、まだ「富士」と「はやぶさ」が別立ての列車だった頃、出張の帰りに東京駅に立ち寄って撮ったものだ。「九州ブルトレ」のスーパースター「あさかぜ」が廃止となるのはその約2年後、山陰と首都圏を直結していた「出雲」がステージを去るのはその3年後のことである。急行「銀河」ももちろん健在だった。


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★品川方から特急「富士」を牽引・東京駅10番に入線したEF66-46/2003.04
(はてなフォトライフ -幌苦総合車両所・画像センター)
<上のリンクをクリックすると800×600pixで表示します>

東北新幹線ホーム増設の関係なのか、「機回し線」が姿を消した東京駅で、関西・九州方面へのブルートレインの発着をさばく方法として採られたのが、この一種独特のやり方だった。頭端駅であり、東京駅と同様に機回し線がない上野駅発着の客車列車は、尾久の車両所から機関車が客車をバックで押してくる方法で入線してくる。しかし東京駅では次のような手順を踏んでいた。
 
1)品川車両所から、機関車Aが列車Xを牽引して東京駅に入線する。
2)入線後、機関車Aは列車Xを切り離して待機。
3)品川方面の留置線で待機していた別の機関車αが列車Xの本務機として入線、列車Xと連結して出発。
4)列車X出発後、機関車Aは次の列車Yの本務機となるために品川方面の留置線へ移動。
5)品川車両所から、機関車Bが列車Yを牽引して東京駅に入線する……

以下2)以降を繰り返す。

イメージ 2
★特急「富士」の最後尾スハネフ15-20/東京駅2003.04
(はてなフォトライフ -幌苦総合車両所・画像センター)
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イメージ 4
★特急「富士」最後尾スハネフ15-20/東京駅10番出発2003.04
(はてなフォトライフ -幌苦総合車両所・画像センター)
<上のリンクをクリックすると800×600pixで表示します>

実を言えば、私がこのとき東京駅の「とおばんせん」に立ち寄ったのは、「ブルトレを撮る」というよりは……「富士」に使われている14系15形客車のスハネフ15に付いている「バネ式の幌吊を装着した二枚幌」の”観測”が主の目的だった。

14系客車のスハネフ14で採用された「埋込型(幌吊なし)」の幌は、15形ではコンベンショナルな二枚幌に仕様変更されたのだが、同じことが電源集中型の24系客車でも繰り返された。当初オハネフ24、オハネフ25に装備された埋込型の幌は、オハネフ25-100ではまたもコンベンショナルな幌吊付きの二枚幌に戻されている。何でこういうことになったのか、「鉄道ピクトリアル」あたりをよく読んでみたのだが端的に「仕様変更」としか書かれていない……結局また「幌」の話になってしまったか。


イメージ 5
★EF66-46…今度は「さくら・はやぶさ」の先頭に立つ/東京駅2003.04
(はてなフォトライフ -幌苦総合車両所・画像センター)
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イメージ 6
★EF66-46・次の仕業に備えて/東京駅2003.04
(はてなフォトライフ -幌苦総合車両所・画像センター)
<上のリンクをクリックすると800×600pixで表示します>

「富士」が別の機関車に牽かれて出発していった。どの機関車だったかは確認できなかった。もちろん私の当時の「メイン・ディッシュ」はスハネフ15の幌だったから。しかも幌枠は車体とコーディネートしたブルーに塗られていたのだから、ここぞとばかりに私はスハネフ15-20を出発の時間までスナップし続けていた……はともかく、EF66-46のヘッドマークが付いた側がクリアに見えるようになった。この頃の「はやぶさ」は、長崎行きの「さくら」とコンビを組んでいたのだ。些かヘッドマークの文字が見えにくく写ってしまったのが悔いが残るところか。

余談になるが、この「十番線」の柱は、兵庫県、それも北部の但馬地方に縁のある人ならお気づきだろうか。クリーム色をベースにオレンジと緑のライン……どう見てもこれは但馬全域をカバーしている全但バスのカラーそのものだ。クリーム色の柱に、東海道線のイメージカラーとも言うべき湘南色のワンポイントを入れたら、たまたま全但バスの塗色のように見えただけであって、但馬地方の浜坂や香住を経由していた「出雲」とは全くの無関係だろうとは思うのだが、そんなちょっとしたことが”田舎の子”である私にはうれしいといえばうれしい。

それにしても、上の写真で見るEF66は、見れば見るほど武骨で、塗色がちょっとくたびれた感じなども「古兵(ふるつわもの)」といった感じがしていてとてもいい。同じEF66でも今は頻繁に貨物の牽引機として見かける100番台は、この0番台とは色も形もかなり違う「別物」だ。今回の「富士・はやぶさ」の廃止は、「九州ブルトレ」の終焉だけではなく、EF66の0番台を見る機会がまた少なくなってしまうことも意味するのかもしれない。

朝里海水浴場(2)~2008夏北海道(11)

【写真について】
「幌苦総合車両所・画像センター」(はてなフォトライフ)にアップした画像については、長辺120ピクセルのサムネイルを表示しています。拡大画像をご覧になる場合は、それぞれ画像タイトルをクリックして下さい。

※今回記事の画像数は13枚です。

今回から、小樽市内観光の……といきたいところなのですが、写真を整理していて、はてなフォトライフにアップしていないものがいくつかあることに気が付き、朝里海水浴場周辺のスナップも結構ありましたので、もう1回分「落ち穂拾い」としてご紹介することにいたします。


イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3

イメージ 4 イメージ 5


「写真273」は……これでは何かよくわからないと思いますがコンブです。こんな感じで並べられていると何か別のもののように……サムネイルで見た感じでは、漁網を干しているようにも見えませんか?

次の「写真274」は、[「写真081」 http://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20080808070845]の電車なしのバージョン。「写真275」は、ここでの私の「基本ポジション」で、家族全員を一目で見渡せる場所をキープしつつ、次々とやって来る電車を待ちかまえていました。後の「写真276」と「写真277」をご覧いただいてもお分かりかと思いますが……この日は少し風が強く、波もいつもよりは若干高めだったようです。実は「レッドフラッグ」がコース脇、もとい売店近くには出ていたのですが、ぐり(上のムスコ)は「せっかく来たのに」ということで、取りあえず水着に着替えておっかなびっくり水際のところでぐら(下のムスメ)相手に水の掛け合いをやっていました。


イメージ 6 イメージ 7 イメージ 8 イメージ 9


次の3枚も、最初はてなフォトライフには貼り忘れていた721系電車の走行写真シーンです。上の2枚は小樽向きの先頭車がカーブを曲がって迫ってくるところを撮ったものですが、おや、「幌」が付いていませんね。この区間の一般型の電車は小樽向きの先頭車に幌が付いているはずです。

実は721系の3両組の編成は既定どおり小樽側の先頭車(クモハ721-0番台とクハ721-2000番台)に幌が付いていますが、主に快速「エアポート」に使われる6両組は、固定編成で他の編成と組むことはほぼないために、小樽側の先頭車には幌が付いていないのです。ちなみに、「6両固定編成」は、編成上は小樽側3両と札幌側3両は別の編成番号になっていて、中間車同士をつなげて一つの運転用の編成にしています。3枚目の「写真280」は、1枚くらいは編成全体を、ということで、朝里駅に戻る途中にやって来た快速「エアポート」をいわゆる「ケツ打ち」で撮ってみました。

幌が付いている方の写真は、前回記事でも書きましたが、もちろんちゃんとサンプルを採取してあります(爆)。


幌付きの車両の詳細なレポートは、また書庫「貫通幌の観測と研究」のフィールドワーク記事の方に書いていきたいと思います。


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最後は、朝里駅から小樽駅までの移動に乗った721系電車と小樽駅のスナップを4枚です。

「F-3018」(3両組)は、元は小樽側からクモハ721-18を先頭にアレンジした0番台の編成ですが、後に130km/h走行対応の改造を受けて車番に+3000を付されることになりました。左からの3枚ははてなフォトライフ(幌苦総合車両所・画像センター)のフォルダ「05&08北海道・幌FW」から引っ張ってきました。一番最初の写真は車内(センターデッキ部分)の車番表示ですが、上のプレート部分がテープでマスクされていて、その下に今の車番「クモハ721-3018」のステッカーが貼られています。なんだこれは……と思っていたのですが、千歳線乗車案内・の忘れ物(リアルオンさん)によれば、マスクされているのは旧の車番で、その下に改造後の車番が貼られているということのようです。

最後はまたフォトライフのフォルダ「08夏/北海道」に戻って、小樽駅改札口のすぐ上にずらりと並べられているランプの写真を貼ってみました。「裕次郎ホーム」と並んで小樽観光の玄関口である小樽駅のシンボルともいうべきアイテムです。この画像では、昼間でもランプが点灯しているように見えるのですが……と、「北海道旅行のエキスパート」さくらこさんの記事、「小樽=北一硝子(^^)~GW旅行日記・北海道編4」の画像を見てみました。

バックに見える駅出口の様子を見ると、確かに昼間でもランプが点灯している様子が確かに分かりますが、よく考えてみれば、ランプの周りには電線らしきモノが見あたりません。ということは、いくつあるのかよくわかりませんが(100個近くはありそう)、駅員さんが一つ一つ点灯しては所定の場所に懸けていくのでしょうか……?